« 白想:女人高野室生寺 | トップページ | 音楽:F.J.ハイドン「オラトリオ・天地創造」 »

2009年2月 3日 (火)

読書:最近の読書から(2009年1月後半)

4.『日本語が亡びるとき』
    水村美苗著、筑摩書房、1800円(税別)

5.『いのちなりけり』
    葉室麟著、文芸春秋、1500円(税別)

6.『納棺夫日記・増補改定版』
    青木新門著、文春文庫、467円(税別)

7.『疑似科学入門』
    池内了著、岩波新書1131、700円(税別)

 

4.『日本語が亡びるとき』

 示唆に富んだ内容で興味深い。ただうまく整理できない。近々、再読してからまとめる予定である。

5.『いのちなりけり』

 時代物、純愛物語か。名ばかりの夫婦の描かれ方に疑義は残るが。
 しかし夫婦が翻弄される時代背景・人間関係の描かれ方は実に面白い。天下の副将軍・水戸光圀は将軍綱吉との関係に緊張を強いられている。将軍綱吉は朝廷との対立が重苦しい。佐賀鍋島家はその昔、竜造寺家から実権を略奪、鍋島家に組み込まれた竜造寺家と確執が残る。
 竜造寺家系の名門天現寺家の一人娘咲弥、若くして先夫を亡くす。跡取りが欲しい父は下級武士・雨宮蔵人との再婚を命ずる。咲弥は三回忌も済まないと拒むが父に押し切られる。蔵人が婿入りしたその夜、咲弥、「蔵人様がこれぞとお思いの和歌を思い出されるまで寝所をともにいたしますまい」。
 ある日、蔵人は上意打ちの命を受け妻の父を狙うが、父が殺害された後に行方をくらます。咲弥は水戸藩に預けられ奥女中に。
 17年を経て夫婦再会、蔵人は「春ごとに花のさかりはありなめど あひ見むことはいのちなりけり」。一人の下級武士の生き方が興味深い。しかし二人を結びつけるものは何か、私にはそれがつかめない。蔵人若かりし頃の出来事、これぞと思う和歌、それだけで私は納得できない。
 しかし葉室麟、初めて読んだがなかなか興味深い作者だ。

6.『納棺夫日記・増補改定版』

 死体を棺に納めることが納棺。それを生業とするのが納棺夫、著者の造語のようだ。
 著者の体験と洞察が三部構成にまとめられている。一・二部で納棺夫が見た死体を取り巻く人たちの言動、そこから導き出される職業感。三部で著者の宗教観、特殊な職業がその形成に大いに関係したと思える。
 日記と言いながら日記の体裁をとらない。宮沢賢治「永訣の朝」を始めとして引用も多く、どのようなジャンルに属するかとの疑問が湧く。三部の内容がそれまでとかけ離れている。しかし読了して胸に残る圧倒的な何か、それは何なんだろうか。
 誰もが避けられない死、職業観、私たちは深く考えることを遠ざけてしまったのではないだろうか。
 15年ほど前に一読した。増補改訂版でも本質的な部分の受け止め方に変化は無い。地方で出版されたこの本は短命ではないかと思った。しかし、いまや書店に平積みされている。映画「おくりびと」のモチーフになったからとも言われる。そうかもしれない。しかし読んだ人の琴線を振るわせるだろう。さらに多くの人に読んで頂きたい。

7.『疑似科学入門』

 科学の時代と言われながら多くの非合理がまかり通る。それで人生を棒に振り、財産を失い、果ては命を失う人も多い。著者は、科学者としてこのような状況に警告を発する役割もあろうかと思う。
 疑似科学を三つに分類・定義する。
 第一は、占い系(お御籤、血液型など)、超能力・超科学系(スピリチュアルなど)、「擬似」宗教系。第二は、科学の援用・乱用・悪用。例えば、科学的法則に反する主張、科学的根拠不十分な言説、確率・統計の恣意的利用。第三は、「複雑系、例えば地球温暖化」ゆえに科学的証明が困難で、真因を曖昧化。疑似科学と真性科学のグレーゾーン。
 どう対応するか。疑似科学は廃れないとを認識する、正しく疑う心を持つ、疑似科学を勉強しておく、予防措置原則すなわち安全サイドに立った手を打つことの重要さを認識する。
 これらを言い換えれば科学的な態度を身に付けることになる。いざという時にも冷静沈着な判断ができるように。心しよう。

| |

« 白想:女人高野室生寺 | トップページ | 音楽:F.J.ハイドン「オラトリオ・天地創造」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 読書:最近の読書から(2009年1月後半):

« 白想:女人高野室生寺 | トップページ | 音楽:F.J.ハイドン「オラトリオ・天地創造」 »