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2008年4月 3日 (木)

読書:最近の読書から(2008年3月)

1.『満州事変から日中戦争』
    加藤陽子著、岩波新書1046、780円(税別)

2.『夜は暗くていけないか -- 暗さの文化論』
    乾正雄著、朝日選書600、1300円(税別)

3.『陰翳礼讃』
    谷崎潤一郎著、中公文庫、476円(税別)

4.『海辺のカフカ・上巻』
    村上春樹著・新潮社、705円(税別)
5.『海辺のカフカ・下巻』
    村上春樹著・新潮社、743円(税別)

6.『歌仙の愉しみ』
    大岡信・岡野弘彦・丸谷才一著、岩波新書1121、780円(税別)



1.『満州事変から日中戦争』

 「満州事変は、①相手国の指導者の不在を衝いて起こされたこと、②本来は政治干与を禁止された軍人によって主導されたこと、③国際法との抵触を自覚しつつ、しかし国際法違反であるとの非難を避けるように計画されたこと、④地域概念としての満蒙の意味する内容をたえず膨張させていったこと、この四点においてきわだった特質をもっていたと思われる。」
 三十年近く前、中国西安での仕事を終えようとする時、通訳を誘って観光兼食事に出かけました。意識したかしないかは不明ですが、最後に八路軍西安弁事処記念館に案内されました。私は発する言葉の持ち合わせがありませんでした。恥ずかしい気持ちもありました。しかし、何もしないままに今に至りました。最近、多少の知識を持ち合わる必要を感じます。いざというときにしっかり判断するために。その第一歩。シリーズ日本近現代史・全十巻の5巻目。文章は多分に硬質と感じました。このような表現しか有り得ないかも知れない、とも思うのですが。
 軍隊は国の一部を守る、しかし多くを守らない、私の仮説です。守られるものと守られないもの、それが何であるか、追求したい。

2.『夜は暗くていけないか -- 暗さの文化論』

 「ブリューゲル・雪中の狩人たち」の絵を引き合いに、ヨーロッパの冬空の暗さに言及します。そして、高度成長以来の日本がこうも明るくなった理由の一半は、暗さを理解することなく出発した文明開化に求められるのではないかと言います。
 取り上げられた話題は多方面にわたります。「Ⅰ 暗さのもたらすもの」では谷崎・陰翳礼賛を再読。「Ⅱ 暗さをたずねて」では東京・ロンドンの気候の比較や建築、教会の光と陰に迫ります。「Ⅲ 現代に暗さをつくる」では明るさでなく、暗さを基準に照明を考えます。
 暗さに焦点をあてた文化論。科学と文化の間への架橋。本当に楽しく読みました。第1刷は10年前、直後に「NHK FM 日曜喫茶室」でも取り上げられて興味を抱いていました。ふとしたきっかけで遅ればせながら読了。名著です。早く読めば良かった。

3.『陰翳礼讃』

 前掲書をきっかけにして再読。「能に付き纏うそう云う暗さと、そこから生じる楽しさとは、今日でこそ舞台の上でしか見られない特殊な陰翳の世界であるが、昔はあれがさほど実生活とかけ離れたものではなかったであろう。」との指摘。谷崎の観た能舞台と今観る能舞台は同じだろうか。現代は明るくなりすぎて、かえって見えなくなったものが多くあるように思います。例えば、20年前に富山県利賀村でみた降らんばかりの星空、今は都会の空と変わりありません。夢も遠ざかったように思います。

4.『海辺のカフカ・上巻』
5.『海辺のカフカ・下巻』

 上・下巻で1000ページに及ぶ長編小説、しかし苦もなく読めました。村上の文体は判りやすい。しかし、そのことが内容の判りやすさを示すものではありません。
 物語は、僕(田村カフカ)とナカタさん、各々を中心にした二重構造で展開します。「僕」は、父親に与えられた「呪い」を逃れる為に家を出ます。二人はある所にたどり着きます。そして、ある人物を媒介に限りなく接近します。しかし、交錯することはありません。
 さまざまな解釈が成立しそうです。私はいまだ解釈を試みていません。とりあえず問題提起を頂いた、なかなか手ごわい問題提起ではありますが。
 カフカはF・カフカに結びつきます。「城」の迷宮的な世界を、「失踪者」の漂流者の世界などが、香り付けとして浮かび上がります。「オイディプス王」「いざなぎ・いざなみ」も底流に感じられます。
 興味惹く人物。高松の甲村記念図書館の司書、大島さん。甲村記念図書館の管理を任されている女性、佐伯さん。「僕」が夜行バスの中で出会った女性、さくらさん。
 甲村記念図書館、実在ではないそうです。が、そのような世界に身を置いてみたい、そう思いました。

6.『歌仙の愉しみ』

    だいじに摘んだ萌ゆる早蕨  信
   西行のえにしの寺の夢しだれ  乙
    大和へゆくと切符買う春   玩

 「歌仙・鞍馬天狗の巻」の挙がり三句。切り詰めた語句の中に、早春から仲春に向かう鮮やかな風景が目の前に広がります。「石ばしる垂水の上のさ蕨の 萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子」「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ 西行」も思い出されます。言葉を楽しむ最たるものが連句、そのように確信しています。
 2000年9月から2008年1月の間に巻かれた歌仙8巻、言葉のプロたちが言葉を楽しむなごやかな雰囲気が伝わってきます。言葉は大切に。細かいことにこだわらず(実は良く判っていない)に楽しく読みました。
 ところで引用の挙がり三句。大和(飛鳥)から近つ飛鳥へ、そして大和(飛鳥)に戻っているように感じるのは気のせいでしょうか。直接言葉に出ないから良いのか。そのような疑問はなかなか解決しません。

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