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2008年5月

2008年5月31日 (土)

美術:森美術館・英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展

  会期   2008年4月25日(金)~7月13日(日)
  開館時間 月・水~日曜日  10:00~22:00
       火曜日      10:00~17:00
              (いずれも最終入館時間は閉館の30分前まで)
  入場料金 一般 1,500円
  鑑賞日  2008年5月26日
  公式HP http://www.mori.art.museum/jp/index.html

 W・ターナーの名前が冠せられた賞は、現在、50歳未満の英国人及び英国在住者の絵画・彫刻・写真など既存のメディアに縛られない作品が選考対象。1984年に開始され、1990年は一度中止されたがそれ以降、刺激的な若い作家が多数受賞するイベントとなり、イギリスのもっとも有名な美術賞となってきているようです。

 この展覧会は、過去の受賞アーティストの受賞当時の作品を中心にして構成、必ずしも受賞作品でないことは記憶にとどめる必要がありそうです。

 『回顧すると、この権威ある賞が、最も斬新なアートに与えられてきたことにあらためて驚かれることでしょう。ウィットに富み、ユーモアに溢れ、知的で、ポップで、衝撃的なそれらの作品群は、今見ても非常にクールで刺激的。現代美術の中心地から、世界へ投げかけられた大きな刺激を再発見することができます。』とは、展覧会概要に記された言葉です。

 「クールで刺激的」であったか。見終えての感想はそこまで突き詰めたものではありませんでした。と言うより、比較的印象の薄いものでした。時の移ろいは残酷かも知れません。ターナー賞が創設されて20年余、現代美術で括れる範囲内と思います。しかし、この瞬間から見れば、はるか昔のことのよう。

 私が認識していた受賞アーティストは二人。リチャード・ロングとグレイソン・ペリー。

 リチャード・ロングを明確に認識したのは、直島ベネッセハウスにある作品「瀬戸内海のエイヴォン川の泥の環」、その他から。美術館の壁面に製作してあるので動かしようもなく、後で大変ではないかと思った次第。空間を占拠したこと、それはそれで刺激的ですが。
 今回の展示作品は、四角い棒状の石を並べて円環にしたもの。リチャード・ロングであることは判る。がタイトルは失念(A4版一枚で良いから作品リストを用意して欲しい)。

 グレイソン・ペリーは、昨年の金沢21世紀美術館の「我が文明:グレイソン・ペリー展」が圧巻でした。
 今回の展示作品は壷が4つ(?)でした。そこから、彼の過激さは思い浮かべることは困難でした。

 二人をマイルストーンにして他の作品を観たのですが、印象深かったのは「デミアン・ハースト:母と子、分断されて」でした。

 この作品は、実物の成牛と子牛を左右真っ二つにし、各々の塊をホルマリン漬けにして少し離して配置したもの。内臓を見ながらその間を歩ける。宣伝チラシの表面にも掲載されているので、この展覧会の目玉でしょう。

 死をテーマにし作品であることは明白です。しかし、どのような意味で印象的なのでしょうか。「牛を真っ二つにするなんて?」「ホルマンリン漬けの塊から死を感じ取れるの?」「そもそもこれが芸術?」。私は肯定的な受け止め方をした訳ではないのです。しかし、明白な死がそこに存在するのに死とは受け止めがたい。これは種々の情報において死が届けられるのにどこか虚構のように思ってしまうことと同質かも知れない。もっと繊細な感覚を身に着けなければならないと暗示するのかも知れません。

 会期は残り一ヶ月以上ありますのでもう一度出かけてみようと思います。

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2008年5月27日 (火)

路上観察:横浜散歩・カッターレース

Img_3164  日曜日の午後、空模様も明るくなったので散歩に出かけました。自宅から東に向かって歩くと20分程で港未来21地区の海辺に到着します。そこから、足のむくまま山下公園方面に歩きます。


Img_3165  赤レンガ倉庫と大桟橋に挟まれた一帯は「像の鼻」地区と呼ばれます。いま整備中ですが、完成イメージが掲示されていました。しゃれた空間に変貌しそうです。2009年は横浜開港150周年を迎えますが、その一環としての工事かと思います。完成が待たれます。


Img_3170  山下公園ではカッターレースが開催されていました。正式にはカッターボート、手漕ぎで、大型船の舷側に搭載され、救命艇、連絡艇などの用途に利用されます。時々、大桟橋に停泊中の船舶を見ますが、最近の救命艇は動力船のようにも見えます。日本丸脇の波の静かなところでカッターボートの練習をしているのを時々見かけます。


Img_3175  カッターボートのレースを見るのは初めてです。氷川丸の近くに回航マーク、そこから大桟橋寄り約200mの位置がスタート/ゴール、4コースで勝負を競っています。24日に小学生、25日が一般および女子のレースでした。乗員はこぎ手が6名、指揮・艇長が各1名。随分と多くの参加艇がドローに記載されていました。普段、どこで練習しているのでしょうか。
 山下公園に平行してコースが設けられているので、熱戦が間近に見ることが出来ました。結構きつそう。


Img_3183  いま、山下公園前の並木はアフリカ月間の美しい幕が巻かれています。2008年5月28日~30日、横浜で第4回アフリカ開発会議が行われます。横浜では会議の開催される5月の1か月間をアフリカ月間と銘打って、いろいろな催しが開かれています。

 この後、中華街をぶらついてから自宅に戻りました。

 写真は上から、像の鼻地区工事完成イメージ(2枚)、カッターボートのレース風景(2枚)、アフリカ月間

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2008年5月24日 (土)

路上観察:横浜散歩・根岸森林公園から本牧山頂公園へ

 「森林公園」は、横浜駅・桜木町駅あるいは根岸駅から発車する市営バス「滝の上バス停下車」。私は横浜駅発の市営バスで少し手前の「山元町二丁目バス停」で下車、進行方向右手の道を進みました。今は森林公園に続く裏道の感あり。しかし競馬場華やかりし頃はむしろ表通りだったと思います、メインスタンド下に続きますから。競馬場は限られた人たちの空間であったのでしょうが、時間はそういうことを忘れさせてしまいます。進むにつれて家並みの上に突き出たメインスタンド搭屋が見え隠れする、美しい光景です。


Img_3119  手前でバスを下車したのは、森林公園の北西に位置する「地蔵王廟」を拝観させて頂こうと思ったからです。地蔵王廟は在日中国人の皆さんの墓地。牌楼門で、中国系であることは一目瞭然。現に中華系の皆さんの信仰の場所ですから外側をそっと観させて頂きました。異国に眠る多くの故人は祖国に戻りたかったでしょうか。



Img_3125  たびたび訪れる森林公園に向かいます。10分も歩かないうちに到着します。
 競馬場跡の一部は青々とした蔦で覆われ、3月掲載の写真とは大違い。何かとっても新鮮な印象を受けました。園内を散策・小休止。



Img_3144  磯子方面に向かう不動坂を下ります。「山手のドルフイン」を過ぎてから信号のある十字路を左折、閑静な住宅街を10分程進むと「白滝不動尊」の裏手に着きます。本日は裏から失礼。



 森林公園は滝の上バス停下車でした。地名は伊達ではありません。滝の上の滝は、白滝不動尊の滝です。滝は上下二段です。下の滝は高さ20m、幅5m、市内で最も見事な飛瀑だったそうです。しかし、丘陵地帯が開発されて水源を失ったために今はか細い水が落下するだけです。上の滝は行場の雰囲気も漂わせていますが、いまは人影も見えません。


Img_3148 根岸の工場地帯あたりは埋め立てですから、その昔、不動の滝からは海が見わたせた筈です。いまは広がる工場が見えるだけです。世の移ろい、そう言ってしまえば簡単ですけど。
 機会があれば立ち寄って昔に思いを馳せては如何でしょうか。例えば、山手のドルフィンに行く際、バス通りを進まず、多少遠回りですが静かな白滝不動尊経由の道を選んでみては如何でしょうか。本堂の右手から、裏手の道にでて左に進めばドルフィン下に至ります。


 白滝不動尊の階段を降りて、住宅街を左手・本牧方面に暫く歩くと「間門(まかど)」につきます。私の子どもの頃、国道16号を三浦半島方面に向かうと、ここから海の広がりが目に入りました。近所の「三渓園」には海水浴場もありました。
 「谷崎潤一郎・本牧夜話」はこの辺りを舞台にした物語です。原作を読んでいませんが、演劇(2002/12/7~8・大阪市立芸術創造館・第三回クラシックルネッサンス)を観たことがあります。随分とハイカラな雰囲気を漂わせた一帯だったと想像します。


Img_3157  暫くすると本牧の商店街の外れ、アメリカ坂下に到着。坂を上ると「本牧山頂公園」のアメリカ坂口に到着します。入口は5・6箇所あるようですが、私はマイカル本牧口に向けて園内を散策しました。まだ数回しか訪れていないので詳しくはありませんが、木々が多く、都会に残された数少ない自然(手は入っていますが)に触れられます。名前の通り、本牧の商店街の背後の丘陵地帯一帯に広がっています。多少の遊具があり、キャンプ場もあるようですが、あとは広っぱ。道を選ばずに散策するのも良し。



 多少の休憩を含めておよそ三時間ほどのコース。
 このコースのポイントは、根岸森林公園と本牧山頂公園です。両方とも日本離れした雰囲気を漂わせる公園です。なぜか。それは、アジア・太平洋戦争の敗戦後、進駐軍に接収された地域に含まれていたことによると思います。いつの頃までだったか記憶に残りませんが、この辺りは進駐軍(アメリカ軍)の人たちが居住していました。日本の中のアメリカ、いまでも多少残りますが。戦争は最低の外交手段、繰り返してはいけません。そんなことも多少は思い浮かぶコースです。

 写真上から、地蔵王廟、根岸森林公園、不動の滝(上段)、不動の滝(下段)、本牧山頂公園の気になる木

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2008年5月17日 (土)

美術:そごう美術館・佐伯祐三展

  会期   2008年5月10日(土)~6月22日(日)
  休館日  会期中無休
  開館時間 午前10時~午後8時(最終日は午後5時閉館、入館は閉館の30分前まで)
  入場料金 大人1,000円
  鑑賞日  2008年5月14日
  公式HP http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/

 「そごう美術館」は、横浜駅東口の「そごう横浜店」6階にあります。いわゆるデパート美術館の範疇と思われるかも知れません。しかし、百貨店内にある博物館としては日本で初めて博物法に基づく登録がなされた本格的な美術館です。

 以前知って「本当?」と思ったのですが、博物館と美術館は法的な区別がありません。法によれば『「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し・・・』となります。設置は地方公共団体あるいは法人で、規定による登録がなされたものが博物館です。個人名を冠した博物館はあっても、個人所有の博物館は法的にはありえないのでしょう。物事を厳密に考えることは難しいものです。

 「佐伯祐三展」、記憶をたどれば1回目は「没後50年記念・佐伯祐三展・1978・名古屋市博物館」。仕事の関係で、現在も行き来する知多半島東岸にある工場の独身寮で生活していました。休日に名古屋市内まで出かけて鑑賞。「郵便配達夫」のポスターを購入、パネルに仕立てて寮の部屋に掛けておいたものです。

 2回目は「生誕100年記念・佐伯祐三展・1998・大阪市立美術館」。尼崎市近辺で単身赴任していた時期です。JR天王寺駅から大阪市立美術館へ向かう道路はカラオケ街道と名づけたいほど多数の簡易な店が建ち並び、歌ったり踊ったりの光景が繰り広げられていました。通り抜けるのに思わず身構えた記憶があります。その後、撤去されたとのニュースを見かけました。

 そして3回目、久しぶりで「そごう美術館」へ。
 展示されている作品は非常に多いです。短い生涯を思えば実に多くの作品を残しています。その中でしっかり記憶に残っている作品、残っていない作品。

 6・7点の自画像、大体好きです。短い人生を予感しているのか、少し左に向けた顔は深い静寂に沈んでいます。

 他の自画像が上半身を描くのに「立てる自画像」は全身です。しかも顔の部分を引っかいてあって詳細不明。カンバス(?)の片面に「ノートルダム寺院」を描き、その反対面に「立てる自画像」を描いているので展示は天地逆、「ノートルダム寺院」面を基準にして展示しているためです。「立てる自画像」、本来は没になる作品なのでしょうか。しかし、華奢な体で、どこにも力が入らず、ただ何となく立っているような表現は、過去の自分と訣別する意思の表れと理解しました。他の作品と随分と異なる印象を受けます。

 多くの風景画、パリ・下落合・大阪。寸暇を惜しんで描き続けているかのようです。全般的に人の気配はなく、無機質な印象です。絵の具をパレットナイフで延ばしたようなタッチが、無機質な印象をより強めます。「黄色いレストラン」「ノートルダム寺院」「モランの寺」、同じテーマの作品が多く1枚1枚の印象は異なりますが、好きな作品は何枚かあります。

 会場の一番最後に「郵便配達夫」、突き詰めればこの一枚を見に行ったようなものです。
 白いあごひげを生やし、制服・制帽でイスに座る郵便配達夫。体全体が左に傾いているのは実際にそうだったのか、表現上の理由かは判りません。生き生きした表情は見えませんが、全体が比較的明るい色調です。残された少ない命、一人の人物と対峙してカンバスに留める作業、どういう気持ちだったのでしょうか。

 30年程前、「郵便配達夫」を初めて観たとき何も背景を知りませんでした。今多少知識が増えています。しかし、作品に対する思いは当時と変化していません。成長していない証とも言えそうですが、まあ仕方ないか。それより30年を経過して同じ絵の前に立てること、それが何となく貴重のように思えました。

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2008年5月15日 (木)

ご案内:「露の団六・落語とおはなし」

 横浜市西区の障害のある人の住みやすいまちづくり事業の一環として、露の団六さんの「落語とおはなし」が開催されます。概要は下記を、詳細は添付を参照願います。

  日時      平成20年5月30日(金) 19時開演(18;30開場)
  会場      横浜にぎわい座芸能ホール(JR桜木町下車徒歩3分)
  参加費     無料(要申し込み)
  申込み締め切り 5月20日
  主催      横浜市西区役所

 まだ、定員に余裕があるようですから、ご都合のつく方は参加をご検討しては如何でしょうか。お役所にしては粋な催しではないでしょうか。

 露の団六さんは関西で活躍する落語家さんです。名前は承知しておりますが、まだ聞いたことはありません。勤務先が遠方で、戻ってくるのが少々きついのですが、何とか都合をつけて参加するつもりです。

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2008年5月14日 (水)

路上観察:下関から門司へ

 連休中の一日、北九州小倉に15時過ぎに着いたので仕事の谷間の小旅行を楽しみました。
 小倉から下関へ、大きく言えば九州から本州へ。JR電車で料金わずかに270円、所要時間20分弱。関門トンネルを通過するのに、料金は横浜・東京間より安くて軽い驚き。体験は貴重です。

 いざ下関、と言いながら知るところは赤間神宮、唐戸市場、巌流島程度。下関駅構内の地図で赤間神宮の位置を確認、一時間も歩けば到着するだろうと方向を定めて歩き始めます。

 最初に目にする町並みは、随分とモダンな感じでした。海峡メッセ(展望塔?)は以前に門司から眺めました。国際ターミナルに韓国行きフェリーボートが停泊していて大陸の近いことを実感。海峡館(水族館)は随分多くのお客さんが入場しているようでした。

Img_3072  さらに進むと旧英国領事館、古い港街であることが確認できます。唐戸市場、ふぐの市場として耳にしたことがあります。市場脇から門司行きの水上バスがあることを知り、帰路は水上バスに変更。何も知らないから関門トンネルを歩いて門司に行くつもりでしたが。


Img_3074  赤間神宮。壇ノ浦の源平合戦で平家一門とともに崩じた安徳天皇の冥福を祈る。崩じた時はわずか8歳。往時は阿弥陀寺と称し、明治8年に勅命で官幣中社、地名から社号を赤間宮と定める。昭和15年に官幣大社に昇格。この部分は受け売り。
 官幣中社を知り、神様も昇格することを知りました。

 水天門の写真が赤間神宮のイメージです。当日は年中行事の先帝祭の橋掛かりがありました。この門は特定の形式でしょうか。長崎の観光写真で見かけたような記憶がします。金沢にもあったような。あるいは思い違い?


Img_3078  境内に平家一門の塚があります。随分簡素です。刻まれている名前を読んでみたのですが、文字も薄れて判るものも判らないものもありました。

 唐突ですが、劇団SCOT「景清」が思い浮かびました。名前を探したのですが見つかりません。後で調べたところ、後列に景清塚があったようです。

 「一の谷の軍破れ 討たれし平家の公達あわれ」と、これは昔の小学唱歌でしょうか。私は習っていませんけど。神戸六甲山縦走路に一の谷の分岐案内がありましたし、須磨寺(明石)の記憶も浮かんできました。平家一門は、一の谷から讃岐国屋島 (現高松市)へ、そして壇の浦へと落ち延びることになります。
 歴史に学ぶなら、戦争の種は尽きないとの結論に至ります。何か悲しい現実です。


Img_3081  芳一堂もありました。耳なし芳一は赤間神宮(阿弥陀寺)に住む盲目の琵琶法師。小泉八雲の物語にあります。堂に掲げられている提灯に湯西川の文字。日光の奥、平家落人の里からの寄進、随分と遠く離れているけれど、時も経ているけれど、一門のつながりなのでしょうね。


 関門海峡を見ながら唐戸市場まで戻ります。夕食は唐戸市場内で思ったのですが、寿司屋に待つ人の多いこと。順番を待ってまで食べるつもりもないので素通り。

Img_3096  水上バスで関門海峡を横切って門司へ。海から関門橋を眺め、遠く和布刈神社を望み、海に沈んだ平家一門の哀れさを思います。高速船は潮に流されているかいないかわからないうちに、門司港に到着します。その間、わずか5分。

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2008年5月 7日 (水)

路上観察:半田運河

1_2  「粋な黒兵衛、神輿の松」と、訳も判らずに思った時期もありました。正しくは「粋な黒塀、見越しの松」でしょう。古い歌の一節にありますが、横浜でそのような風景を見ることはありません。しかし、知多半田から知多武豊近辺では良く目にします。必ずしも古い家だけでなく、新しい家もあります。なぜなのか、その理由を知りたいと以前から思っています。


2  半田とは愛知県知多半田市のこと。名古屋から知多半島東岸を走る名鉄河和線特急で30分ほど南下した辺り。知多武豊はもう少し南下。ここらから西に向かうと、半島の西岸に中部国際空港があります。昔から仕事で知多武豊は良く行き来し、2年間の単身赴任の経験もあります。随分と開けたと思いますが、まだまだ田園風景も多く残る良いところです。


3  最近、宿泊する必要がある場合は名鉄知多半田駅そばのCホテル。耐震強度不足で新築のホテルを壊して建て直したと言えば、あれかと思い浮かぶ方もおられるでしょう。ちょっと横道にそれました。元に戻しましょう。

 この近辺でもう一つ目にするのが醸造業。味噌・醤油・酢・日本酒をつくる店や工場。半田でつくられる日本酒は「国盛」が有名、酢ならば「ミツカン」は全国区の銘柄でしょう。


4  知多半田駅から東に10分ほど歩くと半田運河に突き当たります。運河だけ見れば何の変哲もありません。しかし、その両側にミツカン酢の貯蔵倉が棟を並べていて、何とも風情のある風景が広がります。一角に「酢の博物館」があります。一時間ほどで案内してくれるそうですが、私はまだ中に入ったことがありません。この辺りを歩くとほのかに酢の香りが漂ってきます。少しづつ育っているのでしょうか。おりしも5月。鯉幟もゆうゆうと泳いでいます。


5  近所には「童話・ごんぎつね」の作者・新美南吉記念館もあります。あるいは、岬の先端まで足を延ばして篠島、日間賀島に渡るのも良いでしょう。名古屋近辺からは1日の行楽コースになりそうです。何かの折に立ち寄っては如何でしょうか。私もいずれ見学するつもりです。

 写真上から、途中で見かけた黒塀・見越しの松の素敵なお宅、酢の博物館、運河風景1、運河風景2(鮮やかにおなじみのマーク)、運河風景3(反対岸)

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2008年5月 5日 (月)

読書:最近の読書から(2008年4月)

1.『アジア・太平洋戦争』
    吉田裕著、岩波新書10476、780円(税別)

2.『民主主義という不思議な仕組み』
    佐々木毅著、ちくまプリマー新書064、760円(税別)

3.『貧困大国アメリカ』
    堤末果著、岩波新書1112、700円(税別)

4.『反貧困』
    湯浅誠著・岩波新書1124、740円(税別)

 新書4冊は一ヶ月の読書量として多くない。しかも、理解も良く進んではいない。再読、再々読が必要と思っている。特に意識して選択したわけでないが、特に 2~4 は何らかの結びつきがある。4 は 3 に言及している。

 

1.『アジア・太平洋戦争』

 当時使われた「大東亜戦争」はイデオロギー過剰な呼称、現在一般的に使われる「太平洋戦争」も、日米戦争本位の呼称で中国戦線や東南アジアの占領地の重要性が見失われてしまう可能性がある。タイトルを「アジア・太平洋戦争」とした理由である。これが著者の基本的な立ち位置であり、重要なポイントであろう。初めの方で示される戦争関係地図を見れば、この名称が的を射ていることはすぐに判る。
 私は本書の内容をうまくまとめられない。よって、戦没者数を引用して戦争の愚かさを示したい。
 厚生省によれば日中戦争から敗戦までの日本人戦没者数は、軍人・軍属などが約230万名、外地一般邦人が約30万名、国内戦没者数が約50万名、合計310万名。ここには朝鮮人と台湾人の軍人・軍属の戦没者数、約5万名を含む。しかし、この数字には疑問も少なくない。他にも漏れがあり、日本人の戦没者数は310万名をこえると考えられる。 
 アメリカ軍の戦死者数は約10万名、ソ連軍約2.3万名、英軍約3万名、蘭軍約2.8万名。
 交戦国であった中国や日本の占領下にあったアジア各地域の人的被害はもっと深刻であるが、正確な統計資料がなく大まかな見積にで、中国軍と中国民衆の死者1000万名以上、他の地域を含めた総計で1900万名。詳細は本書を参照願いたい。合掌。

2.『民主主義という不思議な仕組み』

 先の衆議院選挙は郵政民営化を世に問いかけた結果である。その後、選挙の洗礼を受けていない安倍、福田政権の下、日本の舵取りが為されている。少し前にはガソリン暫定税率が衆議院で再可決された。最近の世論調査は再可決に否定的な民意を示している。この状態は民主主義といえるのか。私の疑問は尽きない。
 この本は若いヒトへのメッセージとなっている。しかし、考えてみれば、私も民主主義という言葉は知っていても、その本質がわかっているわけでない。
 最悪の事態を避けることと最善の状態を実現することは分けて考える必要がある。現実社会には、グローバル化に伴う格差とか、環境・資源とか否応なしに対応しなければならない問題群がある。有効な施策に注力し、可能な限り国際的に有利な位置を占めるように導くことが政治の課題になる。政治は一時の興奮などによって左右されてはならないし、非合理な政策は有効性を持たないという冷静な観点を持ち続けること。政治は感情で動くように見えて、最後は「頭脳」でする活動であることを忘れてはならない。政治の世界には有権者を騙しかねない人がたくさんうごめいていることを無視できない。とは著者のまとめである。
 若い人のことはともかく、遅ればせながら私はこれから心していきたい。

3.『貧困大国アメリカ』

 「第一章・貧困が生み出す肥満国民」「第二章・民営化による国内難民と自由化による経済難民」「第三章・一度の病気で貧困層に転落する人々」「第四章・出口をふさがれる若者たち」「第五章・世界中のワーキングプアが支える「民営化された戦争」」の構成で、アメリカの貧困の実体を紹介していく。以下、私の特に気になった部分を。 第一章、家が貧しいと毎日の食事は安くて調理の簡単なジャンクフードやファーストフード、揚げ物中心になる。肥満国民の増大傾向はますます強くなる。
 第二章、ニューオリンズ市の大半を水没させたハリケーン・カトリーナ、それは自然災害ではなく人災であったと。民営化された連邦緊急事態管理庁の絶望的な対応の遅さが原因と言う。
 第三章、例えば急性盲腸炎でたった一日入院したその請求額が132万円。保険でカバーできず、妻の出産も重なり借金が膨れ上がって破産宣告。極めて普通の生活していたにも拘らず。
 第四章、落ちこぼれゼロ法は表向き教育改革、ただし全米のすべての高校は生徒の個人情報を軍のリクルーターに提出すること。裕福な生徒が通う高校は個人情報を提出さないが、助成金で運営している貧しい地域の高校は拒めない。訓練されたリクルーターにより軍隊に導かれる。
 第五章、戦争でなく派遣と言うビジネス、勤務地バクダッドでトラック輸送。ただし積荷は武器。
 貧困に向かわせる仕組み、貧困ビジネス。極めて普通の生活をする人々が何かをきっかけに貧困に落ち込むのは早く、抜け出すのは困難という事実。日本の先行指標としてのアメリカ、その負の側面が伝わってくる。いずれ日本もか。

4.『反貧困』

 貧困の特徴は「見えないこと」であり最大の敵は「無関心」と言う。私は敵とは思わないが、さりとて味方でもなかった。
 『「自助努力の欠如」でなく「自助努力の過剰」。「相談したいが、そちらに行く交通費がない」というところまで頑張ってしまう人が多すぎる』。「自助努力の過剰」には気がつかない。ネットカフェ難民やホームレスと言われる人の多くは、自分で問題を解決しようと思い過ぎて余計に深みにはまり込むとの指摘。心に留めたい。
 雇用・社会保険・公的扶助の三層の社会的セーフティネット。しかし、一段目を落ちる人は、二段目も三段目もすり抜けてしまう可能性が高い。好んで貧困に陥るわけではあるまいが、そこから抜け出すことは限りなく困難。再チャレンジが許されない社会構造になりつつあるのか。
 著者は、反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長。体験に基づく話題や活動の様子から、貧困・反貧困の概要を知ることができる。政治の貧困さも感じられる。何かをきっかけにして急坂を転げ落ちるように貧困に近づく。新自由主義の影が色濃く漂よう。私は関心を継続したい。多くの人に一読を薦める。
 もやい http://www.moyai.net/ 

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2008年5月 2日 (金)

路上観察:横浜散歩・山手異人館

 JR根岸線磯子行電車が石川町駅を出発するとすぐにトンネルに入ります。そのトンネルの入口付近真上にイタリア山庭園、園内に「外交官の家」「ブラフ18番館」があります。

 石川町駅を起点にするならば南口改札を出て下さい。元町方面に少し進むとすぐに、山手本通りに続く坂道があります。そこを右折して道なりに進めば自然とイタリア山庭園に導かれます。ゆっくり歩いて5分ほどです。


1 イタリア山庭園の名前は、明治初期の頃、この場所にイタリア領事館があったことに由来するそうです。その立地から、横浜の中心部が一望できます。


2  「外交官の家」は、明治政府の外交官内田定槌氏の元邸宅。明治43(1910)、東京渋谷南平台に建てらたものだそうです。イタリア山庭園にある理由は、平成9(1997)年に横浜市がお孫さんから寄贈を受け、移築復元したからです。重要文化財にも指定されているように、明治期の建築としても貴重なもののようです。


3  「外交官の家」の裏手に幾何学模様の庭園があります。きれいに整備された庭園は、噴水から流れ出た水が数十mの水路を流れ、水路を中心に左右対称に作られています。何様式と言うか知りませんが、庭園越しに見る「外交官の家」は、一層優雅に見えます。絵を書いている人も多く見られます。


 庭園内にはゆったりした時間が流れているようです。ベンチに座ってくつろげば、時の過ぎ行くままに、そんな気持ちになります。私の知る範囲で、横浜でもっともゆったりした場所です。庭園内には「ブラフ18番館」も。

4  この後、山手本通りに出て「港の見える丘公園」方面に向かって下さい。順に、「ベーリックホール」「エリスマン邸」「山手234番館」「山手111番館」が道の左右に見えてきます。そして、「港の見える丘公園」の入口右手に「イギリス館」。


5  随分と昔のことです。「イギリス館」で開催されるサロンコンサートに良く出かけました。いまでも記憶に残るコンサートは、外は雪景色、演奏されたのが「ビバルディ・四季」、演奏は東京ゾリステンだったと思います。本当に今は昔。


 「港の見える丘公園」に入り、「フランス領事館跡」を見ながらフランス山を下れば、そこは元町。元町を抜けて石川町に戻るのも良し、山下公園から港未来21地区まで足を延ばしてJR桜木町に至るも良し。連休の一日、出かけて見ませんか。

 写真は上から、「外交官の家・表側」「外交官の家・裏側」「庭園」「ベーリックホール」「山手234番館」

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