演劇:SPAC・ハムレット
演出 宮城聰
作 シェイクスピア
翻訳 小田島雄志
音楽・演奏 棚川寛子
仮面デザイン 緒方規矩子
仮面制作 遠藤啄郎
衣装 竹田徹・伊藤美沙・諏訪有美
照明 川島幸子
美術 彦坂玲子
出演 ハムレット 武石守正
クローディアス 高橋等
ボローニアス 牧山祐大
ガートルード 瀧井美紀
ホレーシオ 植田大介
オフェーリア 布施安寿香
レアティーズ 野口俊丞 他
会場 静岡芸術劇場
公演 2008年11月 9,15,16,22,23,24日(時間は各日異なる)
鑑賞 2008年11月 9日 15:00~16:40 O-24席
宮城聡は、「若き観客へ」と題する小文中で次のように語ります。
『いったん「世界から切り離されてしまった」人間が、はたしてもういちど、世界と和解することができるのでしょうか?それを考えることが「ハムレット」を見る楽しみだろうと僕は思います』と。
宮城聡の答えは幕切れで見事に暗示されます。多少、付き過ぎの感がないでもないけれど。
狂気を装うも凛々しいハムレット、狂気に陥ってなお清々しいオフェーリア。1時間40分に凝縮された舞台は、終始心地よい緊張感を持続します。「若き観客」でなくとも充分に刺激され、そして堪能しました。
以下、内容に言及します。
舞台中央に敷かれた目検討で3間四方の白いじゅうたん。下手後方が少し吊られてめくれています。このじゅうたんは証明で色彩を変化させ、場面場面を転換していきます。
じゅうたんの上に散らばる何か、確認できませんが恐らくサイコロ。ホリゾントには天井に届かんばかりの黒い大きな柱が数本。薄い金属板を丸めて上方で固定した等身大の置物が五つ六つ。上手後方に演奏者。
簡素だけど美しい衣装。舞台は東南アジアに設定されていると感じられます。その感じは、ガムラン風の音楽が生で奏でられることで確固たるものになります。なぜ東南アジア、戦火の絶えないアフガニスタンやイラクが意識されているのでしょう。
真下に向けたスポットライトにハムレットが浮かび上がります。5幕20場(*1)のハムレット、最初の4場を省略して5場あたりから始まりました。父の亡霊にめぐり合ったところから。
武石は朗々としてなお口跡鮮やかにハムレットを演じます。翻訳され凝縮されてなお美しく響く言葉。シェークスピア劇に欠かせない要素です。
布施は現代口語演劇風の気負うことなく淡々とした発声で清々しいオフェリアを演じます。薄い白布に仙崖を思わせる筆太の黒丸が縦に三つ(?)、シンプルなデザインの衣装が清々しさをより増します。
ハムレットとオフェリアのバランスが何とも素晴らしい。
幕切れ、間違って水死したオフェリアの屍を傍らにして、ハムレットとレアティーズの剣の試合。先制したハムレットにクローディアスは毒酒を献じますが、代わりに飲んだガートルードが倒れます。剣でハムレットは傷つき、奪った剣でレアティーズも傷つけます。剣に毒が塗ってあることを知ったハムレットは、その剣でクローディアスを刺して(*2)しまいます。
薄い金属板を丸めた等身大の置物は実は人形で、命果てるときに抱えて倒れます。大音響とともに崩れおちる生涯。
しかし、残った毒酒を飲み干したホレーシオ(*3)が倒れても人形は屹立したまま。
JAZZが流れ、太平洋戦争後のラジオニュースを思わせる断片が響きます。2発の原爆を投下され、無差別爆撃で焦土と化した敗戦、そこから憎しみを乗り越えて立ち上がった日本。
宮城聡は、悲劇を乗り越えてなお続く人間の営みの答えをそこに見いだしたようです。古典が現代につながる一瞬です。
衣装、音楽、旅芸人が付ける仮面など、それらから横浜ボートシアターの舞台が思い浮かびました。仮面制作は遠藤啄郎ですが、横浜ボートシアターと何らかの関係があるのでしょうか、気になっています。
(*1) ハムレット シェイクスピア作・野島秀勝訳 岩波文庫
(*2) 毒酒を飲まされたようにも記憶する。(*1)では刺されるが
(*3) (*1)では生きてハムレットの遺言を伝える
もう一度見る機会があれば、必要に応じて修正します
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コメント
F3さん、ようこそ静岡へ!
そして「ハムレット」観劇、おつかれさまでした。
美しい舞台でしたね。
装置も衣裳も照明も、華美なものは一つもないのに、研ぎ澄まされた刃のような、機能的な美を感じました。背後の闇から沸き出てくるように役者たちが登場してくるオープニングは、幻想的でとても印象に残りました。
仰るように、アラブ風の衣裳デザインや、アジアの香りのするパーカッションの演奏など、様々なところに、宮城さんのメッセージが折り込まれていたような気がします。
特に、最後の場面は、正直、意表をつかれました。あまりに唐突で、強引な力技のように思われたのです。でも、こうして数日経ってみると、少し印象が変わってきました。一つの時代が悲劇とともに終わっても、そこから新たな始まりがあることを、暗示していたのかもしれませんね。
明るい兆しを感じさせる幕切れだったように思われてきました。
投稿: さらら | 2008年11月12日 (水) 21時07分
さららさん、お疲れ様でした。ゆっくりお話もできませんでしたが。
当日券の確認をしたら発売するとのこと、朝に予定変更してました。結果良しです。
確かに数日過ぎて印象も多少は変化します。特に幕切れをしっかり目に焼きつけていないので、できればもう一度観たい。さらに印象は変化するでしょう。
舞台上方に英語台詞(と思う)が投影されていました。それが最後に日本語に変わりました。舞台に目が行ってたので読めなかったのですが。まあ、強引に宮城聡の考えを開陳されたとも思えます。それを肯定できるか否か、それこそ”To be, or not to be. that is the question. "。そういう意味もあるでしょうかね。とすればさらに興味深いですね。私は肯定側に傾いています。
次の日から、野島訳を読み出しています。舞台は小田島訳がテキスト、これは購入したので次に読むつもりです。今の年になったから楽しく読めるかと、私は晩生です。
まことに刺激の多い舞台、衣装・美術などスタッフにもブラボーですよね。
投稿: F3 | 2008年11月13日 (木) 23時41分
確かに、私ももう一度観たい、いいえ、何度も観たい舞台です。幸いに、まだ始まったばかりなので、きっとチャンスはあることでしょう。
F3さんも、ぜひ!昨日お会いしたstraussさんにも、強くオススメしておきました。
ラストの字幕の変化、全く気がつきませんでした。客席には外国人の姿もありましたので、字幕はそのためかと単純に思っていたのです。そのあたりも、もう一度確かめたいものです。
私も、今回は、観劇後に小田島訳を読みなおしました。「ハムレット」がこんなにも母を(母だけでなく女性そのものを)嫌悪し蔑視する物語だったなんて、舞台を観るまで気付きませんでした。このあたりには、宮城さんの女性観や恋愛観、(もしかしたら経験知!)が強く感じられるのですが、深読みしすぎでしょうか(笑)。
昨夜は「友達」を一足早く鑑賞しました。感想はまた改めて。
来週末も世田パブに行きます。
私たちは邦楽コンサート。またお会いできたら嬉しいです。
投稿: さらら | 2008年11月15日 (土) 09時30分
本日(16日)、もう一度「ハムレット」を観てきました。
今日は、思わず泣いてしまいました。
狂ってしまったオフィーリアを、兄のレアティーズが抱きしめる場面で。
それほど、オフィーリアは痛々しく哀れに見えました。
いくつか発見もありました。疑問の解けたものもあります。今度お会いした時にお話しますね。(トラムの前で待ち伏せします!)
でも、やっぱり、あのボローニアスの演技は疑問ですね~。
投稿: さらら | 2008年11月16日 (日) 21時30分
『ラストの字幕の変化、全く気がつきませんでした』。ちょっと心配になってきました。私の目は確かだったのかと。もう一度確かめる必要がありそうです。
『「ハムレット」がこんなにも母を(母だけでなく女性そのものを)嫌悪し蔑視する物語だったなんて、舞台を観るまで気付きませんでした』。私は多少異なる印象を受けました。母そのものに対するというよりは、先王に対する貞淑さの欠如に向けられていたのではないかと。そのとばっちりがオフェリアに向ったと。
『来週末も世田パブにます。私たちは邦楽コンサート』。ジャンルを問わずですね。良いものは良い、そう思います。私は地方として聴くことはありますが、純邦楽は聴いたことがありません。
投稿: F3 | 2008年11月16日 (日) 21時38分
さららさん、レスポンスのタイミングがずれました。
もう行かれましたか、素早い。
私もかなり気になっています。もう一度行かないと悔いが残りそうです。野島訳は読み終わり、かなり鮮明に流れを思い出しました。今週中に小田島訳を読み終わりたい。
来週行くことができるか、1日がかりになりますので、調整中です。
投稿: F3 | 2008年11月16日 (日) 22時01分
ぜひ、もう一度観ていただきたいと思います。
私自身、二回目は少し冷静に観られるかなと思いきや、
逆に惹きこまれて涙まで流してしまいましたから。
きっと、また違った感動が得られると思いますよ。
来静されるようでしたら、ぜひご一緒させてください。
ご連絡いただけたら幸いです。
投稿: さらら | 2008年11月17日 (月) 07時23分