« 路上観察:アジサイ(2008.6.27) | トップページ | 路上観察:馬堀海岸から観音崎経由で浦賀(2008.7.5) »

2008年7月 5日 (土)

読書:最近の読書から(2008年6月)

1.『舞台を観る眼』
    渡辺保著、角川学芸出版、1900円(税別)

2.『戦前の少年犯罪』
    菅賀江留朗著、築地書館、2100円(税別)

3.『オキナワ・ノート』
    大江健三郎著、岩波新書563、1900円(税別)

4.『ヒロシマ・ノート』
    大江健三郎著、岩波新書563、700円(税別)


1.『舞台を観る眼』

 「白州正子の思い出」「戯曲の深奥」「折口信夫という存在」が三本柱、その間を1990年代前半の舞台のエッセーで埋める。

 「白州・・」は、著者が親しく接して知りえた白州の人となりの一端を披瀝する。自分に厳しく、自分を余すところなくさらけ出したうえでの華麗な交流が存在したと知れる。昔、白州の著書を読んだこともあり、楽しく読んだ。

 「戯曲・・」では三島と万太郎に、「折口・・」では、民俗学者でなく劇評家としての折口に迫る。いずれも私には基盤がなく、そんなものかと思う。

 舞台エッセー中に、私も接した舞台がいくつか。似た印象を抱いたものもあるし、私には思い及ばない評もある。
 例えば、「一本の白樺」と題する「劇団MODE・松本修構成・演出・旅路の果て」のエッセー。清らかなものが心に深くしみ透るような、いい芝居を見たと書き出す。私も同じような思いを抱いた記憶がある。しかし、細部の分析は緻密でそういう見方もあるのだ、と触発された。

2.『戦前の少年犯罪』

 最近は凶悪な少年犯罪が増大しているとの社会の風評。それに対して、著者はそんなことはない、戦前の少年犯罪のほうが凶悪で遥かに不可解と主張。古い新聞・雑誌を読んでデータベースを作っている。「戦前は小学生が人を殺す時代」「戦前は小学生が人を殺す時代」・・・など、「戦前は」をキーワードに少年犯罪事例が充満する。

 事例の列記で戦前・戦後の多い少ないは判らないが、末尾に統計が添付される。

 読んでいる最中に「秋葉原連続殺傷事件」発生。マスメディアの取り上げ方は果たして適切であろうか。著者はそういう傾向に対峙するのだろう。そのような視点が判らなくもないが、そこに帰結させてしまって良いか。安易に多い少ないを先に持ち出したのはマスメディアと思うが。

 興味あれば著者の「少年犯罪データベース」を参照願う。

3.『オキナワ・ノート』

 沖縄に多くの課題が存在し、住民が多くの困難を抱えることは漠然と認識する。残念だが私はそのレベルである。

 この一冊は私の知識を多少増やしたが、逆に大きな問題提起をされてしまったように思う。本書は1970年1刷である。当然それ以降の経緯は記述されない。それ以前に、1970年に至るまでの経緯も、背景の複雑さと大江の文体の難しさでよくは判らかった。

 それは私の問題であって本書の存在意義を減少することはない。とにかく、沖縄をもっと身近に感じなければならないと強く認識した。遅ればせながら。

4.『ヒロシマ・ノート』

 若き大江が1960年台に広島を訪れ、多くの事実を知る。原水爆禁止という同一の目的を持ちながら分裂してしまう活動家たち。死産した奇形児を見たいという若い母親。核実験再開に抗議して割腹自殺を失敗し、抗議書も無視され、生き恥をさらしたと語る老人。

 そして語る。「真に広島の思想を体現する人々、決して絶望せず、しかも決して過度の希望を持たず、いかなる状況においても屈服しないで、日々の仕事をつづけている人々、僕がもっとも正統的な原爆後の日本人とみなす人々に連帯したいと考えるのである」と。

 「国を守る気概を持て」と言う為政者がいる。それは違うだろう。はっきり言えば「国民を守る為政者たれと」。そのような印象を抱いた。「オキナワ・ノート」よりは文体が平易で読みやすい。

| |

« 路上観察:アジサイ(2008.6.27) | トップページ | 路上観察:馬堀海岸から観音崎経由で浦賀(2008.7.5) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 読書:最近の読書から(2008年6月):

« 路上観察:アジサイ(2008.6.27) | トップページ | 路上観察:馬堀海岸から観音崎経由で浦賀(2008.7.5) »