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2009年5月 1日 (金)

読書:最近の読書から(2009年4月後半)

4.『利休にたずねよ』
    山本兼一著、PHP研究所、1800円(税別)

 

4.『利休にたずねよ』

 死を目前にして利休は点前の手を止めない。京・聚楽第・利休屋敷一畳半、切腹の見届け役である三人の客を前にして。過日、秀吉の使者が伝えた死賜の理由は二つ、大徳寺山門上に安置された利休木像が不敬、茶道具を法外な高値で売りつけている。利休にすれば言いがかりもはなはだしい、謝る筋合いなど何ひとつない。
 秀吉と利休、対峙するは力と美。秀吉は力にかしずくべきと考え、利休は力にかしずく思いは無い。行き着く先に利休の死がほのかに見える。
 しかし既に利休の死は提示された。残るは謎解き。読み手が納得できる明確な理由にたどり着くか。できれば小気味良く進んで欲しい。
 明確な理由に至るか否か、そのことに言及しない。
 しかし展開は小気味良い。400ページ余の長編を一気に読みきった。24からなる各節の主人公・時間・場所・小主題を明白にしたことが大きく寄与している。全ての小説に通じる訳でもないが、ここでは大きな効果を発揮する。あるいは時間を逆行させる展開に必須かも知れない。
 史実に基づくか否かは別にして、一つの利休像が形成される。秀吉が恐れたのは、利休の美による権力の増長でなかったか。美の力はそれほど強いか、強くさせる何かがあったか。
 蛇足である。確固たる信念はないし、この小説に限っての言及でもない。が、何となく文体が軽い。もし50年前に書かれたら、いや100年前に書かれたとしたら。「・・・利休が茶における、その貫道するものは、一なり」。美しい物語には拡張高い文体が欲しい。
 が、それはそれとして実に面白い時代小説に仕上がっている。謎解きを楽しまれたい。

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コメント

確かに文章は軽いかもしれないですね。
何と言っても直木賞なので読み易いというのは大きなポイントだった気がします。
そして、やはり敬遠されがちな時代ものを多くの人に読ませる力があったと思います。
ところで、三島由起夫の「金閣寺」を読み終えて、こんなに面白かったかと驚いています。ちょっと理屈っぽいので、これは敬遠されるでしょうね。
総体的に男性は理屈で説明ができないと納得がいかないのかな、と思ったりもしています。

投稿: strauss | 2009年5月 4日 (月) 20時12分

 めずらしく一気に読みました。物語のきっかけも納得できます。面白かったです。謎解きなので結末には触れませんでした。多分、文体に触れたのはその謎解きに関連します。異国の高貴な女性と話し言葉は通じなくても書き言葉は少し通じた、そのことが印象に残りました。東アジアは漢字文化圏、しかし最近は言葉が随分と簡単になったとの思いがあります。私自身も相当危ういです。
 一昨日、古いかばんに新聞の切抜きを見つけました。2001年当時のもので、三島没後三十周年で演劇の上演が相次ぐ。言葉の美追求とか言葉の海の見出しが目に付きます。サド侯爵を観るので本を読みました。確かにそのような印象は抱きました。ただサド以外を読んでいません。

投稿: F3 | 2009年5月 5日 (火) 22時40分

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