読書:最近の読書から(2009年2月)
1.『四国お遍路縛バックパッキング』
ホーボージュン著、小学館、952円(税別)
2.『回転木馬のデッドヒート』
村上春樹著、講談社文庫、400円(税別)
3.『漢字・漢語・漢詩』
加藤周一・一海途知義著、かもがわ出版、1500円(税別)
4.『ITリスクの考え方』
佐々木良一著、岩波新書1147、740円(税別)
1.『四国お遍路縛バックパッキング』
漠然と四国遍路に出かけたいと思っている。しかも歩きで。全長1200Km、1日25Kmのペースで約50日を要する。信仰以前(?)にきっちり歩けることが不可欠。
本書は著者とBE-PAL編集部編。BE-PALはアウトドア関連の書籍を多く出版する。察しはつくが歩くことにこだわる。例えば、「お遍路に限らず、歩きの基本はL(ロング)S(スロー)D(ディスタンス)。歩き服の基本もL(ライト)S(ストレッチ)D(ドライ)だった!」。「装備全重量12Kg を目標に」。
50日で歩くとすると、遍路用品、宿泊費、飲食費、納経料(88寺分)合計で40万円強。野宿すれば費用は減るけれど、市街地に野宿敵地はなさそうである。私は、遍路が実現したとして野宿する元気はないけれど。
それでも四国に足を向けるか。歩き遍路を目指すなら一読されたい。
2.『回転木馬のデッドヒート』
八編からなる短編集。何人かの話を聞いてまとめたと言う。そういう前置きからして村上の仕掛けだろう。人生は回転木馬のようにプログラムされたものに過ぎないものか。抜くことも抜かれることもない回転木馬上のデッドヒートのようなものか。しかし、読み終えると人間の機微のようなものが見えてくる。
冒頭の「レーダーホーゼン」。夫が婦人に所望した土産はレーダーホーゼン(肩紐付半ズボン)。妹が滞在するドイツ旅行は10日間の予定が1ヶ月半に。帰国後は別の妹の所へ直行、自宅に戻ることはなかった。2ヶ月ばかりして離婚届に署名捺印のうえ返送してくれとの電話。
ハンブルクから電車で一時間ほどの名の知れた店は、方針として本人がいなければレーダーホーゼンを売れないと。夫に似た体形の人を探すので何とか売って貰うことで折り合いを着ける。レーダーホーゼンを調整しているわずかの間に夫に対する嫌悪感が湧きおこる。
うまく説明できない何か、誰もが持っていそうだ。どこでプログラムが暴走し始めるのか。ドイツ旅行さえなければプログラムは正常に動作し続けただろうか。
他に「タクシーに乗った男」「プールサイド」「今は亡き王女のための」「嘔吐1979」「雨やどり」「野球場」「ハンティング・ナイフ」。すぐ隣で起きそうな出来事、その中にちょっとしたプログラムの暴走が感じられる。すぐ隣でなく、自分のことかもしれない。村上が身近に感じられる理由だ。
3.『漢字・漢語・漢詩』
加藤・一海の2004年6月の対談(約90ページ)を主に、「世界・2000年6月号掲載」の対談(約20ページ)およびその韓国語訳・中国語訳を再録した構成。さして時間を要せずに一読できるが、一言一言に納得したり、心惹かれたりする。
朝日新聞のコラム「夕陽妄語」、『読者の半分はもはや「夕陽」を読めないんだ』は加藤の嘆きだろう。漢字を読めない・間違えるは単に読めない・間違えるに留まらない。思考の道具である言語能力の低下を示す事実だろう。他人事ではないけれど。
中国語には時制がない、否定語が英語などに比べて多い、などの中国語に関する話題は面白い。
圧巻は東北アジア文化圏への言及である。100年掛ければ東北アジアに漢字文化圏が復活するだろうと言う。今、生を受ける者がその日を見ることは恐らく無いが、想像するに楽しい。ただし、その方向に進むか否かの選択は社会的課題である(為政者の漢字言い間違いも話題になる。百年に一度の危機や百年の大計に今の為政者は対応できるだろうか。荷が重そうだ)。
底流には日本語・中国語・韓国語の存続の危うさがある。世界共通語として英語が機能することは、英米文化が侵入することでもある。国語が滅びることは自国の文化が衰退することでもある。多くの人に読んで頂きたい、未来を考えるために。
4.『ITリスクの考え方』
情報セキュリティの問題か否かは別にして、偶発的なITシステム障害は社会的影響が大きい。従来のセキュリティだけでなく、プライバシーやシステムの信頼性、安全性、ユーザビリティなどの概念を含めて広義の情報セキュリティと呼ぶことも可能である。
広い意味でITシステムの安全性が失われる可能性を、著者は「ITリスク」と呼びたいと考える。工業分野では リスク=事故の発生確率×事故の影響の大きさ で表わされることが多い。著者の基本的な考え方も同様で、発生確率の概念を取り入れるべきだと考える。この考え方に沿ってITリスクの概説、対応が開陳される。
パソコン利用者の多くに読まれて良いと思う。しかし、著者の責任では無いけれど大半のパソコン利用者は理解困難と思う。概説書だが用語・内容は聴きなれない。
パソコンの普及はコンピュータ利用を容易にしたけれど、それに伴う利用者の責任が鮮明になっていない。鮮明にするのは誰の役割か、難しい課題だ。
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