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2009年4月26日 (日)

読書:最近の読書から(2009年4月前半)

1.『現な像』
    杉本博司著、新潮社、2400円(税別)

2.『俳句という遊び』 (再読)
    小林恭二著、岩波新書169、631円(税別)

3.『俳句という愉しみ』 (再読)
    小林恭二著、岩波新書379、602円(税別)

 

1.『現な像』

 著者は写真家、世界に通用する日本人アーティストの一人。ただし私は作品の良さがまだ判らない。重厚なエッセー、話題も幅広く、その手がかりがあったような無いような。各テーマに数様挟まれた写真が美しい。
 神像のような十一面観音を手に入れて考える。署名性と作品の質とは反比例するのでないか。万人救済のために作られる仏像に署名は似合わない(神が仏になる時)。
 叔父からの見合い話に即座の断りの手紙を書く母。その手紙の返事に「井の中の蛙大海を知らず」。母のプライドを刺激し見合いに合意。自分の出生につながる不思議さを感じる(垂乳根の母)。
 28名の被告は漢詩に通じ故事に明るい教養人。日本の戦争指導者が愚昧な人たちであったとは思えない。むしろ愚昧であったのは大衆としての日本国民とそれを扇動した大新聞だったと思う(永久戦犯」)。
 映画の開始から終了までを露出して現われた映画館内の写真、肉眼で見ることの出来ない光景だ。エッセーの底流は時間か。数時間であり、数十年であり、あるいは千年に及ぶかも知れない。目の前の光景を写すと思われる写真、いや人の見えない光景を見られるようにするのが写真家かも知れない。「Time exposed」、判ったような判らないような。作品理解に至る道のりは長いが一歩進んだように思えた。

2.『俳句という遊び』 (再読)
3.『俳句という愉しみ』 (再読)

 句会録、両者の間に4年ほどの歳月が流れる。俳人は半数が入れ替わっている。いずれも一日目題詠、二日目嘱目。若手からベテランまで八名の俳人と黒子二名が作り上げた上質な時間が再現される。
 参加者はいずれも一国一城の主、その他流試合。俳人たちの緊張感が伝わる。面白い要素などありえない筈だ。しかし他流試合の相手であると同時に句会を盛り上げる仲間でもある。ちょっとした行き違いや齟齬が面白みを醸し出す。
 短詩系文学では一語、いや一文字さえおろそかに出来ない。句作そして合評、17文字に込めた思い込められなかった思い、俳人たちのやり取りは遠慮がない。実用の日本語という観点でもっとも厳しく自分を見つめている人たちだと感じる。言葉の大切さを諄々に説かれている気もする。
 そうは言いながら楽しげな雰囲気も満ち溢れている。座の隅で笑いをこらえている自分がいるように思える。気がつくとにやついていたりする。
 本が増えて一度処分したが思いなおして再購入。それも既に周囲が黄ばんできた。何度読み直したことか。万分の一でも才能があれば実作したいと思う。読むたびに一服の涼風が流れる。難しいことは脇において、もう一冊編んでくれませんか、猫鮫先生。

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