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2008年2月14日 (木)

随想:お水取りとお水送り(1)

 奈良・若草山の山焼きが終わると、関西人でもないのに私は「お水取り」が気になりだします。関西人だってそれほど気にならないかも知れないのに。

1  横浜生まれで横浜育ちの私がいつ頃から気になるようになったかは定かでありません。おそらく、TV放映されていた「近鉄提供・真珠の小箱」が伏線だったと思います。「お水取り」「南無観」「お松明」「韃靼」「五体投地」などのキーワードが胸に刻み込まれました。この番組は、近鉄沿線の観光地を中心に観光目線にならない良質の話題を提供していました。放映の時間帯が変わったりしていつしか見ることもなくなり、暫く前に放映も終了したようです。

2  千数百年の間、3月1日~14日に繰り広げられてきた「東大寺二月堂修二会」。修二会とは、籠もりの僧が二月堂ご本尊の十一面観音の前で、私たちが犯してきた罪を懺悔し、功徳によってすべての人たちが幸せになることを祈念する行事です。その12日目、暦では13日未明に二月堂下「若狭の井」から霊水を汲む行事が「お水取り」です。ただし、世間一般では修二会全体を「お水取り」と俗称します。

 「お水取り」と俗称されるにしては、「修二会」は火の印象が強いです。籠もりの僧が上堂する際に足元を照らす上堂松明。僧の足元を照らした後は、二月堂の欄干から突き出されて火の粉を撒き散らします。そして、二月堂内で小脇に抱えるほどの大きさの松明を振り回す韃靼松明。

3  尼崎に起居していた時、3月前半の週末は良く奈良に出かけて二月堂周辺をうろうろしていました。大半の行事は内陣で行われるので目にすることはできません。よって、流れる声明を聴き、時々、僧が外陣に出てくる「五体投地」「韃靼」などを目にします。その中でも、日が暮れてから待つことしきり、19時ごろの上堂松明は「修二会」のハイライトです。

 さて本来のお水取りのことです。
 深夜二時過ぎの行事ですから人出はそう多くありません。二月堂からでた僧が、堂下の若狭の井に霊水を汲みに行きます。私は二回、目にしました。とは言いながらその瞬間は漆黒の闇の中、目にすることはありえません。よって、目にするのはその前後の行為になります。

4 初めての時に驚いたこと。それは、霊水を汲みに行く時、雅楽が奏されたことです。二月堂下の一角に雅楽隊が陣取り演奏します。なぜ驚いたかと言えば、仏教の行事なのにと言うことです。日本人にとって、神様仏様は同居していることを強く感じました。

 私の「お水取り」グッズは、「平凡社カラー新書59・お水取り・清水公照/佐多稲子著・土門拳撮影(廃版?)」と「修二会主要行事時刻表・東大寺発行」の二つです。新書は1977年発行、無線綴じもほつれてばらばらになっています。時刻表は行事の全貌がわかるので行動には欠かせません。

5 二月も半ばを過ぎると、籠もりの僧も火を分けてお水取りの準備に入ります。もうすぐです。

 写真は上から、二月堂全景(大仏殿にみて右奥手になります)、若狭井(小屋の中)、お水取りを待つ人々(全景の堂上から逆方向を向いて、左側のテントに雅楽隊だがまだ見えていない)、お水取りの一行(前の方)、お水取りの一行(水桶を運ぶ)。

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