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2009年5月16日 (土)

白想:常識って!?

 常識とは、手元の辞書によれば、ふつの人が共通にもつ知識や理解力。または判断力。
 でも「ふつうの人」ってどんな人、「共通にもつ知識や理解力」ってどんな内容なの、とより疑問は深まります。

 高度情報化や技術進歩など社会状況の変化が作り出す常識のようなもの、常識に至る前の混沌とした状態の理解はなかなか難しい。いま私は、脳死、裁判員制度を意識しています。これらはふつうの人が直面する課題です。しかし、共通に持つ知識や理解力はまだ形成されているとは言い難いと感じています。

 脳死は今、国会で議論再燃です。人の死は、心臓停止・呼吸停止・瞳孔散大の三兆候で認識できます。これが常識です。しかし脳死状態の人は、息をしているし、心臓は脈打っている。ふつうの人には死を実感できにくい。
 1980年代半ばでしたか、議論沸騰した時期があります。私は「立花隆著・脳死」ほか無作為に5・6冊の本を読んでみました。私なりに下した結論は、限定的に認める、今で言えば現状是認でした。現状に近いと思います。

 裁判員制度は制度そのものに疑問を抱きます。しかし、義務を果たす状況に至ったとき、客観的に思考できるかとの思いがあります。「そしてこれより、事実と虚構を識別していくのが諸君の義務であります。一人の人物が死に、そしてもう一人の生命は、諸君の評決にかかっています(十二人の怒れる男・ローズ著・額田やえこ訳)」。このような場面に直面する、その時に私はいかなる常識を持っていれば良いのでしょうか。広義に言えば問題解決能力だと思うのですが。

 一口に常識と言いますが、随分と難しいことが求められつつあるように思います。皆さんはどのように思いますか。

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コメント

ふつうというのは何なのか、私もよくわかりません。
現代はますますわかりにくくなってきていると思います。
様々な生き方が社会に認知されるようになったせいもあるでしょうか。
ですからこちらのコミュニティーでは共通の理解、判断がこうであり、あちらではああである、という具合になりそうですよね。
脳死も裁判員制度も、今や専門外のふつうが求められているのかもしれません。
でも、必ず最後は専門家の決断が必要です。
ということは専門外のふつうの人には常識が通用しないことが多いからか。
考えれば考えるほど迷路にはまっていきます……。

投稿: strauss | 2009年5月16日 (土) 18時01分

 特に脳死論議・裁判員制度は他人の生死に関わるので、中途半端な常識は許されません。そう思っていますが、どうしたら中途半端でなくなるか、容易に見当がつくものでもありません。
 同一コミュニティ内でも、課題によって考え方がばらつくかも知れません。
 まじめに考えるほど垣根は高くなりそうです。他にも多くの課題があるでしょう。少しづつ考えたいと思います。 

投稿: F3 | 2009年5月17日 (日) 00時47分

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