音楽:荒井由実讃
三十一文字ならぬスローバラードによる晩歌、荒井由実の「ひこうき雲」を聴いての思いです。
荒井由実のアルバムを揃えようと思っていました。ストックにLP盤の「流線型'80」「紅雀」がありました。が既に松任谷姓。よってその前、1976年までの「ひこうき雲」「MISSLIM」「COBALT HOUR」「THE 14th MOON」が荒井姓によるアルバムになります。過去にカセットテープで何本かを入手しましたが既に存在しません。
揃えようとの思いは、最新アルバム「松任谷由実・そしてもう一度夢見るだろう」を聴いて確固たるものになりました。CDショップで探したら、4枚のアルバムとその間のシングルを集めた「Yumi Arai 1972-1976」というセットがありました。ばらで揃えるよりは手っ取り早いので直ちに入手。
「ひこうき雲」の以前の印象はそれほど強いものではありませんでした。「空に憧れて 空をかけて・・」を含む4フレーズは記憶に残るのですが。
この度アルバムを順に聴いての思いが冒頭の一行になりました。
当時20歳になっていなかったであろう荒井由実が、この曲を書き上げた理由を詳しく知りません。きっかけはあったのでしょうが、若い命をひこうき雲に置き換える感性。そう言えば風に置き換えた歌が少し前に流行りました。しかし、ひこうき雲のほうが飛躍しているように思います。天性の才能でしょう。
何か凄い曲だと、四半世紀以上を経てそう思いました。曲が変化しない以上、自分が変化しているのでしょう。死生感というより、死もおぼろげに見えてきました。同窓会名簿などを見てつくづく感じます。ようやく「ひこうき雲」の世界が判ってきた私は随分と晩生だと思いました。あるいは感性が不足している。
アルバムの最初にバンド伴奏の「ひこうき雲」、最後にが一部分ですがピアノ伴奏の「ひこうき雲」。ピアノ伴奏がシンプルで気に入りました。途中、声を詰まらせたと感じられる部分があります。自身のピアノでしょう、感極まったと私は思うのですが。ピアノ伴奏が収まったCDがあれば入手したいと思いました。
他の曲も懐かしいし、今なお新鮮な感じがします。
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