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2008年11月

2008年11月29日 (土)

白想:広報誌

 目に付いた広報誌は、大抵の場合、手にして斜め読み位はします。広報誌といえども定期刊行であれば制作も簡単ではないでしょう。それを斜め読みでは申し訳ない気もします。でも玉石混交、時間の都合もあるのでしかたないですかね。

 航空会社の機内誌やJR東海の車内誌は、広報誌というより雑誌です。そういう立派なものもたまに手にしますが、リーフレットと呼べそうな10ページ程度のものも、当然手にします。

 先に記事引用したJR九州の広報誌「Please」は、出張の際に新しいものを目にしたら必ず手にします。読んでいると、仕事でなしにゆっくりと九州を旅したい気持ちが溢れてきます。長崎から五島、高千穂。別府アルゲリッチ音楽祭も一度は出かけたい。声高な宣伝はありませんけど、広報誌の役割を充分に果たしています。地域限定で誰でも手に取ることの出来ないのが残念です。

 11月に一番興味を惹いた記事はJR東海の車内誌「ひととき」にありました。
 連載の個人美術館ものがたり「ベルナール・ビュッフェ美術館」。この美術館は東名高速道路御殿場インターチェンジからさほど遠くない場所にあります。1973年11月開館とのこと、もう35年過ぎたのですね。

 当時、ビュッフェの絵が好きでした。黒い線で力強く空間を切り分けていく作風に惹かれていました。マンハッタン(ニューヨークであったか?)、カルメンなど。開館記念で、ダンテの神曲に基づく三枚の連作の展示を観に行ったのが最初で、その後何回か出かけました。ただビュッフェは多作で、どこでも見かけるようになったことからどうでも良いと思うようになりました。

 この記事を見て久しぶりに出かけてみようかとの気持ちになりました。ビュッフェ美術館も随分と拡張されているようです。

 他にも興味を惹く記事がこの号には多いです。「名作のひととき・三河安城」は人生劇場の舞台、知多半島に短期間住んでいたので行動範囲内でした。「まほろばのひかり・神社の祖型 --- 大神と石上」、山之辺の道を何回も歩きましたね。他にも。

 広報誌、これからもお世話になります。

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2008年11月28日 (金)

美術:静岡県立美術館・ロダン館(2008年11月23日)

 かねてより一度は訪れたいと思っていた静岡県立美術館・ロダン館。「SPAC・ハムレット」公演の前に立ち寄りました。

 ロダン館は楕円形で天井が高く、広々とした空間となっています。本館から向かった正面に「地獄の門」、ただし、入場した位置よりは一階分ほど低い位置がベースになっています。自然光と静寂さの中にブロンズ像が30体ほど。大理石像だと思いますが一体二体。半分を観ながら弧を描くように下りていったところに「地獄の門」、残り半分を観ながら弧を描くように上ってきたところが元の位置。

 「カレーの市民」のように大型のブロンズ像は床にそのまま置かれています。周囲に囲いもありませんので本当に間近で観ることができます。随分と大胆な展示方法だと思いますが、それだけに作品と対峙する思いが強まります。でも、観たといっているけど何を観ているのかと、見透かされているような気にもなります。
 まあ、そんなことにめげずにロダンの偉大さを感じてきました。

 インスタレーションばやりですが、具象彫刻もなかなか良い。要は、良いものは良いということでしょう。他人の評判を多少は参考にしながらも、自分の好きな作品を時々観るのも素敵だと思いました。ただ、横浜から静岡はちょっと遠いですね。

 当日は企画展「風景ルルル」開催中。一通り拝見しましたが強く惹かれるものは見当たりませんでした。
 そして、草間弥生のインスタレーション「水上のホテル」は見逃しました。場所が判りませんでした。判らないは縁がなかったのだと思いました。

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2008年11月27日 (木)

路上観察:おでんと牡丹餅

 おでんと牡丹餅、そんな組合せはありえないと思われる方は世間を知らない。世間は広いですよ。昨日、ついにその組合せを体験しました。って、それほど力むことでもないのですけど。

 場所は北九州小倉、JR小倉駅からモノレールで二駅目が旦過市場です。二駅といいながら、歩いて10分かからないほどの距離。

 駅名になるほど旦過市場は有名のようです。小さな小売店が集合した昔からあるようなマーケット。たまに店の開いているときに歩きますが、何でも揃いそうで、値段も庶民の強い味方と感じられます。

 その付近に屋台のおでん屋さんがあります。何軒かあるようですが正確には見極めていません。その一軒のビニール雨風除けを分けて入りかけます。「お酒はありませんが良いですか」と言われました。知っていたのでそのまま席に着きます。

 屋台を囲むようにして長いす、詰めて十人強が座れそうです。屋台中央からすこし右に寄せて直径80Cmほどの鍋。具は50以上入っているそうです。昨日のお勧めはロールキャベツ、つくね、いわしのつみれなど。もちろん、大根、卵、ちくわなどの定番もぎっしり。

 中央左側のガラスケースの中に、数種類のおにぎり、そして牡丹餅。

 座るとすぐにお茶が出されます。後は適当に。おでんは良く滲みていますが、薄味ですからいくつでも食べられそう。とは言いながら、10本ほどと牡丹餅二つで満腹。1500円ぐらいでしょう。

 それで感想ですけど、おでんおいしかったです。博多ねぎと言っていた気がしますけど、細いねぎの束をさっとつゆに浸したのが大変おいしかった。牡丹餅は漉し餡の極めて普通のもの。
 おでんと牡丹餅の組合せより、お酒無しでおでんを食べたインパクトの方が大きかった。

 店のご主人が言うには、お酒を持ちこんで構いませんよとのこと。裏技のようですが、私がいた時にお酒を飲んでいる方はいませんでした。

 ちなみに開店は20時、閉店は3時頃で、日・月曜が定休日。すべての屋台がそうであるかはまだ判りません。週末には子供づれのお客さんも少なくないようです。もし小倉に行く機会があれば、屋台でおでんと牡丹餅、如何でしょうか。
 

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2008年11月24日 (月)

白想:初雪や

 先日の寒波到来の際、北九州に出張中。昼頃に雪が降ってきました。とは言いながら、極めて短時間、ようやく気づく程度でした。でも、私には今冬の初雪。雪を見ると思い浮かぶ短詩系の作品があります。

 「新しき 年の初めの 初春の
     今日降る雪の いやしけ吉事」

 万葉集の悼尾を飾る大伴家持の作品。吉事を祈りながらもなんとなく寂しさを感じるのはなぜでしょうか。

 「枯れ枝を 降り越し降り越し 春の雪」

 星野立子に間違いないと思いますが、ただいま確認できていません。どなたかご存知でしょうか。名残の雪です。

 「我が里に 大雪降れり 大原の
     古りにし里に 降らまくは後」
 「我が岡の おかみに言ひて 降らしめし
     雪のくだけし そこに散りけむ」

 前が天武天皇から藤原夫人へ。後が藤原夫人から天武天皇へ。猫の額ほどの飛鳥の地で、雪の降るのが早いも遅いもないだろうに。そういうしゃれっ気がとても素敵です。

 「下京や 雪つむ上の 夜の雨」

 野沢凡兆。上五に悩む凡兆に芭蕉が付ける。「この上五よりまさる物があれば二度と俳諧を言うことはない」と言ったそうです。たった五文字にその決意。言葉は大切ですよ、どなたかへ。

 「風雑へ 雨降る夜の 雨雑へ
     雪降る夜は 術もなく 寒くしあれば・・」

 山上憶良の長歌で、これ以上は覚えられません。貧しさに思いを馳せる貴族・憶良のやさしさでしょうか。

 短詩系に詳しい訳ではありません。季節季節で思い出す歌があるかといえばそうでもないです。雪は特別かもしれません。

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2008年11月23日 (日)

演劇:SPAC・ハムレット(続)

 会場     静岡芸術劇場
 公演     2008年11月 9,15,16,22,23,24日(時間は各日異なる)
 鑑賞     2008年11月 23日 15:00~16:40 P-14席

 

 初日公演を観ていささか気になる部分もあったので、再度、静岡芸術劇場に足を向けました。多少不正確な記述を訂正しておきます。

 

 『5幕20場(*1)のハムレット、最初の4場を省略して5場あたりから始まりました』。
 1幕5場を全部割愛、ハムレットが前国王の亡霊との出会を回想する場面に変えて始まったと受け止めました。

 『剣に毒が塗ってあることを知ったハムレットは、その剣でクローディアスを刺してしまいます』。
 その上で、毒酒の入った盃を口にあて、無理に飲ませます。テキストどおりでした。

 『しかし、残った毒酒を飲み干したホレーシオが倒れても人形は屹立したまま』。
 「古代ローマ人のごとくありたい」といって毒酒の盃を手にしますが、結局は生きてハムレットの願いである悲惨な状況を語り継ぐ決意をします。ただハムレットが盃を取り上げる場面はなかった。ハムレットは既に倒れていた。テキストと多少異なります。 

 『舞台上方に英語台詞(と思う)が投影されていました。それが最後に日本語に変わりました』。
 その内容は「これほど悲惨な光景を私は見たことがない。・・・・」。・・・は読み取れませんでした。ここで私とは、ハムレットが王位を譲る敵国の若き王・フォーティンブラスと捉えるのが妥当と思います。しかし、テキストにこの言葉はないようです。

 

 これ以降は舞台の幕が降りてからの余韻です。

 <ご観劇のあとで>とする宮城聡の小文から一部を要約して引用します。
 『ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて(Embracing Defeet)」(*1)の「抱きしめて(embrace)」と言う語の用い方が絶妙と賞揚された。ダワーはシェイクスピアを踏まえてこのタイトルを付けたのか。
 ハムレットの終幕、突然にこの国を統治することになったフォーティンブラスは、敗戦直後の日本人と逆の立場で、「with sorrow I embrace my fortune(悲しみに沈みながらも幸運を抱きしめる)」と語る』。私はこの語感が同一であるかはわかりませんが、多分そうなのでしょう。

 『「なぜ日本人はアメリカを諸手をあげて受け入れたのか」と尋ねられたとき、日本は特殊だったのかと思わずにいられなかった。久しぶりに「ハムレット」を読んで、既にここに似た事例が描かれていると驚かされた。中略』。

 そして、『古典は固定したアタマを揺さぶってくれるもの、と常々言っているが、まことにシェイクスピア恐るべし』。

 

 「敗北を抱きしめて」は発売直後にざっと一読しました。敗戦後の日本を、アメリカ人の目を通しながら冷静かつ暖かい眼差しでまとめられていると感じました。宮城聡は、そこにハムレットの悲劇を乗り越えてなお続く人間の営みの同質性を見いだしました。そして私は、この年になって演劇の深みが少し判るようになった気がしました。

 (*1) ジョン・ダワー著:三浦陽一・高杉忠明訳:
       増補版・敗北を抱きしめて(上・下):岩波書店

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演劇:友達

 演出   岡田利規
 作    安部公房

 出演   男   小林十市
      祖父  麿赤兒
      父   若松武史
      母   木野花  他

 会場   シアタートラム
 公演   2008年11月14~24日
 鑑賞   2008年11月 2日 14:00~16:20(満席)

 

 一人暮らしの男の部屋に、突然押しかけてきた家族9人。男は訳の判らないままに部屋を占領され、そして小さな檻に閉じ込められてしまう。ある日、次女に差し入れられた牛乳を飲んだ後、男は体が震え、不意に震えがとまるとそのまま動かなくなる。「さからいさえしなければ、私たちなんか、ただの世間にしかすぎなかったのに・・・」。何事もなかったように出て行く家族9人。

 1967年初演の作品、新鮮であったテーマもいまでは日常茶飯事の出来事と言えるかも知れない。50年の経過は社会環境を大きく変化させた。

 5分前に席に着いたが、音楽が流れ、色を変化させる照明が客席にあてられている。観客も劇の構成要素と知れる。

 出演者は個性派俳優たちばかり。ベジャールバレーの元ダンサーであった小林十市。舞踏・大駱駝艦主宰の麿赤兒。元天井桟敷の若松武史、小劇場系の木野花。俳優は客席に向って語りかける。観客もただの世間を構成する。

 魅力的な出演者が舞台を面白くしている。しかし、2時間20分の上演時間は長いだろ。このような状況が珍しくなくなった現在、淡々と話が進んでも退屈する。観客を巻き込むのは良いとしても、客席に向けて語りかけることだけで一体感は形成されない。とするならば、舞台上で完結する演出でも良いように思う。芸達者が集まっているのだから。

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2008年11月21日 (金)

随想:日々徒然の白想(2008年11月21日)

 北九州小倉のホテルで朝食をとっていた時、聴いたことのある楽曲がBGMで流れていました。多分、ビオラ・ダ・ガンバにオルガンの通奏低音。何だろうと思いながら、ふとバッハの「ゴールドベルク変奏曲」だと気付きました。音楽に詳しいわけでありませんが、この曲が好きで、良く聴いているので気付きました。チェンバロかピアノの演奏が普通ですから、一瞬、惑わされました。でもとっても素敵だったのでCDが発売されていれば入手したいと思いました。
 調べましたが判りません。どなたかご存知でしたら教えてください。

 JR九州の広報誌「Please」、数十ページの小冊子ですがなかなか内容が充実しています。宣伝臭をオブラート(最近は通じないでしょうか)でつつんださわやかな内容です。11月号で惹かれた記事は「九州ものしり学・世界を歩いたキリシタン・ペトロ岐部カスイ」。11月24日に長崎で「列福式」が営まれ、江戸時代に殉教した日本人188人をローマ教皇庁が「福者」として公式に宣言するそうです。その一人がペトロ岐部カスイ。
 記事中の図版に船越保武の「原の城」があり、長崎県美術館所蔵とのこと。
 その彫刻作品を書籍で知り、実物を観たいと思っていた時期がありました。もう30年ほど前ですが、笠間の日動美術館別館の裏庭にひっそりとたたずんでいるのに偶然出会いました。うつろな目、力なく半開きの口、戦のむなしさがひしひしと伝わってきました。次に出会ったのは宮城県立美術館の軒先、ここにもあったと思いました。
 そして長崎にも。作品に一番ふさわしい地かも知れません。

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2008年11月18日 (火)

路上観察:小倉のイルミネーション(2008年11月14日)

 北九州小倉では紫川辺や何ヶ所かで、イルミネーションが夜の街並みを彩っています。今年見ることはないと思っていましたが、なかなか予定通りにはいきません。ひょとして来年も、鬼に笑われそうです。

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2008年11月12日 (水)

読書:最近の読書から(2008年10月後半)

1.『新版1945年8月6日』
    伊藤壮著、岩波ジュニア新書156、740円(税別)

2.『現代アートバブル』
    吉井仁実著、光文社新書369、740円(税別)

3.『友達・棒になった男』
    安部公房著、新潮文庫、476円(税別)


 

1.『新版1945年8月6日』

 副題に「ヒロシマは語りつづける」とある。

 著者は広島一中三年のとき学徒動員中に工場で被爆し、軽度ではあったが急性放射能症にかかる。その体験を、未来を担う若い人たちに伝えようと試みたのが本書であろう。平易な文でも原爆ゆるすまじの思いが伝わってくる。

 「世界は天地がつくられた初めにもどったかのようでした。どこが陸かどこが水か。暗黒が広がり、音ひとつしませんでした」。その一瞬の描写。そしてその後の残酷な状況の描写。筆舌につくしきれないだろうが。こういうときにこそあらゆる想像が必要になる。

 構成は、「1.天地のくずれた日」「2.戦争のなかの暮らし」「3.被爆の苦しみ」「4.原爆はなぜ広島・長崎へ」「6.核廃絶への道のり」。原爆投下から核廃絶までの道のりを理解できる。

 原爆は広島・長崎に投下された。が、多少状況が異なっていたらあなたの町に投下されたかもしれない。世界平和に思い馳せながら通読することを勧めたい。子供と一冊を共有すれば、貴重な時間が生まれるだろう。

 

2.『現代アートバブル』

 現代アートが多様であることは認識している。そのような状況下、アーティストとコレクターを取り持つのが著者の仕事であり、清澄で hitomiyoshii を経営している。

 「私はこの本を通して、多くの人に現代美術の状況や、選び方、そしてなにより楽しみ方を伝えていきたいと思っています」と前書きで豊富を述べている。本書からその思いは伝わる。

 著者が共同作業で生み出したコンセプト「アフター・ザ・リアリティ」。9.11以降、世界各地で同時多発的に発生しはじめた新しいアートの潮流を指す。画廊主はアートの仲介という印象が強い。が、決してそこに止まらない。アーティストとの共同作業で新しい世界の開拓、そういうことも仕事のうち。

 「1.現代アートの潮流」「2.アートマーケットの現状」「3.自分と世界を知るヒント」の構成で、多少はアートの世界に入り込める。気に入った小品を手元に置きたい、そんな気持ちになってくる。

 

3.『友達・棒になった男』

 男の一人住まい、そこに見ず知らずの9人家族がやってきて我が物顔に振舞いだしたら。善意に満ちたその行動がもたらすものは。

 警官に窮状を訴えるが信用されない。管理人に救いを求めても要領を得ない。

 私が私であること、私が所有すること。当たり前のようでいて、ちょとしたことでがらがらと崩れおちてしまう不安定さ。不気味な世界が展開する。

 『棒になった男』『榎本武揚』も収録。大昔に観たけど、榎本武揚って安部公房だったのね。

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2008年11月11日 (火)

演劇:SPAC・ハムレット

 演出     宮城聰
 作      シェイクスピア
 翻訳     小田島雄志

 音楽・演奏  棚川寛子
 仮面デザイン 緒方規矩子
 仮面制作   遠藤啄郎
 衣装     竹田徹・伊藤美沙・諏訪有美
 照明     川島幸子
 美術     彦坂玲子

 出演     ハムレット   武石守正
        クローディアス 高橋等
        ボローニアス  牧山祐大
        ガートルード  瀧井美紀
        ホレーシオ   植田大介
        オフェーリア  布施安寿香
        レアティーズ  野口俊丞 他

 会場     静岡芸術劇場
 公演     2008年11月 9,15,16,22,23,24日(時間は各日異なる)
 鑑賞     2008年11月 9日 15:00~16:40 O-24席

 

 宮城聡は、「若き観客へ」と題する小文中で次のように語ります。
 『いったん「世界から切り離されてしまった」人間が、はたしてもういちど、世界と和解することができるのでしょうか?それを考えることが「ハムレット」を見る楽しみだろうと僕は思います』と。

 宮城聡の答えは幕切れで見事に暗示されます。多少、付き過ぎの感がないでもないけれど。

 狂気を装うも凛々しいハムレット、狂気に陥ってなお清々しいオフェーリア。1時間40分に凝縮された舞台は、終始心地よい緊張感を持続します。「若き観客」でなくとも充分に刺激され、そして堪能しました。

 以下、内容に言及します。 

 
 
 
 

 舞台中央に敷かれた目検討で3間四方の白いじゅうたん。下手後方が少し吊られてめくれています。このじゅうたんは証明で色彩を変化させ、場面場面を転換していきます。

 じゅうたんの上に散らばる何か、確認できませんが恐らくサイコロ。ホリゾントには天井に届かんばかりの黒い大きな柱が数本。薄い金属板を丸めて上方で固定した等身大の置物が五つ六つ。上手後方に演奏者。

 簡素だけど美しい衣装。舞台は東南アジアに設定されていると感じられます。その感じは、ガムラン風の音楽が生で奏でられることで確固たるものになります。なぜ東南アジア、戦火の絶えないアフガニスタンやイラクが意識されているのでしょう。

 

 真下に向けたスポットライトにハムレットが浮かび上がります。5幕20場(*1)のハムレット、最初の4場を省略して5場あたりから始まりました。父の亡霊にめぐり合ったところから。

 武石は朗々としてなお口跡鮮やかにハムレットを演じます。翻訳され凝縮されてなお美しく響く言葉。シェークスピア劇に欠かせない要素です。
 布施は現代口語演劇風の気負うことなく淡々とした発声で清々しいオフェリアを演じます。薄い白布に仙崖を思わせる筆太の黒丸が縦に三つ(?)、シンプルなデザインの衣装が清々しさをより増します。
 ハムレットとオフェリアのバランスが何とも素晴らしい。

 幕切れ、間違って水死したオフェリアの屍を傍らにして、ハムレットとレアティーズの剣の試合。先制したハムレットにクローディアスは毒酒を献じますが、代わりに飲んだガートルードが倒れます。剣でハムレットは傷つき、奪った剣でレアティーズも傷つけます。剣に毒が塗ってあることを知ったハムレットは、その剣でクローディアスを刺して(*2)しまいます。

 薄い金属板を丸めた等身大の置物は実は人形で、命果てるときに抱えて倒れます。大音響とともに崩れおちる生涯。

 しかし、残った毒酒を飲み干したホレーシオ(*3)が倒れても人形は屹立したまま。
 JAZZが流れ、太平洋戦争後のラジオニュースを思わせる断片が響きます。2発の原爆を投下され、無差別爆撃で焦土と化した敗戦、そこから憎しみを乗り越えて立ち上がった日本。

 宮城聡は、悲劇を乗り越えてなお続く人間の営みの答えをそこに見いだしたようです。古典が現代につながる一瞬です。 

 

 衣装、音楽、旅芸人が付ける仮面など、それらから横浜ボートシアターの舞台が思い浮かびました。仮面制作は遠藤啄郎ですが、横浜ボートシアターと何らかの関係があるのでしょうか、気になっています。

 

 (*1) ハムレット シェイクスピア作・野島秀勝訳 岩波文庫
 (*2) 毒酒を飲まされたようにも記憶する。(*1)では刺されるが
 (*3) (*1)では生きてハムレットの遺言を伝える
       もう一度見る機会があれば、必要に応じて修正します

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2008年11月 9日 (日)

路上観察:名古屋駅でも・・・(2008年11月8日)

 JR名古屋駅桜通口の外壁面のイルミネーションは、7日点灯しました。2日ほど付近のホテルに宿泊していたので、早速撮影しました。 

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 全景はこんな感じです。

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 掲載写真で判るでしょうか、随分と凝った作りのイルミネーションです。どうもサーバー側で自動圧縮しているようで、アップロードしたより小さい写真になってしまいます。適当な大きさに圧縮してからアップロードしているのですけど。

 

 

 


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2008年11月 4日 (火)

舞踊:横浜未来演劇人シアター・市電うどん・特盛版

 出演      横浜未来演劇人シアターメンバー
         客演多数             

 総合演出・構成 寺十吾
 振り付け    石丸だいこ
 美術      加藤ちか

 音楽・生演奏  坂本弘道(チェロ)
         栗木健(パーカッション)
 生演奏     斉藤哲也(キーボード。アコーディオン他)
         原さとし(バンジョー)
         川口義之(サックス他)
         小森慶子(サックス・クラリネット他)

 会場      みなとみらいテント劇場
 鑑賞      2008年11月 3日18時00分~20時10分
 公演      2008年10月31日~11月 3日(公演終了)

 
 

 劇場は、横浜マリノス練習場の隣の空き地に新宿梁山泊のテントを借用して作られた。舞台奥のホリゾント部分が開閉し、外の空間までもが舞台になる。彼方に横浜インターコンチネンタルホテルが、大観覧車コスモクロック21が。
 そこに市電の電柱が建てられ、万国旗が飾られ、市電が迫ってくる。

 ある冬の終、「ハマのメリー」と言われた年老いた娼婦が、ベンチの上で横たわるように死んだ。死の間際に彼女に去来したものは何だったのか。

 あの世に行く途中の人がいる。うどんを食べながら時の来るのを待つ。どんぶりの中身は過去が詰まっている。オリンピック選手には輪のつながったうどん、中国人には中華麺が。食は進まないが、そこにいる全員が食べ終わらなければ、あの世行きの電車が来ない。やがて来た電車であの世に旅立っていく。

 あの世に着いたメリーに、かっての愛人が「ひさしぶり」と微笑みながら寄って来る。

 これら断片をダンスと市電かぞえ歌でつないでいく。

 ダンスは元気あふれている。総勢50人ほどによる群舞は迫力がある。ただし、仕上げは粗く、振り付けもシンプル。混成メンバーの限界かとも思う。

 市電とは、かって横浜の中心部を走っていた横浜市電のこと。駅名を順にたどる。青木通り、横浜駅前、高島町、石崎町・・・。これは3系統だろうな。間門は終点で海が見えるなどと。これは5系統だろうな。
 私の思いは昔に跳ぶが、若い人はどう感じるだろうか、それが気になる。わからないだろう。

 

 

 ライブ音楽は贅沢だが、いまひとつ歯がゆい感じがした。演奏というよりは、楽曲のため、楽曲というよりはテーマのためだと思う。
 チェロをグラインダーで擦って火花を出すと書いてあったので、どうするのかと思った。逆さに構えてエンドピンを擦っていた。パーカッションもシンバルをグラインダーで擦って火花を出していた。左右の中二階に位置する演奏人から火花が、見た目に面白い。

 
 

 自宅が近いので初日を除いて様子を見に行った。客の入りは大変良かった。主催者が満足したか否かは判らないが、連日、臨時席に立ち見が出たようである。

 
 

 ただ、市電にメリーさんではこれ以上に発展しないのではないかと思った。別のテーマの舞台を見てみたい。あるいは徹底的にダンスで行くか。

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2008年11月 3日 (月)

美術:兵庫県立美術館・ブラジル×日本|旅が結ぶアート

美術:兵庫県立美術館・ブラジル×日本|旅が結ぶアート

  会期   2008年11月1日(土)~12月7日(日)
  開館時間 午前10時~午後6時
       (金・土曜日は夜間開館午後8時まで)
       入場は閉館30分前まで
  休館日  月曜日
       ただし11月3日[月・祝]、24日[月・振休]は開館、
       翌火曜日休館
  入場料金 一般 1000円
  鑑賞日  2008年11月1日
  公式HP http://www.artm.pref.hyogo.jp/index.html

 観終えてはて何だったのだろうと考えました。どの展覧会でそれほど作品理解が進むわけではありませんけど、そういうことでもないのです。この企画展が何を意図しているのか、何を受け止めたら良いか、どうも主題が鮮明にならない感じでした。

 最初の三室を使って、三人のブラジル人作家の作品展示。その後の数室を使って、兵庫のコレクション展、日系ブラジル人画家の作品と続きます。

 私はタイトルに惹かれて足を向けたので、企画意図は認識していませんでした。だから、三人のブラジル人作家の後に兵庫のコレクション展、その最初に「本多錦吉郎:羽衣天女:1890年」が展示されていたので、これは何だと混乱状態に陥いりました。

 と言う訳で、後付ですが関連情報を調べてみました。
 この企画展は、そもそも兵庫県立美術館+オスカー・ニーマイヤー美術館の交流展であること。オスカー・ニーマイヤー美術館推薦の現代美術家三人の作品紹介と、オスカー・ニーマイヤー美術館で開催した「兵庫のコレクション展」の帰国展の趣があること。それで何となく納得。

 

 第一室はジョゼ・アントニオ。布を主体にした小規模インスタレーションと抽象画の構成。最近はインスタレーションの重厚長大化があると思いますが、それと比較すると迫力に欠けます。ただ、布を主体にするのは制作上の制約をかいくぐった結果かも。それでも芸術に立ち向かうということでしょうか。抽象画は印象形成できませんでした。

 第二室はフランシスコ・ファリア。鉛筆による細密ドローイング。部屋が美しいと感じました。くすんだ赤色のボード(?)で壁面を覆い、そのうえに作品が展示されていました。作風は木下晋を思わせますが、タッチはもっと祖で、対象は風景です。恐らく川でしょうが、押し寄せる波を描いた作品が多数。その中で正面壁に一枚展示された作品が素敵でした。似た作品もあるのに、その一枚の波の感じが印象的でした。

 第三室はマゼ・メンデス。抽象画と写真。黒いオルフェが出てきそうな印象の写真。先入観があるからでしょうか、そうではなく、それがブラジルの風土を切り取っているのだと思います。私は写真に限定したもっと多くの作品展示の方が、彼女(女性作家です)の本質をもっと強く受けとめられたような気がしました。

 必ずしもブラジル美術界の動向を表しているわけでないと思います。それでも何となく雰囲気は感じ取れました。これからどんどん発展すると思います。

 

 「兵庫のコレクション展」もこれはこれでおもしろい。が、タイトルが頭にこびりついていたのでぎょっとした訳です。第1章、日本の近代美術・明治から平成へ。第2章、日本の風景画。第3章、日本の前衛・具体美術協会。

 横尾忠則の作品8点、小磯良平の作品4点。具体美術協会に多くのスペースを割いていました。「兵庫のコレクション展」は、兵庫県立美術館のそれでもあるし、兵庫が生んだ作家のそれでもあることが、伝わってきました。

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2008年11月 2日 (日)

路上観察:小倉駅前は早くも・・・(2008年10月30日)

 21時過ぎ小倉駅到着、ホテルに向って駅構内を通り抜けました。そこで見かけたのは、イルミネーションの据付工事でした。完成しているか否かは定かでありませんが、既に試験点灯されていました。X'mas、年末・年始の準備、何かあせりますね。先だって年が変わったばかりのように思えるのに。

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