路上観察:奈良・東大寺から平城宮跡へ(2008.7.19)
奈良国立博物館・法隆寺金堂展を観終えてから東大寺戒壇院に向かいました。東大寺も大仏殿までは観光客が多く、大仏殿の拝観が終われば二月堂に向かう方は多いでしょう。しかし、戒壇院に足を向ける方は限られています。
戒壇院とは受戒の行われる場所、受戒とは僧侶として守るべきことを確かに履行すると仏前に誓うこと。戒壇院は三度の火災にかかり、現在の建物は1732年再建。内部には多宝塔と四天王像。多宝塔は再建時に作られたもの、四天王像は東大寺の他場所から移したものだそうです。極端に言えば、四天王像しか観るものはありません。後は古に思いを馳せること、鑑真・空海にまで遡れそうです。
四天王像は仏様ではあるけれど惚れ惚れします。重心を片足に載せた非対象な姿、それでいて押しても引いても動じそうにない安定した印象。憤怒あるいは深い思惟を漂わすお顔。皮革製を思わせる甲冑を身にまとい、仏教を守る守護神であることが余すところ無く表現されています。余計なものは何一つない極めてシンプルな造りであるにも関わらず。
戒壇院まで来ると、佐保路東端にある転害門に足を延ばしたくなります。天平時代から今に残る東大寺で唯一の伽藍建造物。しかし私の前後に観光客らしき人はいません。
三間一戸八脚の堂々とした門。大仏殿の西北、吉祥の位置で害を転ずる意味を込めて転害。「佐保路門」とも、源頼朝を暗殺しようとして平景清がひそんだとの伝説から「景清門」とも言われるそうです。注連縄の架かっていることも特徴でしょうか。神様と仏様は何のためらいもなしに同居するようです。
転害門から西に延びる道が平城京一条通り。西に進めば平城宮跡に至りますけど、まさかこの暑さの中を歩くなんて無謀なことは・・・。距離はサーン.5Km、少しあほになったかも知れません。歩き出してしまいました。確かこれで3回目。
一条通りの両側は民家が立ち並んでいて、通り自体から歴史的な印象を受けることはありません。ただ、平城京の大きさ(小ささ)を実感するには歩くが一番。とは言いながら多少の寄り道を許せば歴史を実感できる一帯です。例えば、聖武天皇皇后佐保山東陵、不退寺、法華寺、海竜王寺、宇和奈辺・小奈辺他の古墳群、平城宮跡、西大寺、秋篠寺。一日で回りきれないほどです。ただし今回は平城宮跡に直行。
第二次大極殿の基壇に立って東、すなわち東大寺から若草山を望めば、昔の都は手の届く範囲であることが知れます。西を望めば生駒山が聳え、夕べに太陽の沈む様を見ればさながら極楽浄土を思わせる光景が現れたのではないでしょうか。
奈良市および奈良市民は素晴らしい景観を維持するために様々な努力をしてきたと知れます。建物の高さ制限一つとっても大変なことだったでしょう。この景観のあるがゆえに、私は京都より奈良により強く惹かれます。
平城宮跡は大分整備が進んでいます。朱雀門、東院庭園、遺跡展示館など。今、第一次大極殿正殿復原整備が進んでいて、工事用の大屋根が仮設されています。限られてはいますが工事状況の見学も可能です。
ここまで来ると近鉄西大寺駅はすぐ近く。
3時間ほどのウォーキングでしたがとにかく暑く、水を浴びたように汗をかきました。以前歩いた時も夏の盛りだったと記憶します。なぜって、成り行きです。
写真は上から、奈良国立博物館前の池で、東大寺戒壇院、転害門、第二次大極殿跡、大極殿跡から東大寺・若草山遠望、朱雀門。
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