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2008年8月

2008年8月30日 (土)

美術:2008年利賀フェスティバル・美術編(2008年8月22日)

『金沢21世美術館・ロンミュエック展』

  会期   2008年4月26日(土)~8月31日(日)
  開館時間 午前10時~午後6時、
       毎週金・土曜日は午後8時まで
       入館は閉館30分前まで
  休館日  毎週月曜日、ただし例外あり
  入場料金 一般 1000円
  鑑賞日  2008年8月22日
  公式HP http://www.kanazawa21.jp/

 利賀の往路・復路で、途中にある美術館へ寄ることも楽しみの一つです。ここ三年、金沢21世紀美術館には必ず寄っています。 

 ロンミュエックの作品はコンセプチュアルリアルと称されるようですが、このような記号化で何が判るのでしょうか。リアルからある程度のイメージが生起されます。しかしコンセプチュアルとは。そのイメージが形成できればこの展覧会を観た甲斐があるというものです。もちろん何のイメージが形成されなくたって悪いという訳でもありませんが。

 人間の顔を何倍にも拡大した作品。全身を何倍にも拡大した、あるいは何分の一かに縮小した作品。大きいね、小さいね、リアルだね、そこまでは私にもすぐわかります。

 臍帯の取れない横たわる赤ん坊の像「Girl」。身長は5mほど。しっかり握られた手、重ねられた足、体には拭き残された血の跡。身体の細部にまで視線が届きます。ここまで赤ん坊を丹念に見たことがあるでしょうか、否。実にグロテスクな存在であることに気づかされます。

 裸の男の像がボートに座る「舟の中の男」。身長は0.7~0.8m。行く先を不安そうなうつろな目で見る姿。何にも庇護されない弱い男の存在を感じます。

 等倍で対象を見る視線は意外と頼りなく、本質を見逃しているかも知れません。大きな像、小さな像は対象の本質をするどく提示します。

 私の視線を虫の視線、鳥の視線に自在に切り替えらるならば、世の中のあらゆるもののより本質に近づけることに気づかされます。

 わずか7点の作品で構成されるロンミュエック展。私は小さな像により興味を抱きました。自分自身を鳥の視線、すなわち遠くから冷静に見つめる思い。特に「舟の中の男」に自分自身の弱さを垣間見る気がしました。

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演劇:2008年利賀フェスティバル・劇評編1(2008年8月23日)

『サド公爵夫人(第2幕)』

   作    三島由紀夫
   演出   鈴木忠志

   出演   高野綾    ルネ(サド公爵夫人)      
        久保庭尚子  モントルイユ婦人(ルネの母親) 
        大桑茜    アンヌ(ルネの妹)       
        内藤千恵子  サン・フォン伯爵夫人   ほか

   劇場   利賀芸術村・新利賀山房
   時間   16:00~17:30

 演劇を観たというより聴いた。この表現は恐らく誤解をうけるであろうが。

 交わされる言葉のテンポの良さ、緊張感。はらはらしながら舞台に引き込まれる。テキストに忠実だと思えたが、緊張感をみなぎらせた演出は鈴木忠志のもの。スタイルに新しさはないかも知れないが、かといってこの緊張感を他に求めることも不可能。

 俳優に身体表現と言語表現が要求されるならば、比重は言語表現にあった。しかし、身体表現が動的なものとは限らない。緊張した言語表現を可能にするには、静的ではあるが強靭な身体表現が不可欠。

 出と入りを除けば俳優に動きは殆どない。動きは少ないけれど、各々が屹然としている。よって緊張感は一層高まる。能役者にイメージが重なる。それがより言葉の重みを強調する。

 高野、公爵に従順を装いながら自分の生き方を強固に主張するルネが良く判った。久保庭、あるいは主役かも知れないモントルイユ夫人、舞台の要。

 ところで第2幕の意味は何。

 

『世界の果てからこんにちは』

  作・演出 鈴木忠志

  出演   高橋等    日本の老人      
       久保庭尚子  芸者・春子 
       竹森陽一、他 僧侶
       貴島豪、他  車椅子の男
       高野綾    花嫁
       舘野百代、他 紅白幕の女
       前田徹、他  花火師

  劇場   利賀芸術村・野外劇場
  時間   20:00~21:00

 既に2桁に至るほど観た。花火をシンクロさせた祝祭的な演目は利賀の最後を飾るにふさわしい。舞台を終えて鏡割り、演じる側、観る側入り混じっての祝宴も芝居の続きのように思える。ちなみに酒は北陸の銘酒「若鶴」。

 これが一年の終わりか始まりか、いずれの思いも入り混じるが、また一年元気にやっていこうという気持ちになる。

 概要は去年掲載分を参照願いたい。

 高橋の日本の老人は発声が鮮明になって、言葉の面白さが充分に伝わった。こうでなくては。おもしろく思ったのは、口調が初代・日本の老人の蔦森皓祐に似てきたこと。重厚さは徐々に増すであろう。

 女優は「サド侯爵夫人(第2幕)」のメンバーが要所に。
 久保庭の芸者・春子も二代目のはずだが、既にそういうことを感じさせない。板についた感じ。客の笑いもうまく誘う。少し前にモントルイユ婦人を演じたばかりなのに。役者は凄い、いや凄い役者に近づいているのだろう。

 「天皇陛下がお亡くなりになりました」と春子が告げた後、戦闘を思わせる光景が展開する。地上数mの高さを花火が水平に走る。「射ち来たる弾道見えずとも低し 敏雄」。何回観ていても、突然にある光景が鮮明になることがある。私の受容力も少しは向上しているか。

 これは反戦芝居だ。世界は平和でなければならない。

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2008年8月28日 (木)

路上観察:2008年利賀フェスティバル・道中編5(2008年8月26日)

 越後妻有トリエンナーレは来年が開催年、今年は中間年ですけどそれでもいろいろな行事があります。充分な時間を取れなかったので一箇所限定で雰囲気を味わいました。

 私が向かったのは十日町市鉢集落にある旧・真田小学校。旧と付くのは既に廃校だからです。この会場は、絵本作家田島征三によるインスタレーション「絵本と木の実の美術館」。説明するより写真を見ていただけば一目瞭然。無数のかぼちゃが天井から吊り下げられています。場所は体育館、全景写真の手前半分です。

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 かって賑やかな声が響き、楽しさに満ち溢れていたであろう体育館。みんなでかぼちゃを吊り下げる過程で在りし日の姿がよみがえったと確信します。話によれば、展示を終えるときに皆でかぼちゃを食べるそうです。考えさせられるインスタレーションも良いですけど、このように楽しいインスタレーションも良いと思います。宴の後の寂しさも予想できてしまうのですけど。

 教室には作者の絵本や飾り物なども展示されています。しかし、それを除けば教室はかつての姿を留めています。取り外されることなく残こっている校章、校歌、表彰状など。自分が卒業した学校でもないのに一抹の寂しさが漂よってきます。「記憶にもおさらば、歴史にもおさらば(鈴木忠志の演劇に良く出る台詞)」と割り切れれば良いでしょうけど。しかし「それも良くない(同)」。

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 私たちはどこに向かうのでしょうか。結局、考えさせられてしまいます。
 興味を抱かれたら是非、来年は越後妻有に出かけて見ませんか。常設展示もありますから、お近くにでかけ際にちょっと寄るのも良いでしょう。
 
 
 帰路の途中、伊香保温泉近くの「ハラミュージアムアーク」に寄りました。以前から訪れたいと思っていた美術館です。小雨模様ですっきりした景観が見られないのが残念。天気が良ければ黒い外装が緑に映えると思います。

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 現在「觀海庵落成記念コレクション展」を開催中。いろいろな展覧会に出かけているので特に目新しいものはありませんでした。が、束芋はどこでも人気ですかね、目に付きます。

 館員がシークレットガードのように付かず離れず同行するのが興ざめでした。カメラを提げていた為かと思いましたが、どなたにも同行しているようです。ガードされているのは作品ですけどね。良い気分ではありません。一考を促したい。展示方法で何とかなりませんかね。
 
 
 あとは横浜に向けてひた走り。夕方の渋滞に巻き込まれながらも19時過ぎに自宅到着。利賀フェスティバルへの旅は無事終了。体力も徐々に落ちていますので来年はどうなるか。「命なりけり利賀の杣道」、そんな心持です。

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2008年8月27日 (水)

路上観察:2008年利賀フェスティバル・道中編4(2008年8月24日)

 昔ほどではありませんが、利賀を出るときは多少感傷的な気持ちになります。来年も来られるか、夏も終わりだ、なとと。「この秋は何で年寄る雲に鳥 芭蕉」、そういう心境でしょうか。

 初めて利賀を訪れた時、まだ週休二日ではありませんでした。休暇を二日取得し、往路は会社を終えてから夜通し自動車を走らせたものでした。

 3公演観たはず、その一つが「ボディーウォーズ・深浦加奈子主演、川村毅演出・劇団第三エロチカ」。今朝、北九州への移動中に見た新聞で、深浦加奈子が鬼籍に入ったことを知りました。若すぎる。TV番組でも時々見かけていたのに。女優・深浦加奈子、あえて敬称をつけませんよ。合掌。
 
 
 利賀から一時間ほど山道を下ると越中八尾、しばし散策。もうすぐ風の盆。既に前夜祭は始まっています。何人かの女性が美容院でおめかししていました。きっと今晩踊るのでしょう。一度、風の盆に訪れてみたいと思っていますが、いつまでも思うだけで終わりそうです。
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 富山県入善町の下山芸術の森・発電所美術館は、取り壊し予定だった水力発電所をリニューアルした、ユニークな美術館。3機あった発電機の1機、他に制御盤などが残されています。壁面に導水管の大きな開口部が2箇所。天井までは10m程。産業現場の余韻が残る力強い空間です。

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 「企画展・河口龍夫展-時の航海」。現地制作のインスタレーション。天井からつるされた、富山湾を長年航海していた巨大な木造船(後で制作過程の写真集で判る)。先端に蜜蝋で固めた蓮の種子をつけた細い棒(針金?)が、船に無数に刺さっています。床には水を張った大きな洗面器。後で中段床から眺めて気づくのですが、北斗七星の形に並んでいます。そして北斗七星は北極星を指し示しています。船からは錘をつけた糸が各洗面器にたれています。2箇所の導水管の奥からは周期の異なる心臓音が流れてきます。

 時空を進む船、生の証しである心臓の鼓動。幾多の困難を乗り越え、未来に向かって進まなければならない生きとし生ける者のさがを感じました。唐突ですが初期連歌一首が思い浮かびました。

 「奥山に船漕ぐ音の聞こゆるは 躬恒」
 「なれる木の実やうみ(熟み・海)わたるらむ 貫之」
 
 
 しばらく、親不知付近の一般国道を走ります。目に付くのが飲食店の看板、名物たら汁とあります。その中の一軒で昼食。たら汁、大変おいしゅうございました。
 
 
Dsc_0871  新潟県糸魚川市にある谷村美術館の受付で「建築関係の方ですか」と聞かれました。そういう雰囲気があるのでしょうか、別の場所でも言われたことがあります。

 この美術館は、彫刻家・澤田政廣の仏像のみを展示する美術館です。建築設計は村野藤吾、業界の方なら知らない方はいないほど高名な方です。見学者も多いのでしょう、よって「建築関係の方ですか」となったのでしょう。

 第一室への案内がありますが、後は仏像一体を見終えて先に少し進むと次の仏像が見えますで、それに向かって進みます。なた彫り風の魚藍観音、銘・曼珠沙華のモダンな仏像が特に気に入りました。
 
 
 本日は越後妻有で最後の一泊。17時半過ぎに到着。

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2008年8月26日 (火)

路上観察:2008年利賀フェスティバル・道中編3(2008年8月23日)

 16時公演「サド侯爵婦人」までは自由時間。世界遺産に指定された合掌集落、菅沼集落と相倉集落の見学に出かけました。菅沼集落は飛越街道沿い、相倉集落は飛越街道から2Kmほど金沢方面に向かったところ。利賀芸術劇場付近からは自動車で30分ほどの距離。世界遺産に指定されてからは初めての訪問。

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 相倉集落では全体が見下ろせる山の中腹まで上りました。途中に棚田があるのですが、きれいに稲穂が伸びている田んぼばかりではありません。雑草が繁っている田んぼもあって、労働力、若い人が減少していることが想像できます。

 私は後何回、利賀に来ることができるでしょうか。その折にはまた周辺各所を巡るつもりですが、飛越街道沿いの合掌集落はどのように変化していくのでしょうか。世界遺産は観光地か、生活の場か。場所場所で異なるのでしょうが、気になるところです。

 

Img_3682  この後、戻る途中で「利賀・瞑想の館」に寄ります。
 瞑想の館は、ネパールから来た僧侶が作成した曼荼羅を中心に、ネパールの文化資料などを展示しています。ネパール・ツクチェ村と利賀の関係はそばの取り持つ縁だったと記憶します。

 一昨年に訪問した時はネパールからの研修生だか数人がおりました。今年は見かけませんでした。多分いないのでしょう。詳しいことを確認しておりませんが、利賀村が南砺市の一部として合併したあおりではないかと想像しています。

 

Img_3685  なお二時間ほどの余裕がありましたので、利賀芸術劇場至近の「天竺の湯」で暫しの休息。大分以前に開館したのですが、今回初めて寄りました。露天風呂に浸かり、利賀の山なみを眺めるのは、日ごろの生活からすれば別世界の感があります。

 

 この日は「サド侯爵婦人」の他に「世界の果てからこんにちは」を観劇します(感想は別に掲載します)。途中で民宿Mに戻り夕食。静岡からMさんが到着していました。去年、民宿でご一緒してから丸一年。夕食後一休みしてから会場に向かいます。

 20時に会場到着ですが何やらおかしな雰囲気。野外劇場には既に観客が入っています。開演は20時30分の筈なのに馬鹿な。どうも空模様が怪しいため開演を30分前倒したようです。やれやれ。

 途中で小雨が降り、会場では雨具を身に付ける音で一しきりざわつきましたがすぐに上がりました。かって二日続きの雨にたたられたことがありました。利賀に行くなら雨具必携です。

 

 舞台がはねて、韓国からのお客様(名前失念)と吉行和子が杵を振り下ろして恒例の鏡割り。舞台の上で日本酒をご馳走になります。写真は、客席、鏡割り、鈴木忠志と吉行和子、舞台上での懇談。

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 22時過ぎに民宿に戻り、Mさん、Hさん(女房)と私で、来がけに買ってきたワインを飲みながら0時過ぎまでお話。本来は無口の私(?)がそこそこに話に加わります。利賀ならではなのか、民宿Mならではなのか、都会ではありえない空間が出現します。ひょとして、演劇は酒の肴なのかも知れません。私だけ~~。

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2008年8月25日 (月)

路上観察:2008年利賀フェスティバル・道中編2(2008年8月22日)

 魚津駅前のビジネスホテルを8時半に出発、金沢21世紀美術館経由で利賀に向かいます。

1  北陸道に至る一般道の一部街路樹は姫りんごでした。少し赤くなりかけた実が枝に。実のつく街路樹は初めて見たように思います。なかなかしゃれています。写真はあまり実りが良くないですけど、実が赤くなっているものを使用します。

 10時をわずかに過ぎて金沢21世紀美術館着。開館直後にもかかわらず既に多くの入場者がいました。私の知る限りで、最も多くの人に注目されている美術館だろ思います。

 まず「タレルの部屋」で空を眺めながら小休止。カメラを真上に向けて空模様を記録。2006、2007、今年と、3年分の写真を並べておきます。天気には恵まれているようです。

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 目的の「ロン・ミュエック展」に向かいます。目的と言いますが、利賀フェスティバル期間中に訪問するので、その時に開催中の企画展を観るしかないのですが。でも毎年、刺激的な企画展に巡り合えて幸せを感じています(感想は別に掲載します)。

3  さて利賀フェスティバルは16時公演からチケット購入しています。12時少し前に美術館を出て利賀に向かいます。途中、道の駅・井波で昼食。井波は木彫りの町、欄間などの木彫の店が連なっています。今回は寄りませんでしたが、名刹瑞泉寺も見ごたえがあります。道の駅・井波に鎮座する木彫の七福神の写真です。高さは4mほどありそうです。

 利賀に入るには、越中八尾、岐阜・富山を結ぶ飛越街道の砺波平野寄り、越中五箇山の三箇所が主要道路になります。今回は砺波平野寄りの道を選択しました。しかし、がけ崩れのため通行不能、飛越街道も五箇山までの途中でがけ崩れとのこと。

 結局、金沢方面に後戻りして城端・五箇山経由で利賀に入ることにしました。30分以上のロス。最初からこの路を選択していれば、トレンディな城端の町を散歩する時間はあった筈。三隣亡か、13日の金曜日か。今日は22日なのですが。利賀は山の中、改めて実感しました。

4  利賀には何回も来ているので道は認識しています。少し早めに到着するように行動していましたので、それでも15時過ぎ、無事に利賀の民宿Mに到着しました。民宿の少し手前が利賀芸術公演です。写真はとんがり屋根の利賀スタディオ、右隣がレストラン・ボルカノ、見えませんが右手後方に野外劇場や合掌作りの劇場・利賀山房、新利賀山房があります。

 本日は、「ヘッダ・ガブラー」「ロナルド・マクドナルドの物語」「令嬢ジュリー」の3公演を観劇します(感想は別に掲載します)。

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2008年8月22日 (金)

路上観察:2008年利賀フェスティバル・道中編1(2008年8月21日)

 まだ利賀村には到着していません。
 本日は、横浜を出発して長野県東御市にあるヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリーで昼食、上田市にある無言館、信濃デッサン館、小布施町の北斎館に立ち寄って魚津市まで移動しました。

 

 しばらく前に知った ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー は、エッセイスト・画家の玉村豊男さんがオーナで、長野県東御市の山の中にあります。写真を見ていただければ納得できると思いますが、本当に山の中にあります。自分のことは棚に上げて、こんなところまでよく来るなと思っていました。来る人はそう多くないと思っていましたが、あにはからんや満員でした。木曜日のランチですよ。

 「里山ビジネス ・玉村豊男著・集英社新書448B」を一読したら詳しいことがわかるのではないかと思います。申し訳ありませんが、私は本屋で冒頭の数ページを読んだだけですので内容は保証しません。

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 昼食を終えてから、無言館、信濃デッサン館に向かいました。 
 戦争によってその生を強制的に断ち切られた画学生の作品を集めた無言館。その作品の完成度が高くないのは事実です。そして保管状況も決して良くありません。それなのにこみ上げる何かがあるのなぜでしょうか。享年二十何歳、三十何歳。出征通知を受け取ってから描きあげた絵。

 一般的には作品が全てを語るのでしょう。しかし、無言館に収められている絵は当時の社会状況までを加味して理解することを心がけなければならないように思います。もっと生きたかった、もっと描きたかった、きわめて当たり前のことがなぜできなかったのかと。

 夭逝した画家のデッサンを集めた信濃デッサン館。村山塊多、関根正二、松本俊介、野田英雄・・・。私は、彼らよりはるかに長生きをしてしまいました。運命と言ってしまえば簡単ですけど。庭先で、館長の窪島誠一郎さんを見かけました。

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 この後、日本海沿いの美術館に向かう予定でしたが、のんびりしすぎて時間的に間に合わなくなったので小布施町にある北斎館に向かうことにしました。北斎館には北斎の富岳三十六景他、多くの作品が展示されています。

 富岳三十六景から思いついたこと。その昔、富士山はどこからでも見えたのだな。凱風快晴、くすんだ色だな、もっと鮮やかな赤だったような印象があるのですが、ひょっとして版が違うのかな。描かれていない部分に大いなる余韻があるな、具象のようではあるが本当は抽象画なのではないか。私が卒業した小高い丘の上に中学校の校庭からも富士山は良く見えたな。

 

 この後、雨に降られながら魚津駅到着、駅前にほたるいかのイルミネーションが。

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2008年8月17日 (日)

路上観察:横浜散歩・2008年夏(2008年8月16日)

 やりたいことはあるのですけど疲れがでたのでしょうか、夕方まで家でごろごろしていました。少しは体を動かさないといけないと思い、自転車でみなと未来地区から山下公園あたりまでの一周。暑い一日でしたが、湧き上がる雲に秋の近いことを感じました。

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 写真上段左から順に、みなと未来潮入公園、大桟橋に停泊中の飛鳥Ⅱ、赤レンガ倉庫、大桟橋からベイブリッジ。
下段左から順に、大桟橋からみなと未来地区のビル群、山下公園の水の守護神、どこからきたか入港船、みなと未来地区日本丸。

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2008年8月16日 (土)

読書:最近の読書から(2008年8月前半)

1.『「昭和」を点検する』
    保坂正康+半藤一利、講談社現代新書1950、720円(税別)

2.『大和三山の古代』
    上野誠、講談社現代新書1952、720円(税別)

3.『古道具 中野商店』
    川上弘美、新潮文庫、514円(税別)

4.『蛇を踏む』
    川上弘美、文春文庫、390円(税別)

5.『俳句という遊び』
    小林恭二、岩波新書169

 

1.『「昭和」を点検する』

 五つのキーワード、「世界の大勢」「この際だから」「ウチはウチ」「それがおまえの仕事だろう」「しかたなかった」に沿って点検は進む。例えば終戦の詔勅冒頭の「世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ」のフレーズ。日本外交は外からの強烈な圧迫で急に動き出す。その象徴的表現が「世界の大勢」と言う。
 ネガティブなキーワードから紡ぎだされる話は、戦争を指揮する高級軍人の他責で、受身で、計画性のない行動様式をあぶりだす。その時、為政者の、ジャーナリストの行動は。
 歴史の裏面、それを私は真実と捉えた。再び戦争に向かわないために、いい加減な言動で彼我の多くの命が奪われたことを、まず知ることと思う。合掌。

 

2.『大和三山の古代』

 奈良(大和)盆地にある標高200mに満たない3つの残丘。万葉集・中大兄の三山歌などから随分と高い山の心象がある。
 「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争うらしき」。さて香具山は男か女か。畝傍、耳梨は。長年の論争に終止符を打てれば万葉学者として不朽の名を残すそうだ。ちなみに女男女とする学説が隆盛のようだ。
 他に、三山は藤原宮鎮護の役割があったようだがその思想はどこから到来しらか、など。
 三山に的が絞られているけどそこそこの下地がないと難しいかもしれない。私は下地らしきものなどないけど、多少でも判る部分があればそれで良しとした。旅心を誘われる。

 

3.『古道具 中野商店』

 連作短編ではないけれど、「角型2号」「文鎮」「バス」・・・と章題がついて、どこを取り出しても小さな話が完結する。
 全編を通して不器用なヒトミとタケオの恋愛がクレッシェンドしていく。二人は同僚、ヒトミは店番、タケオは不用品引き取り、舞台は中野商店。古道具を扱い、店主は多少いい加減だが商売っ気は多々ある。店主の姉・マサヨは男勝り。
 数々の男と女の機微が展開する。ある時中野商店は店終いしてヒトミとタケヲは離れ離れに。しばらくして意外な場所で再開する。
 舞台も登場人物も現代とはかけ離れて、いや現代そのものかも知れない。魅力的、生活感を感じる。したたかな一面も。店終いした中野商店はナカノとして再生する。 初川上、惹きつけられそう。

 

4.『蛇を踏む』

 「ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった(蛇を踏む)」「このごろずいぶんよく消える(消える)」「背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった(惜夜記)」。中編三作の書き出しは魅力的だが、少し変だ。蛇を踏むことが、消えることが、夜が肩に食い込むことがあるだろうか。これから展開する異次元世界のストーリーを暗示する。
 「踏まれたのではしかたありません」と声がして蛇は女になる。そして「あなたのお母さんよ」と、部屋で料理を作って待っている。やはり変だ。どのように対峙したら良いか。私には手強い作品だ。「蛇を踏む」は芥川賞受賞作。 仕事途中、「古道具 中野商店」を一気に読んでしまい、小倉駅キオスクで急遽購入。二冊で川上の異なる両面を垣間見た。

 

5.『俳句という遊び』

 老若男、女はいない八人の俳人が春爛漫の甲州に集結、句会を開いたその記録。
 一日目題詠、八人と著者が出した「春」「金」「枝」「種」「甲斐」「闇」「いか」「眼鏡」「まんじゅう」の題を織り込んで作句。二日目嘱目、場所は太宰の「富士には月見草がよく似合う」と記した天下茶屋。各人思い思いに十句。
 選句は、各人が良いと思う正選(+1点)、悪いと思う逆選(-1点)を選ぶ。一日目は一題につき各一句。二日目は全体から各八句。
 選句からその後の吟味が実に楽しい。片隅でニヤニヤしながら楽しむ自分が感じられる。俳人たちの言葉に対する厳しさ、そこから生まれる良質のコミュニケーション。こういう世界は貴重だと思う。まさに座の文学。どんなに楽しいかはぜひ一読を。
 時々読み返す数少ない本の一冊。私は実作するでもなく、良い鑑賞者でもない。それなのに惹きつけられる。私の好きな一句、「虫鳥のくるしき春を無為(なにもせず) 高橋睦郎」。

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2008年8月15日 (金)

路上観察:奥日光散策(2008年8月10日)

 朝のうちに湯の湖、湯滝、泉源を巡りました。

1  湯の湖の周囲に遊歩道があります。約1時間で1周できますから、湯の湖のおよその大きさも知れようというものです。ボートの釣り客もそれなりにいるのですが、釣に没頭しているのでしょう、湖面は男体山を写して静謐そのもの。

2  湯の湖と戦場ガ原を流れる湯川を結ぶのが落差70mの湯滝。滝といえば水が垂直に落下するイメージがあります。しかし、湯滝は見当で45度ほどの角度で水が滑り落ちます。滝と急流の差はどこにあるのでしょうか、軽い疑問が湧きます。滝つぼ間近に観瀑所があって、滝口まで見わたせます。まさに、

  滝の上に水あらはれて落ちにけり  夜半

切れ目無く落下する水に涼気を感じました。

3  温泉街の北側に小さな湯ノ平湿原、そこに泉源があります。泉源は腰高の小屋で覆われています。小屋はいくつもあって、旅館の名前が書かれた札が掲げられています。ここから各旅館に温泉が引かれているのです。小屋の周囲にも水がぷくぷく湧き出ていて、恐る恐る触れてみると、これも確かに温泉。

4  午後は既に掲載した戦場ヶ原に出かけましたが、その後で光徳牧場に回りました。昔、ここで仲間とキャンプしたこともありましたが過ぎにし春、いや過ぎにし夏ですか。売店のアイスクリームは美味。裏手の牧場の周囲には人も少なく、のどかな光景が広がります。

5  さらに進むと光徳沼。水が流れていて川のようですがなぜか光徳沼。さらに人は少なくなります。彼方に奥日光の山々。ゆったりした気分になりますが、こういう気分は久しくなかったな。

 奥日光の温泉街にはコンビニなどがありません。必要なものは持参したほうが良いです。の遊戯場などの施設もありません。夜は、日ごろはすれ違いの多い家族とゆっくり話し合いなど、傍らに御酒があればなお良し。
 そうそう星がきれいでした。久しぶりに沢山の星を見ました。

 一つ注意を。
 既に夜は寒いくらいです。星空を眺めるようなことがあれば、上に羽織るもの持参をお勧めします。

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2008年8月12日 (火)

路上観察:奥日光・戦場ヶ原(2008年8月10日)

 めずらしく家族4人揃って2泊の小旅行。皆それぞれが独自に行動しているので、どういう風の吹きまわしだったのでしょうか、結構シュールな感じがしないでもありません。ひょっとして、これが親子揃っての最後の旅行かも知れません。

Dsc_0763  数十年ぶりに訪れた奥日光は随分と変化しているのでしょうけど、それでもなお豊かな自然が残っています。自然保護の観点でいえば以前よりは徹底しているように感じました。

Dsc_0765  赤沼を起点に戦場ヶ原から小田代ヶ原に向けて、すなわち東から西に向けて進みます。先ほどまで陽が出ていたのに翳ってしまい、雲も出てきて夕立さえ心配させるような変化。きらきら輝く湿原の姿が見られず少し残念でしたが、それでも奥日光は素晴らしい所だと改めて感じました。

Dsc_0769 湯川を渡り、道や木道を進みます。戦場ヶ原では笹が密生し、そこに背の高い木が転々としているので視界は開けません。しかし、静寂な雰囲気と緑の匂いがとても心地良い気分にさせてくれます。

Dsc_0767  小田代が原に至るとまさに湿原、視界が広がります。遥かに日光白根山が雲をかぶっています。遠くに紫っぽい色が広がり、あざみの群生のあることが確認できます。時期は少し遅いのでしょう。間近に咲くあざみのなかにはすでに刈れている株もあります。もう少し早い時期だとさらにきれいだったと思います。

Dsc_0777  標高千数百mの高原は晩夏というか、初秋というか。暑さの最中の横浜とは違って、すでに季節の移り変わりが感じられました。

Dsc_0778  二時間ほどのウォーキングでした。時間があれば、切込湖・刈込湖のハイキング、湯元から中禅寺湖畔までのハイキングなどに足を延ばしたかったです。しっかりと歩く支度をしてまた訪れようと思うほど素敵な時間になりました。

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2008年8月 2日 (土)

読書:最近の読書から(2008年7月)

1.『「世間」とは何か』
    阿部謹也著、講談社現代新書1262、740円(税別)

2.『刑法入門』
    山口厚著、岩波新書1136、740円(税別)

3.『見えないアメリカ』
    渡辺将人著、講談社現代新書1949、740円(税別)

4.『戦争絶滅へ、人間復活へ』
    むのたけじ・聞き手 黒岩比佐子、岩波新書1140、740円(税別)

 

1.『「世間」とは何か』

 切り離したくとも切り離せないのが世間。書題に惹かれて読んだ。多少思惑が違ったのは、古典から近代の文学作品を通して世間を見つめていること。兼好、親鸞、西鶴、漱石、荷風。
 『第1章・「世間」はどのように捉えられてきたか』は『歌に読まれた「世間」』から始まる。「世の中は空しきものと知る時しいよいよますます悲しかりけり 大伴旅人」。万葉の空しさには恋の背景があるという。しかし例え世の中がうるさくとも万葉歌人は戦っている。古今和歌集の歌人たちは万葉から変化している。少なくとも世の中は受け入れなければならないことを知っていた。
 全体を、私はそうですかと受け止めるだけの能力しかない。敷居が高かった。今からでは遅いかも知れないが少しづつ下地を付けよう。

 

2.『刑法入門』

 裁判員制度が近々始まる。人を罰するのは大変なこと。あらぬ嫌疑をかけられたら果敢に立ち向かうことも必要。好む好まざるに関わらず刑法を身近にする必要がある。
 本書は「犯罪と刑罰とは何か」「犯罪は法律で作られる」「犯罪はどんなときに成立するのか」「犯罪はどんなときに成立しないか」の4章で構成。
 刑罰は刑法で定められ、死刑・懲役・禁錮・罰金・拘留・科料・没収がある。罰金や科料を納められない場合の労役場留置、没収に換わる追徴、これらで日本にある刑罰の全て。という基礎的なことから、判例の変化、学術的な対立点などが平易に解説される。類書を知らないが、本書は刑法入門として優れていると思えた。索引があるのも、あとがきで知識を深める書物が案内されているのもありがたい。いずれは読みたい。その前に本書を再読、三読して理解を深めようと思う。
 多くの方に一読を薦める。

 

3.『見えないアメリカ』

 「保守とリベラルのあいだ」とサブタイトルにある。保守とリベラルを一段階ブレークダウンすると、アカデミックな保守とリベラル、土着の保守とリベラルになる。さらにブレークダウンしたら。「乖離」や「断絶」があるにも関わらず二大政党システムになぜ収まるのか。実のところ両者の「接着剤」があるという。
 「接着剤」が何かはよく判らなかった。恐らく、ここに出る人名・地名・各種用語がわからないから全体像が判らないと思う。それにも拘わらず保守だリベラルだと判ったように済ませる私に気づく。内容は判らなかったけど、それだから判ることもある。どのような本でも読んでみるべきか。

 

4.『戦争絶滅へ、人間復活へ』

 むのたけじを詳しく知らないが信念の人と感じる。例えば「ものを見るときに、いったいどちらの側に立つのか、大きいものと小さいものが対立していたら、私はまず小さいものの側へ行きます。そして、強そうなものと弱そうなものがあったら、弱そうなものから見る」、この視点が行動の根底にあるからだろう。
 敗戦の日に戦争責任を取る形で朝日新聞社を去る。その後、週間新聞「たいまつ」を刊行して30年、そして休刊して30年。いま、朝日新聞社を去った選択を悔いる。残って「本当の戦争」を伝えなおすべきであったと。
 世界に戦争は無くならない。太平洋・アジア戦争の悲惨さを語れる人も少なくなる。「有事」という名の戦争準備が進む。今93歳のジャーナリストの一言一言を噛締めるのも平和に繋がる一歩かも知れない。
 多くの方に一読を薦める。

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