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2009年5月

2009年5月31日 (日)

路上観察:横浜・山下公園から新港埠頭へ(2009年5月31日)

 山下公園前海面では「第16回横浜ドラゴンボートレース」が開催されていました。コースは山下公園の大桟橋寄りからスタート、氷川丸手前がゴール。1レースは3艇で。実際に見るのは初めてです。スタートした直後に90度曲がって他艇にぶつかりそうになったりする光景もありました。が、決勝になるとさすが実力伯仲、見事なレースでした。
 なお、6月6日9:00~、7日8:30~も実施されます。プログラムによると、7日にはインターナショナルチャンピオンカップと銘打ったレースもあります。03
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 象の鼻地区はまだオープンしていませんが、桟橋には既に豪華なクルーザーが停泊していました。一番手前はパナマの「PENSHIP 101」、美しいクルーザです。
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 赤レンガ倉庫付近ではサンバチームの演奏していました。何組ものチームがまっていました。何かのフェスティバルでしょうか。
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 新港埠頭ではメキシコ海軍帆船「クワウテモック」が一般公開されていました。国際信号旗を連ねた満船飾、歓迎の意味でしょうね。きれいなデッキでした。インディアンのフィギアヘッドが力強い印象を与えます。
 なお一般公開は6月5日まで、各日10:00~17:00。
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 隣では防衛省ホストシップ「しらゆき」も一般公開されていました。護衛艦を含め軍艦内に入るのは初めて。その目的からして、威圧感を感じます。甲板上の速射砲、対空ミサイルや対潜水艦ミサイル、こういうものが使われないことを祈るばかりです。
 なお一般公開は6月5日まで、各日10:00~17:00、ただし2日は午前中のみ。
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 横浜の港未来地区から山下公園では色々な催しをしていることが多いです。お出かけ下さい。

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2009年5月27日 (水)

白想:鯖姿寿司

 会社から帰ると、京都「いづう」の鯖姿寿司がテーブルにおいてありました。息子が出張帰りに京都駅で途中下車して買ってきたとのこと。土産にしては安くないのですが、他はともかくとして、親の好みを買って帰るのは親の教育の成果でしょうか。

 祇園巽橋近くの店で食事をしたり、土産を買いに何回も行きました。他の店もあるのですが、尼崎居住時代に京都と言えば洛東方面に出かけることが多かったので、必然的に鯖寿司は「いづう」なりました。鯖寿司を時々食べたくなるのですが、何でも良いわけではありません。

 京都で鯖と言えば、若狭から鯖街道を通って運ばれてきたそうです。現在の福井県小浜市から京都市左京区出町柳まで、小浜では「京は遠ても十八里」と言われるそうです。歩きで1泊の行程のようですが、1日九里、36Kmはちょっときついですね。もっと長い距離を歩いたこともありますが過去の実績は何の役にも立ちません。もう一度鍛えなおさなければ実行不可能です。いつの日にか決行したい。

 京都ついでですが、愛宕山にもう一度登りたいと思っています。嵯峨野の北西に位置する愛宕山。「伊勢に七度、熊野に三度、愛宕さんへは月参り」と言われるそうです。京都の人にはおなじみでしょう。頂上の神社に雪囲いがあって驚いたことを思い出します。それと行きそびれている大文字山。京都の町を見下ろしたい。

 夏も近いです。祇園祭りのころなら「はも寿司」。二人でディナーにいけそうな値段ですが、年に一度の贅沢は許されるでしょう。また出張の機会があると良いですね、息子よ。

 

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2009年5月26日 (火)

路上観察:鎌倉十二所神社・天園から円海山へ(2009年5月23日)

 鎌倉十二所神社から天園へ、少し戻るようにして円海山へ向うハイキングコースです。暑い日でしたが緑陰の中を進むのでさわやかな印象を抱きました。

 十二所神社から天園に向う途中までは余り特徴のない道で、一部鎌倉霊園内を通させてもらうことを考えると、瑞泉寺経由のコース選択が賢明かと思います。

 詳しくは「変様する港街から・Web版」を参照願います。「トップ」から「路上観察」に進んでください。当日のルートなどを添付してあります。

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2009年5月24日 (日)

白想:常識って!?・裁判員制度

 2009年5月21日に裁判員制度がスタートしました。付焼刃ですが少し調べたりしています。常識に成り得ていませんが次のようなことを考えています。  

 

 裁判員制度が開始されるにあったての法務大臣談話の一部。『この制度は、国民の皆さんから選ばれた裁判員の方に、裁判官と一緒になって、被告人は有罪なのか、有罪ならどのような刑にするのかを決めていただく制度です。』

 推定無罪の観点から言えば、被告人はなぜ無罪でないか、と言う方が正しいように思います。意図するところは同じかも知れません。しかし、合理的な疑いを入れない程度に証明されない限り無罪なのですから、無罪を起点に物事を考える必要があると思います。

 

 同じく法務大臣談話の一部。『この制度により、皆さんの視点や感覚が裁判に反映され、司法が身近になり、司法に対する理解や信頼が深まることが期待されます。』

 司法が身近になるということは一部肯定できます。私は裁判関係の何冊かの初歩的な書籍を購入しました。今2冊目の読了に近づいています。裁判員制度がきっかけとなっったのは確かです。しかし、裁判に近づきつつあっても、司法全体が身近になったとは思っていません。

 裁判員制度の対象となる事件も司法を身近にするとは言い難いものがあります。職業裁判官の判断の方が適切だと思えます。でも、なぜ裁判員制度が生まれたか、それ以前の問題点をはっきりさせていないように思います。

  裁判員の視点や感覚が裁判に反映されたとしてそれは何を解決するものか、職業裁判官に不足するものがあるとすればそれは何か。特に後者がよく判りません。いずれにしても、疑わしきは容疑者の利益に。それが後退してはいけないでしょう。

 今後、三権分立におけるの司法の役割なども再確認する必要があるように思います。立法府・行政府に対して互角でしょうか。腰が引けていないでしょうか。

 

 法務省HPの一部。『国民が裁判に参加する制度は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど世界の国々で広く行われています。』

 参加するという部分は同じかもしれません。表決方法など、他の部分は異なるようです。参加するとの部分で制度全体が同じとは思えません。誤解を与えなければ良いですけど、与えてしまいそうです。

 

法務省裁判員コーナー
法務大臣談話・裁判員制度スタート!
日弁連裁判員制度

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2009年5月17日 (日)

美術:BankART Studio NYK「原口典之展 社会と物質」

  会期    2009年5月8日(金)-6月14日(日)
  会場    BankART Studio NYK全館(神奈川県警本部横)
  開館時間  11時30分-19時00分
  入場料金  一般 900円
  鑑賞日   2009年5月16日
  公式HP  http://www.bankart1929.com/

 

 エレベータで3階に上がり、第1室で目にするものは「Phantom」。戦闘機後部をアルミ板で造形したもの、恐らく原寸大。下部にぶら下がる棒状のものは空母に着艦する時のフックだろう。機械的な美しさを感じ、同時に頭上に飛来した時の恐怖が沸き起こる。
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 部屋の残り半分に「A-4E Skyhawk」、同じく戦闘機後部だが材質は木(合板?)。用途は同一でも印象が変わる。材質で受ける印象は随分異なる。材質の影響があるとすれば、様々な情報媒体を経由して伝わる戦争のイメージなどは大きくデフォルメされているだろう。そんなことを思った。

 第3室には機械油の匂いが漂よう。「Oil Pool」は床に置かれた巨大な金属製バットに機械油が満たされている。黒く見えるのは既に使い込まれているのだろう。油面はゆらぎもせず鏡面の様に周りの光景を映し出す。思考を停止して見いってしまう。
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 1階ホールには巨大な「Rubber」。何かのタイヤの中古かとも思った。しかし余りにも巨大だ。自分の思考を逸脱した何かには畏怖の念が思い浮かぶ。工業的な手法で作られたものであっても。
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 2階には「Color Relief」「Work on Paper」。そして制作場所である「Studio 201」。多くの電動工具、木片、壁面に張られた図面。

 会場は旧日本郵船倉庫、2008年横浜トリエンナーレのための改修で随分ときれいになってしまった。しかし、様々な資材が入り、保管され、そして出て行った場所である。かって産業現場であった広い空間に負けない作品に対峙すると、まずは叩きのめされるような思いがする。物質文明について考えるのは後からでも良い。まずは体験すること。それが重要だと思った。

 散歩がてらもう一度出かけよう。

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美術:横浜美術館「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」

  会期    2009年3月20日(金)~5月27日(水)
  開館時間  10時-18時、金曜日は20時(入館は閉館の30分前)
  休館日   木曜日(祝日は除く)、木曜日に祝日開館した場合はその翌日
  入場料金  一般 1000円
  鑑賞日   2009年5月16日(4回目)
  公式HP  http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2009/exhibition/kaneuji/

 軒先からツララが垂れ下がり、深い雪に覆われた建物。「White Discharge(建物のように積み上げたもの #4)」からそのような印象が湧き上がります。建物は直線で表現できる工業的な生産物でなく、空に高く尖塔を突き出した城あるいは未来都市か。
 建物を構成するものは身近に見られるプラスティック製の日用品など。雪は石膏。

 金氏(かねうじ)のインスタレーションを初めとする全ての作品から、圧倒的に迫ってくる印象はない。親しみを感じる。あるいは文明批評を感じる。

 エスカレータで二階展示室に上がると、そこはカーペットを取り去った向き出しのコンクリート床。部屋の入り口頭上にはプラスティックの鎖、石膏による雪がかかりツララが下がる。安っっぽい感じのなかに、一瞬、豪華さも感じる。まがいものの豪華さを。

 部屋に入れば、白い油絵の具で描かれた骨格見本のような作品。鉛筆描きのにゅるにゅるした連続の線が四面の壁に繋がる。床にはインスタレーションや素材(作品?)。広々とした感じは好ましくも感じるが、あるいは作品が少ないか。

 他にコーヒーをこぼして出来た染みを元にした作品、ビデオインスタレーション。最後は随分と広がりのある作品だ。自分でもやってみたくなる。横浜美術館での滞在制作作品も含まれる。

 子供さんを連れて行けばとても喜びそうな気がする。夢を与える気がする。まねはすぐ出来るから。

 別に金氏が安っぽいといっているのではない。身近な素材を以って現代が抱える問題を提起していると感じる。作品との距離が遠い現代美術の作品も少なくない中、とにかく現代美術を身近に感じさせていることは特筆して良い。

 金氏はまだ若い、30少し過ぎたところである。前途有望であることは確かだろうが、大掛かりな個人展は始めてのようだ。この展覧会を企画した横浜美術館も賞賛されて良い。
 書きそびれていて残る会期も少なくなってしまったが、一度足を向けては如何でしょうか。

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2009年5月16日 (土)

白想:常識って!?

 常識とは、手元の辞書によれば、ふつの人が共通にもつ知識や理解力。または判断力。
 でも「ふつうの人」ってどんな人、「共通にもつ知識や理解力」ってどんな内容なの、とより疑問は深まります。

 高度情報化や技術進歩など社会状況の変化が作り出す常識のようなもの、常識に至る前の混沌とした状態の理解はなかなか難しい。いま私は、脳死、裁判員制度を意識しています。これらはふつうの人が直面する課題です。しかし、共通に持つ知識や理解力はまだ形成されているとは言い難いと感じています。

 脳死は今、国会で議論再燃です。人の死は、心臓停止・呼吸停止・瞳孔散大の三兆候で認識できます。これが常識です。しかし脳死状態の人は、息をしているし、心臓は脈打っている。ふつうの人には死を実感できにくい。
 1980年代半ばでしたか、議論沸騰した時期があります。私は「立花隆著・脳死」ほか無作為に5・6冊の本を読んでみました。私なりに下した結論は、限定的に認める、今で言えば現状是認でした。現状に近いと思います。

 裁判員制度は制度そのものに疑問を抱きます。しかし、義務を果たす状況に至ったとき、客観的に思考できるかとの思いがあります。「そしてこれより、事実と虚構を識別していくのが諸君の義務であります。一人の人物が死に、そしてもう一人の生命は、諸君の評決にかかっています(十二人の怒れる男・ローズ著・額田やえこ訳)」。このような場面に直面する、その時に私はいかなる常識を持っていれば良いのでしょうか。広義に言えば問題解決能力だと思うのですが。

 一口に常識と言いますが、随分と難しいことが求められつつあるように思います。皆さんはどのように思いますか。

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2009年5月10日 (日)

演劇:酒神・ディオニュソス

 演出   鈴木忠志
 原作   エウリピデス
 美術   戸村孝子

 出演   テーバイの王・ペンテウス  新堀清純
      ペンテウスの母・アガウエ  内藤千恵子
      ペンテウスの祖父・カドモス 蔦森皓祐
      ディオニュソス教の僧侶   竹森陽一、他4
      ディオニュソス教の信女   高野綾、他2

 会場   静岡舞台芸術公園・楕円堂
 公演   2009年4月25、5月2・9日
 鑑賞   2009年5月9日 15:30~

 物語は省略する。興味あればこちらを参照頂きたい。

 酒の神・バッカス、異称をディオニュソス。しかし、タイトル・ロールであるディオニュソスが舞台に現われることはない。現われれば観た範囲に留まる、現われなければいくらでも想像が膨らむ。香り付け、観客の器が試される。

 現われないディオニュソスを具現するのは、その僕である5人の僧侶。前半、ディオニュソスを神と認めようとしないテーバイの王ペンテウスと対峙する。

 ペンテウスと5人の僧侶の言葉の行き来が見所(聴き所)、他では観られない緊張感ある場面が展開された。強いて言えば5人の僧侶のアンサンブルに多少のずれを感じた。個々の身体表現の次に来る何かと思うがうまくは説明できない。中堅層の活躍を期待したい。

 女装したペンテウスは僧侶に案内されて山に分け入り、そこで僧侶に斬り殺される。ペンテウスの周囲を駆け回る僧侶の動き、それまでの抑圧された動きからすれば疾風のごとし。伝統芸能を思わせる。

 後半、アガウエが首をつかんで現われる。僧侶に斬り殺されてこの場面に至るには多少の飛躍が必要だ。が大したことではない。

 アガウエとカドモスの言葉の行き来も見所(聴き所)。狂気の信女から子殺しに気付いて母親に戻る。前半に比べて多少テンションが下がったように思う。流れからして仕方ないか。

 鈴木忠志演出のディオニュソスを今までに何回観たことか。ようやく、いやまだかも知れないが、少しは客観的に観られるようになった気がする。同一演目を繰り返し観られることは幸せだ。音楽にしろ、バレーにしろ、伝統芸能にしろ、当たり前のことが演劇の世界では珍しい。無いとはな言わないが。
 自分の変化に気付く。

 劇場・楕円堂は始めてであった。触れておく。
 多目的に利用できるようだ。エントランスから3階分ほど降りたところが舞台。斜面に半地下構造のようだ。当日の配置は、ゆで卵を二分したその断面で例えれば、黄身と白身半分が舞台、残る白身が客席。舞台後方に5箇所の楽屋口。興味深い構造である。ただしディオニュソスは言葉に重きがある。多少の難を感じた。

 私の座席は最も下手。配置上、役者の半分が真後ろと言わないが、それに近い状態になる。そのためか、声がくぐもって不鮮明な感じだった。座席を変えて体験しないと明確にはならないが。
 ダンスなど、身体表現主体の出し物にうってつけかもしれない。

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2009年5月 9日 (土)

音楽:荒井由実讃

 三十一文字ならぬスローバラードによる晩歌、荒井由実の「ひこうき雲」を聴いての思いです。

 荒井由実のアルバムを揃えようと思っていました。ストックにLP盤の「流線型'80」「紅雀」がありました。が既に松任谷姓。よってその前、1976年までの「ひこうき雲」「MISSLIM」「COBALT HOUR」「THE 14th MOON」が荒井姓によるアルバムになります。過去にカセットテープで何本かを入手しましたが既に存在しません。

 揃えようとの思いは、最新アルバム「松任谷由実・そしてもう一度夢見るだろう」を聴いて確固たるものになりました。CDショップで探したら、4枚のアルバムとその間のシングルを集めた「Yumi Arai 1972-1976」というセットがありました。ばらで揃えるよりは手っ取り早いので直ちに入手。
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 「ひこうき雲」の以前の印象はそれほど強いものではありませんでした。「空に憧れて 空をかけて・・」を含む4フレーズは記憶に残るのですが。
 この度アルバムを順に聴いての思いが冒頭の一行になりました。

 当時20歳になっていなかったであろう荒井由実が、この曲を書き上げた理由を詳しく知りません。きっかけはあったのでしょうが、若い命をひこうき雲に置き換える感性。そう言えば風に置き換えた歌が少し前に流行りました。しかし、ひこうき雲のほうが飛躍しているように思います。天性の才能でしょう。

 何か凄い曲だと、四半世紀以上を経てそう思いました。曲が変化しない以上、自分が変化しているのでしょう。死生感というより、死もおぼろげに見えてきました。同窓会名簿などを見てつくづく感じます。ようやく「ひこうき雲」の世界が判ってきた私は随分と晩生だと思いました。あるいは感性が不足している。

 アルバムの最初にバンド伴奏の「ひこうき雲」、最後にが一部分ですがピアノ伴奏の「ひこうき雲」。ピアノ伴奏がシンプルで気に入りました。途中、声を詰まらせたと感じられる部分があります。自身のピアノでしょう、感極まったと私は思うのですが。ピアノ伴奏が収まったCDがあれば入手したいと思いました。

 他の曲も懐かしいし、今なお新鮮な感じがします。

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2009年5月 7日 (木)

音楽:神奈川フィル第253回定期演奏会 後日談

 2009年4月25日・横浜みなとみらいホール・金聖響・神奈川フィルハーモニー管弦楽団によるハイドン:交響曲代101番「時計」とベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」のプログラム。「金聖響常任指揮者就任披露公演」と銘打った演奏会で、プロとはこういうものなのかと感じました。公開練習に出かけられていたら、よりその思いを深くしたかも知れません。

 さて1週間ほど前に神フィルから大型の封筒が送られてきました。開けたら金聖響のサイン色紙が出てきました。アンケートに記入、色紙希望の項目にチェックしたと思います。当選するとも思っていなかったのですが。
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 定期にしろ特別にしろオーケストラの演奏会は本当に久しぶりでした。プレトーク(金聖響)あり、終演後に定期会員対象に小パーティがあったり、果ては色紙。これでも一部と思いますが、実に色々なサービスをしていると感じました。

 小パーティの挨拶で理事長だかが、資金繰りが苦しい、とも言っていました。メセナとか、フィランスロピーが、社会情勢の影響を受けてしまうものなのですね。それどころではないと言われればそれまでですが。オーケストラの運営もなかなか大変なことと改めて思いました。過去に大変でなかったことなどないでしょうが。

 東京圏にいくつオーケストラがあるでしょうか、10以上。思い立って地元の神フィルの定期会員になりました。こうなれば足繁く通うことにします、他に応援できることはなさそうなので。がんばれ、神フィル。

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2009年5月 5日 (火)

路上観察:横浜最高峰大丸山から能見堂緑地へ(2009年5月3日)

 横浜最高峰大丸山に足跡を残し、氷取沢市民の森周辺のみどりを楽しみました。
 京急金沢八景駅下車、バスで森の家前まで移動、そこから歩きます。関谷奥見晴台、大丸山、瀬戸の広場などを経由してのんびり半日ほどを自然の中で過ごしました。途中で道を間違え、最後は六国峠ハイキングコースを下って京急金沢文庫駅に出ました。逆コースで鎌倉方面に向う方も少なくありません。

 詳しくは「変様する港街から・Web版」を参照願います。「トップ」から「路上観察」に進んでください。当日のルートなどを添付してあります。

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2009年5月 3日 (日)

路上観察:横浜・称名寺市民の森から称名寺へ(2009年5月1日)

 京急金沢文庫駅下車、称名寺裏山になる称名寺市民の森を巡ってから称名寺に向います。
 大きな池にかかる赤い欄干の反橋・平橋を前景に、今しがた歩いてきた裏山背景にした穏やかな姿の金堂が見られます。隣接する神奈川県立金沢文庫は歴史の宝庫です。
 称名寺から京急金沢八景駅に向いますが、途中で明治憲法起草地碑を眺めます。

 詳しくは「変様する港街から・Web版」を参照願います。「トップ」から「路上観察」に進んでください。当日のルートなどを添付してあります。

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2009年5月 1日 (金)

読書:最近の読書から(2009年4月後半)

4.『利休にたずねよ』
    山本兼一著、PHP研究所、1800円(税別)

 

4.『利休にたずねよ』

 死を目前にして利休は点前の手を止めない。京・聚楽第・利休屋敷一畳半、切腹の見届け役である三人の客を前にして。過日、秀吉の使者が伝えた死賜の理由は二つ、大徳寺山門上に安置された利休木像が不敬、茶道具を法外な高値で売りつけている。利休にすれば言いがかりもはなはだしい、謝る筋合いなど何ひとつない。
 秀吉と利休、対峙するは力と美。秀吉は力にかしずくべきと考え、利休は力にかしずく思いは無い。行き着く先に利休の死がほのかに見える。
 しかし既に利休の死は提示された。残るは謎解き。読み手が納得できる明確な理由にたどり着くか。できれば小気味良く進んで欲しい。
 明確な理由に至るか否か、そのことに言及しない。
 しかし展開は小気味良い。400ページ余の長編を一気に読みきった。24からなる各節の主人公・時間・場所・小主題を明白にしたことが大きく寄与している。全ての小説に通じる訳でもないが、ここでは大きな効果を発揮する。あるいは時間を逆行させる展開に必須かも知れない。
 史実に基づくか否かは別にして、一つの利休像が形成される。秀吉が恐れたのは、利休の美による権力の増長でなかったか。美の力はそれほど強いか、強くさせる何かがあったか。
 蛇足である。確固たる信念はないし、この小説に限っての言及でもない。が、何となく文体が軽い。もし50年前に書かれたら、いや100年前に書かれたとしたら。「・・・利休が茶における、その貫道するものは、一なり」。美しい物語には拡張高い文体が欲しい。
 が、それはそれとして実に面白い時代小説に仕上がっている。謎解きを楽しまれたい。

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