美術:横浜美術館・ゴス展
会期 2007年12月22日(土)~2008年3月26日(水)
開館時間 10時~18時
企画展開催中の金曜日は20時まで(入館は閉館の30分前)
休館日 毎週木曜日(祝日を除く)
木曜日に祝日開館した場合はその翌日
入場料金 一般 1200円
鑑賞日 2008年1月11日、13日
「ゴス」という語彙の持ち合わせが私にはありません。「ゴス」から想像できる美術関連の語彙は「ゴシック」です。結果的に間違いではないようですが、「ゴス」はもっと多義、いや定義困難な語彙のようです。まずその概念を明確にしないと話題が進まない。再訪して展覧会挨拶をメモしました。展覧会開催の主旨がそこに述べられていると思います。要約して紹介しますが、文責は私にあります。
『若者たちが「ゴス」ということばを使い始めて10年ほど。今では、音楽、映画、アニメ、漫画、ファション、絵画、彫刻、小説など、あらゆる分野で「ゴス」が語られ、風俗とも流行ともなっている。「ゴス」とはある種の憧憬、意識のあり方で定義は困難。そこに共通するものは、死、病、苦痛、恐怖、残酷、怪奇、野蛮、退廃、異端、耽美等々への志向。裏返せば、失われた純潔と無垢の愛、あるいは歪んだナルシズム。その根底には精神と肉体のあいだの果てしない葛藤がある。』
『「ゴス」の根源のゴシックは、12世紀半ばに北フランスで始まった建築様式を示す用語。古代ローマ帝国を滅ぼした「ゴート族の」の意味。ルネサンス時代のイタリア文化人たちは侮蔑をこめて使った。18世紀には数多くのゴシック建築が破壊された。反面、人びとには、理性の光が届かない闇の世界への憧憬が強まり、特に英国を中心に「ゴシック・ロマンス」と呼ばれる怪奇小説を生みだした。19世紀に入ると、資本主義と産業革命の急激な発展を嫌悪するあまり、中世社会を理想化するさまざまな運動が起こり、それを「ゴシック・リヴァイヴァル」と総称する。』
『「ゴシック・リヴァイヴァル」は個人の趣味であると同時に信仰と労働にもとづく共同体の復活を希求する社会運動という面をもつ。「ゴス」は、反近代、反合理主義という点では共通するが、自己の肉体あるいは生理に根ざす徹底した「私」への固執という点では、いっそう過激なもの。今日、人びとがいだく理想と価値観は大きく揺らぐ。このような時代だからこそ、「ゴス」は多くの支持を集めていると思う。』
ゴスの概念が浮かび上がってきますが、何かとらえどころのないままです。私の思いは整理できません。
この展覧会で取り上げた6組のアーティストは、リッキー・スワロー 、Dr.ラクロ、束芋、イングリッド・ムワンギ-ロバート・ヒュッター、ピューぴる、吉永まさゆき。分野は絵画、彫刻、映像、写真。
例えば、吉永まさゆきは、アンティックドール風の装いをした若者たちを撮影した写真展示。奇抜な衣装を着けた若者との視点しかありませんでしたが、そこに主義主張が込められているならば、遅ればせながら理解に努めましょう。
横浜から日本全国に広まった物は沢山あります。横浜美術館もなかなかユニークなメッセージを発信しています。本日も駐車場に豊橋ナンバーと2台の静岡ナンバーのバスが停車していました。遠路、鑑賞に来たのだと思います。私の散歩圏内に存在することも嬉しい。これからも時代の先端を行くアートシーンを切り開いて欲しい。繰り返し鑑賞して何かを感じたいと思います。いずれ続きを掲載します。
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コメント
さっそく行かれましたね。私はこれからです。
>「ゴス」は、反近代、反合理主義という点では共通するが、自己の肉体あるいは生理に根ざす徹底した「私」への固執という点では、いっそう過激なもの
「ゴス」スタイルの人間を 観察者の目で
見ると必ず痛みを伴います。
精神の痛みと云うより、傷ついてもいない「自分の生身の肉体」が疼くのです。
はっきり言って「安全なシェルター」の中からならかまわないけれど、空気感染する距離はなんとも…。
開港時代、写真撮影は魂を吸われる!との噂が流布したようですが、<私に執着するもう一人の私が神の手で引きはがされ、私でなくなる!>と思うと、明治人の感覚とおなじ。
なんだろう、この精神と肉体の乖離感覚
投稿: 女三宮 | 2008年1月20日 (日) 16時16分
女三宮さん、こんばんは。
ゴスとか、ゴスロリとか、複雑に細分されるようですね。6人のアーティストも、なかなか共通項が見出せません。そこがゴスなのでしょうか。空気感染しても困ります。と言いながらも何が困るかもわかっていません。
世の中の思考形態が、一部に限って細分化しているということでしょうか。全体感がなかなか判りません。
投稿: F3 | 2008年1月20日 (日) 23時49分