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2009年5月10日 (日)

演劇:酒神・ディオニュソス

 演出   鈴木忠志
 原作   エウリピデス
 美術   戸村孝子

 出演   テーバイの王・ペンテウス  新堀清純
      ペンテウスの母・アガウエ  内藤千恵子
      ペンテウスの祖父・カドモス 蔦森皓祐
      ディオニュソス教の僧侶   竹森陽一、他4
      ディオニュソス教の信女   高野綾、他2

 会場   静岡舞台芸術公園・楕円堂
 公演   2009年4月25、5月2・9日
 鑑賞   2009年5月9日 15:30~

 物語は省略する。興味あればこちらを参照頂きたい。

 酒の神・バッカス、異称をディオニュソス。しかし、タイトル・ロールであるディオニュソスが舞台に現われることはない。現われれば観た範囲に留まる、現われなければいくらでも想像が膨らむ。香り付け、観客の器が試される。

 現われないディオニュソスを具現するのは、その僕である5人の僧侶。前半、ディオニュソスを神と認めようとしないテーバイの王ペンテウスと対峙する。

 ペンテウスと5人の僧侶の言葉の行き来が見所(聴き所)、他では観られない緊張感ある場面が展開された。強いて言えば5人の僧侶のアンサンブルに多少のずれを感じた。個々の身体表現の次に来る何かと思うがうまくは説明できない。中堅層の活躍を期待したい。

 女装したペンテウスは僧侶に案内されて山に分け入り、そこで僧侶に斬り殺される。ペンテウスの周囲を駆け回る僧侶の動き、それまでの抑圧された動きからすれば疾風のごとし。伝統芸能を思わせる。

 後半、アガウエが首をつかんで現われる。僧侶に斬り殺されてこの場面に至るには多少の飛躍が必要だ。が大したことではない。

 アガウエとカドモスの言葉の行き来も見所(聴き所)。狂気の信女から子殺しに気付いて母親に戻る。前半に比べて多少テンションが下がったように思う。流れからして仕方ないか。

 鈴木忠志演出のディオニュソスを今までに何回観たことか。ようやく、いやまだかも知れないが、少しは客観的に観られるようになった気がする。同一演目を繰り返し観られることは幸せだ。音楽にしろ、バレーにしろ、伝統芸能にしろ、当たり前のことが演劇の世界では珍しい。無いとはな言わないが。
 自分の変化に気付く。

 劇場・楕円堂は始めてであった。触れておく。
 多目的に利用できるようだ。エントランスから3階分ほど降りたところが舞台。斜面に半地下構造のようだ。当日の配置は、ゆで卵を二分したその断面で例えれば、黄身と白身半分が舞台、残る白身が客席。舞台後方に5箇所の楽屋口。興味深い構造である。ただしディオニュソスは言葉に重きがある。多少の難を感じた。

 私の座席は最も下手。配置上、役者の半分が真後ろと言わないが、それに近い状態になる。そのためか、声がくぐもって不鮮明な感じだった。座席を変えて体験しないと明確にはならないが。
 ダンスなど、身体表現主体の出し物にうってつけかもしれない。

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コメント

遠路静岡まで、お疲れ様でした。
この楕円堂、私はSPACの劇場のなかでは一番好きな空間です。
でも、席によっては柱の影になってしまうところもあって、席取りには少し神経を使う劇場ではあります。
自由席といっても、整理番号順にほぼ強制的に決められてしまいますから、
どこに座れるかはその時の運としか言えないんですけど。
昨日は下手の端での観劇でしたが、
私は先週観た中央の席よりも観やすいと感じました。

仰るように、同じ演目を繰り返し観ることで自分の変化に気づくことがありますね。
読み返す年齢によって、印象が変わる読書と近いものかもしれませんね。

投稿: salala | 2009年5月10日 (日) 20時44分

 お疲れ様でした。復路も順調で2時間半で自宅に戻りました。この程度なら苦にはなりません。次の機会を考えてます。
 楕円堂は素敵な空間です。楕円堂を含めた空間と言った方が正確ですが。当日は観客の年齢層が高いように感じました。そして、何かアカデミックな雰囲気が漂っていましたね。いつもあのようだと気の弱い私は萎縮してしまいます。冗談です。
 やや霞んでいましたが日本平から見る富士山も素敵でした。またお会いしましょう。

投稿: F3 | 2009年5月11日 (月) 00時13分

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