随想:歳旦
あけましておめでとうございます。
この一年、私はブログを通して今まで以上に皆様に接することを試みます。ブログは小人に強い力を貸してくれます。今年は読書感想を加えたい。ささやかかも知れませんが、社会に対する主義主張も加えたい。皆様のコメント・トラックバックも頂ければありがたい。どうかよろしくお願い致します。
年が変ると思い出す句に
春立つや 新年ふるき米五升 芭蕉
があります。米五升を残して新年を迎えられた喜びがこめられています。しかし、米五升は貧乏の代名詞。そこに俳諧さを求めたか、達観していたか、定かでありません。おそらく両者と推測します。なぜなら、そのような暮らし向きだととしても、芭蕉に究極の貧乏はなかった筈です。なんだかんだ言っても多くの支援者がいましたから。
それはそれとして、米をキーワードに少し考えてみました。
既に前々首相になりますが、小泉さんが「米百俵の美談」を持ち出しました。内容は割愛しますが、百俵とはどの程度の量か。芭蕉句と比較します。
1俵は60㎏ですから100俵は6000Kg
ちなみに1升は約1.5kgですから5升で約7.5kg
6000÷7.5=800
一人が一日に0.3kgを食べるとすれば、800人ほどが1ヶ月弱の飢えを凌げた筈です。それで足りたか否かは別にして。
美談に泥を塗るつもりは毛頭ありません。しかし、美談の影に何があったのか、しわ寄せが弱者に至らなかったのか。私はそれを知りたい。
どん底にあって百年の大計を考えられるでしょうか。明日、いや今日のことしか考えられない筈。多少余裕のある今、ささやかではありますが私はいろいろと考えを巡らしたい。小泉さんは「備えあれば憂いなし」とも言っていました。
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