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2008年1月

2008年1月28日 (月)

路上観察:太宰府へ(その3)

Img_2422  政庁通りを歩いていくと、急にと思えるような感じで大宰府政庁跡正面に出ました。都府楼跡とも呼ばれる大宰府政庁跡、鮮明に意識したのは「松本清張・時間の習俗」によります。それ以来、数十年を経てその正面に立ちました。

 大宰府政庁跡は、九州全体を治める役所・大宰府のあった所です。奈良・平安時代を通じて九州の統治、防衛、外交の窓口として重要な役割を果してきたそうです。今の大宰府政庁跡には立派な礎石が残るだけです。しかし、役所やそれらを結ぶ回廊が、小さな都を思わせるように連なっていた様が浮かんできます。そして、古人の行きかった姿も。

Img_2426 傍らの碑に和歌一首が刻まれていました。

   あおによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は
   咲く花の薫ふがごとく
   今盛りなり

 あまりにも有名な一首、「小野老」が大宰府に着任した時の宴席で披露した歌と知りました。着任間際の「小野老」が、長く都を離れている仲間に、奈良の都は花盛りのように栄えていると伝えたのでしょう。座はやんやの喝采だったでしょうか、それとも都を思いだして一瞬静まり返ったでしょうか。私は後者のようであったと思えるのです。今のように簡単に行き来できる距離ではなかったでしょうから、いつ戻れるかなどと思ったのではないでしょうか。

 大宰府政庁跡を後にして太宰府天満宮に向かいます。まっすぐ歩けば30分ほどの距離だと思いますが、寄り道しながら進んだので正確にはわかりません。

Img_2432  最初に寄ったのが戒壇院。戒壇とは僧尼として守るべき戒律をさずける所。戒を受けて初めて正式の僧尼と認められます。鑑真が苦労の末に日本に渡ってきたのは、戒を授けて真の僧尼を生み出すためです。堂内の本尊・廬舎那仏は平安時代末の作で重要文化財だそうです。脇侍二体とともに静に彼方を見つめていました。

Img_2436  次に寄ったのが観世音寺。斉明天皇追悼のために天智天皇の発願によって建られた寺で完成は奈良時代。今は往時の面影はなく、江戸時代初めに再建された講堂と金堂(県指定文化財)が残るのみです。しかし、宝蔵には重文級の多くの仏像が納まっており、ありし日の繁栄をうかがうことが出来ました。この空間は凄い。

Img_2446  学問の神・菅原道真をまつる太宰府天満宮。901年右大臣から突然大宰府の役人に任命された道真は2年後、この地で亡くなります。その墓の上に建てられたのが天満宮。都府楼跡に比べると人手は多いのですが、思ったよりは少ないと感じました。季節季節の行事には多くの人が押し寄せるのでしょうか。
 ふと思い浮かぶのは「吉田玉男の管原伝授手習鑑」、5・6年前、大阪の国立文楽劇場で前半を観ました、今にして思えば通しで観なかったもとが悔やまれます。吉田玉男・最後の菅原伝授だったと思うのですが。

 注:昨年中に書き終わったと勘違いしていました。遅くなりましたが掲載します。

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2008年1月27日 (日)

音楽:Straight No Chaser

 Straight No Chaser、\690。ずいぶん安いな、銘柄は何?Warner Bros。??

 本を買った後、CD屋さんを通り抜けようとして目に入りました。「Thelonious Monk:Straight No Chaser」のDVD。売切れ御免と書いてあるので(書いていなくても690円だから)、即座に買いました。

Photo  セロニアス・モンク、ジャズピアノの巨人にして作曲家。
 1917年ノースカロライナ生まれ。自己流でピアノを学び、後にジュリアードへ。ビバップ・スタイルを隆盛に導いた中心人物と言われ、1982年没。過去の人のようで、いまなお彼の多くの作品に日々、接する機会が少なくありません。

 Jazzに古くから興味を抱いている方なら、「Thelonious Monk:Straight No Chaser」はご存知と思います。私は古くからJazzに親しんでいたわけではありませんが、まあ、知っていました。同名のアルバムがあります。しかし、このDVDは記録映画です。

 冒頭、ピアノの前で踊るモンク。自分のタイミングになってあわててピアノに戻るモンク。「ラウンド・ミッド・ナイト」を演奏するモンク。キャバレー、レーコーディングスタディオ、コンサートホールで演奏する姿、あるいは日常の姿の断片を繋ぎ合わせた内容です。これでモンクが判るわけでもありませんが、巨人の一端が垣間見えます。私は楽しく視聴しました。

 日々変化は激しいですが、その中で輝きを長く留めるものが多くあります。ジャンルは問いませんが、それらに接するのは楽しい。そして、輝き始め、いずれはさらに輝きを増すことになりそうなものに接することは更に楽しい。寒さなんかにめげないで動き回りましょう、輝きを探しに。

 注:半年ぐらい前に書き始めて中断していたものを、ようやくまとめたものです。

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2008年1月22日 (火)

美術:世田谷美術館・鬼才・中島敦と・・・

  展覧会名 パラオ-ふたつの人生
       鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功
  会期   2007年11月17日(土)-2008年1月27日(日)
  開館時間 午前10時~午後6時(入場は閉館の30分前まで)
  休館日  毎週月曜日
  入場料金 当日 一般800円
  鑑賞日  2008年1月22日

 この展覧会開催の主旨は次のようなことだと思います。
 『1941年7月、ミクロネシア諸島のパラオで土方久功と中島敦は出会い、気脈を通じ合わせた。しかし中島は、慣れない島の生活で一年に満たない間に風土病に冒され、来島の翌年・1942年に帰国した。そして12月4日鬼籍に入る。享年33歳。土方は中島と同船して帰国、中島の病床を見舞いつつも、再び南方に渡っていった。そして76歳にいたるまで、独特多岐にわたる創作活動を続けた。』

 しかし、二人展を開催する主旨としては弱いように思います。人生の極めて短い時期に親交があったというだけで、芸術上の接点があったかと問えば、私はそれを感じ取れませんでした。

 正確に言えば、私は中島敦に惹かれて足をむけたので、土方久功を知りませんでした。新しい発見があれば幸いと思っていたのは事実です。

 中島敦の直筆原稿を見られましたが、確認した範囲で神奈川近代文学館所蔵のものでした。文学館は近いのに足を向けないから、それはそれで良かったのですが。

 という訳で会期も残り少ないのですが、熱狂的ファンならお鑑賞を勧めします。普通の方なら、少し難解な企画のように思いますので覚悟してお出かけください。

 私は中島敦全集も読みかけになっているので少し刺激になりました。近いうちに再開しましょうかね。

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2008年1月20日 (日)

音楽:モンテヴェルディ・歌劇オルフェオ

  音楽監督・指揮 濱田芳通
  演出      伊藤隆浩
  演奏      アントネッロ

  主なソリスト オルフェオ      春日保人
         エウリディーチェ   高山潤子
         ムジカ、プロセルビナ 花井尚美
         アポロ、牧人、エコー 櫻田亮 、他
  会場 神奈川県立音楽堂(25列1番)
  公演 2008年1月19・20日
  鑑賞 2008年1月20日15時~17時50分(途中休憩25分)(満席)

 モンテヴェルディの名前は知るものの作品・背景に関する知識なし。演出家に指揮者が加わったプレトークで予備知識を仕入れました。「突然発生することは無いのだけどオペラの出発点。その時代、オルフェオはアバンギャルド。フルスコアは無く、歌と通奏低音のみがある。オルフェオはメモが多いほう、アドリブで和音を作っていった。他人の演奏を五つばかり聴いたけどみな異なっていた。・・・」。と言うことは、今回も独自のリアリゼーションなのでしょう。

 物語の舞台は神話時代のギリシア。今は亡き最愛の妻・エウリディーチェを黄泉の国から連れ戻すことを許されたオルフェオ。ただし、再び地上に戻るまでは振り返って彼女の姿を見てはならないと言われる。それなのに・・・。日本神話のイザナキとイザナミと同類です。

 櫻田亮は、大分以前ですがバッハコレギュームのカンタータ・シリーズで聴いたことがあります。その他のソリスト・演奏者はまったく知りません。

 舞台上の配置はZ型。
 上の横棒を舞台奥と仮定すると、そこは2m高ほどの通路状のスペースが左右に、舞台一杯に伸びます。下の横棒は舞台手前の通路上のスペースで同様に。斜めの棒は両者を結ぶ階段状の通路。それらの間のスペースに演奏者が。そうです、オーケストラピットを使わずに舞台上に演奏者が。古楽器を使用しているのでそれらを見る楽しみもありました。

 派手な演技は殆ど無く淡々としていました。作曲された時代を考えれば何となく納得。前半、ソリストの声量がもう少しあればと思ったのですが、後半は充分でした。演奏も古楽器利用の小編成では音量不足かと思いましたが、決してそのようなことはありませんでした。久しぶりに県立音楽堂に行ったのですがやはりホールも楽器、良い音が響いていました。定員も1000名ほどですから、プログラムには適当な規模だと思います。全てのバランスが良かった。

 衣装も素晴らしかった。スティーブ・アルメリーギとクレジットされているだけで詳しくは判りません。でも、ルネッサンス期の装いだと思いますが、とても美しかった。

 演出も素敵でした。珍しい点を二つ。
 5分前の合図が、何の楽器が不明ですが金管系の楽器で演奏されました。客席後方から聴こえましたが姿は見えず。ロビーで演奏していたのかも知れません。私は席についていたので定かでありません。
 演奏開始前に豪華な衣装をつけた殿方とご夫人が、客席の一番前に左右から出てきて舞台のほうを向いて着席しました。結局何もしないで舞台を鑑賞していました。恐らく王様と女王様だと思いますが、お二人に対して演奏された初演時の様子を再現したものでしょう。とすれば、お客は同席した貴族。

 モンテヴェルディー、今まで興味を示すことは無かったのですが、なかなか良いものです。ルネッサンス期の音楽は素朴ですが楽しそうです。楽しいものが段々増えていくので嬉しいやら困るやら、贅沢な悩みを抱えることになりました。

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随想:「欽ちゃん球団」.VS.「松坂草野球球団」

 1月19日13時半、萩本欽一率いる「茨城ゴールデンゴールズ」対レッドソックス・松坂大輔率いる「チーム侍」のチャリティマッチが横浜球場で始まりました。めったに野球など見ませんが、寒い中、観戦に出かけました。

 寒い中とは言いましたが15時過ぎまでは結構暖かい日差しで、ダウンジャケットの胸元を開いたほどでした。それ以降は、やはり寒さが身に浸みてきました。特に下半身が。急いで出かけたので携帯座布団の持参を忘れていったのが失敗。でも、体を壊さない程度に寒さを実感する機会も増やす必要があると感じました。寒さの尺度、それに対する適切な防寒など、自分の基準を持っていることが大切かと。

 俳優・柳葉敏郎の始球式の後、センター・一番でいきなり松坂登場、四球で一塁へ。大リーガー松坂が目の前にいるのでお客さん全体が大喜こび。松坂は地元・横浜出身でもありますし。

Dsc_0314 8回表、かっての「ハマの守護神・大魔神」佐々木が登場。バッター松坂を迎えての対決は、松坂のレフトフェンス直撃の二塁打。元大リーガーと現役大リーガーの対決にもお客さんは湧きます。あまりにも見事な二塁打を打ってしまって、二塁上から松坂は佐々木に謝っていました。


Dsc_0315  写真は打者松坂・投手佐々木、二塁打を打って二塁上の松坂。アップの写真もあるのですが、各種権利が絡むかもしれませんので残念ですが掲載を断念します。何かすることが段々と難しくなります。



 その裏、満を持したか松坂登板。オフシーズン中とは言いながら、投球練習する球筋はやはり現役大リーガー。シーズン中の豪速球は推して知るべしです。

 9回裏、2点をリードされている欽ちゃん球団は、一死・走者一塁でピンチヒッター・柳葉敏郎。一旦はセカンドに守備位置を変更していた松坂再登板。打球はショート・レフト間のポテンヒット(わざと落とした?)で走者一・二塁。

 ここで「代打オレ」、金色のヘルメットをかぶって萩本欽一登場。松坂の山なりの球を打つもピッチャー前ゴロ、球は二・一塁と転送されてゲームセット。欽ちゃんは一塁を目前にして呆然。

 途中に現役プロ野球選手や元巨人・香取投手が代打で出るなど、楽しい三時間。お客さんは内野席を6・70%を埋める程度でした。有名人が時間を調整してボランティア活動に取り組むことを偉いとは思いませんが、なかなか出きる事でもないと思います。やはり偉いのかな。

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2008年1月18日 (金)

美術:国立国際美術館・30年分のコレクション展

  会期   2007年12月18日(火)~2008年2月11日(月・祝)
  開館時間 午前10時~午後5時、金曜日は午後7時まで(入館は閉館の30分前まで)
  休館日  毎週月曜日
       ただし2月11日(月・祝)は開館
  入場料金 当日 一般1000円
  鑑賞日  2008年1月14日

 名古屋から九州への移動途中で大阪下車、近郊で寮生活する息子と食事でもしようかと。堂島のJ堂書店で待ち合せ、両者のわかりやすい場所が書店とは・・・。休日で静かな北新地を抜け、曽根崎心中のお初天神(露天神)を案内、思えばお初・徳兵衛の道行きの道筋。曽根崎警察裏の串かつ屋へ。好みで注文、結果、息子は私の倍を食べました。なお、店にご飯ものが無かったので、息子はラーメンでも食べるかと思っていたようです。私は既に満腹で年の差を実感。その後、大阪駅北口のYカメラでLANケーブルの購入に付き合ってもらってから解散。なんの面白みも無い親子のようですが、それはそれで。

 本題が後になりました。息子に会う前の時間、大阪市北区中之島にある国立国際美術館を訪れました。現在の「テーマは30年分のコレクション」。絵・絵・絵・・・、彫刻、彫刻、彫刻・・・との印象でした。

 この美術館は、1970年の大阪万博の万国博美術館の建物を利用し、現代美術を扱う国立美術館として1977年に開館。その後、建物の老朽化等で、2004年11月に大阪の都心・中之島に新築、移転した経歴あり。地下3階の建屋のコンペティションをしていたような記憶がかすかにあります。

 今年が30年目で、収蔵品は絵画、版画、彫刻、写真など約5700点に達したそうです。その中から選りすぐりの400点を今回展示。移動壁などを駆使して展示スペースを確保していました。しかし、展示点数が多いのと動線が複雑なことで、鑑賞には良い条件とは思えませんでした。お客さんもかなり入場していましたので、部分的には雑踏のよう。別の機会にもう一度訪問して、普段はどのような雰囲気かを確認してみます。

 丹念に観る時間もなかったので大急ぎで一周。セザンヌ、ピカソ、佐伯祐三、藤田嗣治、デュシャン、ウォーホル、リキテンシュタイン、草間彌生、高松次郎、横尾忠則、森村泰昌、クリスト、舟越桂、福田美蘭などが目に付きました。

 浜田知明の「初年兵哀歌・歩哨」は小さな銅版画ですが、すぐ目に入りました。戦争の中の一個人、しかも職業軍人などで無い初年兵の切なさが痛いほど伝わってきます。トイレの中でしょうか。大きな眼、そこから流れ出る一粒の涙、喉元に突きつけた銃口、まさに引き金を圧そううとする左足指。次の瞬間は容易に想像できます。国を守るとは何でしょうか。国には、国民が含まれるのでしょうか。一枚の銅版画からさまざまな思いが浮かび上がります。

 直島スタンダードⅡ展などで認識する須田悦弘は見落としましたが、杉本博司は相変わらず水平線の写真。私には、その写真の良さがまだわかりません。いずれ・・・・。

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2008年1月13日 (日)

美術:横浜美術館・ゴス展

  会期   2007年12月22日(土)~2008年3月26日(水)
  開館時間 10時~18時
       企画展開催中の金曜日は20時まで(入館は閉館の30分前)
  休館日  毎週木曜日(祝日を除く)
       木曜日に祝日開館した場合はその翌日
  入場料金 一般 1200円
  鑑賞日  2008年1月11日、13日

 「ゴス」という語彙の持ち合わせが私にはありません。「ゴス」から想像できる美術関連の語彙は「ゴシック」です。結果的に間違いではないようですが、「ゴス」はもっと多義、いや定義困難な語彙のようです。まずその概念を明確にしないと話題が進まない。再訪して展覧会挨拶をメモしました。展覧会開催の主旨がそこに述べられていると思います。要約して紹介しますが、文責は私にあります。

 『若者たちが「ゴス」ということばを使い始めて10年ほど。今では、音楽、映画、アニメ、漫画、ファション、絵画、彫刻、小説など、あらゆる分野で「ゴス」が語られ、風俗とも流行ともなっている。「ゴス」とはある種の憧憬、意識のあり方で定義は困難。そこに共通するものは、死、病、苦痛、恐怖、残酷、怪奇、野蛮、退廃、異端、耽美等々への志向。裏返せば、失われた純潔と無垢の愛、あるいは歪んだナルシズム。その根底には精神と肉体のあいだの果てしない葛藤がある。』

 『「ゴス」の根源のゴシックは、12世紀半ばに北フランスで始まった建築様式を示す用語。古代ローマ帝国を滅ぼした「ゴート族の」の意味。ルネサンス時代のイタリア文化人たちは侮蔑をこめて使った。18世紀には数多くのゴシック建築が破壊された。反面、人びとには、理性の光が届かない闇の世界への憧憬が強まり、特に英国を中心に「ゴシック・ロマンス」と呼ばれる怪奇小説を生みだした。19世紀に入ると、資本主義と産業革命の急激な発展を嫌悪するあまり、中世社会を理想化するさまざまな運動が起こり、それを「ゴシック・リヴァイヴァル」と総称する。』

 『「ゴシック・リヴァイヴァル」は個人の趣味であると同時に信仰と労働にもとづく共同体の復活を希求する社会運動という面をもつ。「ゴス」は、反近代、反合理主義という点では共通するが、自己の肉体あるいは生理に根ざす徹底した「私」への固執という点では、いっそう過激なもの。今日、人びとがいだく理想と価値観は大きく揺らぐ。このような時代だからこそ、「ゴス」は多くの支持を集めていると思う。』

 ゴスの概念が浮かび上がってきますが、何かとらえどころのないままです。私の思いは整理できません。
 この展覧会で取り上げた6組のアーティストは、リッキー・スワロー 、Dr.ラクロ、束芋、イングリッド・ムワンギ-ロバート・ヒュッター、ピューぴる、吉永まさゆき。分野は絵画、彫刻、映像、写真。
 例えば、吉永まさゆきは、アンティックドール風の装いをした若者たちを撮影した写真展示。奇抜な衣装を着けた若者との視点しかありませんでしたが、そこに主義主張が込められているならば、遅ればせながら理解に努めましょう。

 横浜から日本全国に広まった物は沢山あります。横浜美術館もなかなかユニークなメッセージを発信しています。本日も駐車場に豊橋ナンバーと2台の静岡ナンバーのバスが停車していました。遠路、鑑賞に来たのだと思います。私の散歩圏内に存在することも嬉しい。これからも時代の先端を行くアートシーンを切り開いて欲しい。繰り返し鑑賞して何かを感じたいと思います。いずれ続きを掲載します。

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音楽:R.ワーグナー・歌劇タンホイザー

  指揮     ヤン・ズバヴィテル
  演出     ラディスラフ・シュトロス
  合唱指揮   ヨゼフ・パンチーク
  演奏・バレー チェコ国立ブルノ歌劇場管弦楽団、合唱団、バレー団

  主なソリスト タンホイザー エルネスト・グリサレス(Ten)
         エリザベート ダグマル・ジャルドゥコヴァー(Sop)
         ウォルフラム リハルド・ハーン(Bas)
         ヴェーヌス  ペスティ=エヌス・マクドルナ(Sop)
         ヘルマン   ユリィ・ゴルブノフ(Bas)

  会場 神奈川県民ホール(3階13列39番)
  観劇 2008年1月12日14時~17時50分(途中休憩20分×2回)(入り不明)

 当日券を購入しようとして声をかけられました。「D席1枚買ってくれませんか」。お互い様ですから購入。でも、前売りでD席を購入するくらいですから、天井に近いけれど正面の良い席でした。オーケストラ・ピットを含めて舞台が良く観えます。音も良く響いて何の不満もありません。
 若い頃は勢いで高価な席を購入したこともありました。最近はなるべく廉価な席で数多く観ることが本質かと思うようになりました。ご贔屓でもいなければそれで良し。年の功でしょうか。

 20代、30代の頃はワーグナーなどに関心がありませんでした。それ以降になると、徐々に重厚な音楽も良いと思うようになりました。元気を分けて貰える様な思いです。

 序曲。管楽器コラールで荘厳に始まります。これは第3幕「巡礼の合唱」のテーマになりますが、一瞬にしてオペラの世界に引き込まれます。ワーグナーが愛される理由だと思います。
 やがて中間部、弦の下降音形を基盤にした印象的な旋律です。第1幕第1場の「ヴェヌスベルクの音楽」になります。タンホイザーが引き込まれる妖艶な場面です。やがて「巡礼の合唱」のテーマが再現され、崇高なクライマックスにて序曲は終わります。
 オペラ全体を暗示する素晴らしい序曲だと思いますし、単独で演奏されても素晴らしい曲です。

 舞台を的確に批評できるほど経験も見識もありません。が、素人評も何らかの参考になるかと。

 まず、合唱の素晴らしさを感じました。「巡礼の合唱」引きずり込まれました。人数はそれほど多くないのですが、それはそれで美しい。舞台袖から響くかすかな合唱もまた然り。

 演出はシンプルでした。想像できる範囲内かと思います。

 主要なソリストはダブルキャストのようです。本日のタイトルロールは「南米が生んだミスター・テノール」と形容されていました。圧倒される感じはありませんが、丹念に歌っているとの思いを抱きました。演出にもあると思うのですが、もう少し華があっても良かったな。

 全体的に華々しさは感じられませんが、生真面目な作り、というのが私の総合評です。特定のソリスト目当てでなければ、このような舞台に数多く接するのが目の、そして耳の肥やしとなるように思います。

 お値段も旧共産圏の団体は手ごろです。1月19日(土)東京文化会館で公演があります。地方公演は不明。たまにはオペラでも如何ですか。

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2008年1月12日 (土)

音楽:川井綾子・室内楽シリーズVol.1

  曲目 ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第4番「街の歌」
     シューベルト :アルペジオーネ・ソナタ
     シューマン  :幻想小曲集
     ブラームス  :クラリネット・チェロ・ピアノの為の三重奏曲     
  出演 川井綾子(ピアノ)
     板倉康明(クラリネット)
     渡部玄一(チェロ)
  会場 横浜みなとみらいホール・小ホール(18-2席)
  公演 2008年1月11日19時~ (満員)

 年末年始が仕事だったため、正月気分も無いままに早10日が過ぎました。本日(11日)は用有りで仕事を休んだので4連休、遅ればせながら正月気分を味わおうかと。でも、14日に仕事が入ったため正月気分は一日短縮。中身を濃くして三日間を楽しまないと。

 近所で開催されるコンサートを調べたら標題のコンサートがありました。比較的聴いているのは「アルペジオーネ・ソナタ」だけ、他は聴いたことがありません。出演者も始めて接するのですけど、まあ良いかと。

 「アルペジオーネ・ソナタ」を初めてライブで聴きました。聴けたのは良かったのですが、何かしっくりしませんでした。この曲だけではないのですが、何かバランスが悪いのです。使用するピアノはフルコンサートタイプ。コントロールしなければ、クラリネット、チェロの音は敵わないかと。

 ピアノは前面に出て、クラリネット・チェロは奥のほうに引っ込んでいるような感じで終始しました。CDを聴いているとそのようなことに気づきもしないのですが、やはりライブの重みだと思います。ベートーヴェンで気になって最後まで続きました。

 テクニックを云々できるわけでなく、全体の楽しいことが、私の演奏会のポイントです。その面から言えば室内楽は難しいですし、初めて聴く曲が多いのもそれに輪をかけていました。よく知っていた曲目ならば、印象も変わっていたと思います。

 アンコールに「エルガー・朝の挨拶」がトリオで演奏されました。これは楽しかった。心なしかバランスも良いと感じました。

 プログラムに室内楽シリーズと銘打ってあります。2回、3回と続くのでしょう。継続して聴きたいと思っています。ただ、アンケートも無かったので、次回以降は自分で調べなければならないようです。

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2008年1月10日 (木)

路上観察:横浜港シンボルタワー

 横浜駅方面から進めば、山下公園を過ぎ、新山下を過ぎた、本牧埠頭D突堤の先端に横浜港シンボルタワーがあります。自動車ならば山下公園から10分ほどの距離です。

Dsc1  このシンボルタワーは、船舶通航信号所に展望施設が併設された施設です。本牧船舶通航信号所といういかめしい航路標識としての名前があります。頂部に船舶に対する信号を発する表示板があって、X・I・O・Fなどの文字を表示して船舶の出入港をコントロールしています。

Dsc3  シンボルタワーは50mほどの高さ、展望室は地上40mほどの高さにあって360度の視界を誇ります。大きな船舶が目の前の通り過ぎていく様子、ベイブリッジの下を行き来する様子が見られます。更に遠くに目を移せば、羽田空港に離着陸する飛行機、東京湾アクアラインの木更津側橋梁部(いずれも300mm望遠レンズ使用)などが見られます。

Dsc5 先に紹介した、スカイウォーク(船の右上に見えます)とは別の視線で横浜港が見られます。シンボルタワーの展望室へは階段があるのみ、日ごろの鍛錬が問われそうです。

 スカイウォークとシンボルタワーの両方を楽しみたいと思う方にお得な情報を。ご存知の方も多いと思いますが。
Dsc4 スカイウォークからシンボルタワーへ、もしくはその逆でも良いのですが、横浜駅経由の陸路を行けば自動車でも30分はかかるでしょう。ベイブリッジは二層になっていて、下層は一般道です。そこを通ると、新山下経由で15分ほどで到着できます。

 シンボルタワーの周囲は緑地で売店があるだけです。時々、催し物も開催されているようですが、私は出くわしたことがありません。子供連れでものんびり楽しめます。

 一つだけ注意を。今の時期、入場は15時20分、閉鎖が16時です。結構早いので早めに到着するようにして下さい。横浜港シンボルタワー公式ホームページライブカメラも参考にして下さい。

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2008年1月 6日 (日)

路上観察:横浜・スカイウォーク

 横浜港の一角、海上50mあまり、360度の視界を誇る観光施設がスカイウォークです。                                                     

Img1  スカイウォークは、スカイラウンジ・スカイプロムナード・スカイタワーの三施設の総称。スカイラウンジは、ベイブリッジの東京側支柱の下部にあります。そこから目に入る景色。近くはMM21地区・大桟橋・シンボルタワー、天気が良ければ遠くは丹沢山塊から富士山、目を転じれば、横浜外港に停泊する船・房総半島など。                                                                                

Img3 スカイタワーは、首都高大黒町PA付近(PAからの連絡通路あり)にあります。エレベータでベイブリッジの道路脇まで昇ります。ベイブリッジは2層になっていて、上部が首都高、下部が一般道になっています。その一般道の高さまで昇ります。                                                                                                                                 

Img2  スカイプロムナードは、タワーとラウンジを結ぶ通路。海上50mあまりを歩くことになります。もちろん、しっかり囲われていて落下することなどはありません。が、海を渡る風の強さを感じたりします。                                                                                                                                                           

Img4  運がよければ、客船ふじ丸飛鳥、あるいは外国からの船が眼下を進んでいく様が手に取るように見られるはずです。スカイウォークに対面する屋根に「横浜・さとうのふるさと」と大書してあるのは何でしょうか。以前より気になっています。

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2008年1月 5日 (土)

路上観察:北九州・小倉の鴎外記念碑

 北九州・小倉、小倉城を望む紫川辺に森鴎外記念碑があります。記念碑は六角形。全体写真右側の赤い石の碑面が正面。小倉城は左手斜め後方の位置になります。元旦8時過ぎ、人気の殆ど無い碑の周りを一周。

Img00  恥ずかしながら、欧外の著書に殆ど通じていません。しかし、碑に刻まれた言葉に親しみが湧きます。いずれは・・・。正面の碑面から時計回りに掲載します。




Img01 『私は豊前の小倉に足かけ四年ゐた/「二人の友」より』





Img02 『明治三十四年九月四日/夕 常盤橋上所見 稲妻を遮る雲のいろの濃き/夜 雷雨/鴎外森林太郎/「小倉日記」より』




Img03 『翌日も雨が降ってゐる/鍛冶町に借家があるといふのを見に行く/「鶏」より』





Img04 『鴎外森林太郎は明治三十二年六月より三十五年三月まで小倉に住んだ。/いま、生誕百年を迎えるにあたり、鴎外との由か里深い紫川のほとりに/小説「独身」に記された往時の広告柱をかたどって記念の碑を建て、/九州の文化の発展に寄與した偉大な精神をしのばんとするものである。/この川もかの山も欧外の文学とともに永遠の生命に煌くであろう/昭和三十七年十二月 森鴎外顕彰會/小倉市長 林信雄書』


Img05 『我をして九州の富人たらしめば/いかなることをか為すべき/こは屢々わが念頭に起こりし問題なり/「我をして九州の富人たらしめば」より』




Img06 『常盤橋の袂に円い柱が立ってゐる/これに廣告を貼り附けるのである/「独身」より』




 私のできることに限りがあります。でも、記念碑に刻まれるような言葉の原典ぐらいは既読と言えたら。無理かな、無理でしょうね。

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路上観察:北九州・小倉年末年始風景

 昨日(4日)昼前に小倉を出発、福岡経由で、午後になって横浜の自宅に戻りました。これから数日、遅い正月を味わいます。とはいうものの、息子が仕事先に行くというか、戻るというか、家を離れるので、家族が顔を揃えるのもわずかな時間です。

 さて、年末年始、北九州は寒波到来の天気予報でした。年越しに雪がふりましたが、道に積もるほどでもありません。比較的暖かい正月だと思いました。しかし、仕事で工場の土間に立っていると、やはり寒さが沁みてきました。

 小倉城付近・紫川沿いのホテルに宿泊しました。異郷の地での年末年始、二度とないと思う(あったら仕事がうまくいっていない?)ので、会社への道すがら、食事の道すがらあちらこちらをスナップショット。

Img1_2  紫側沿いに小倉城・小倉リバーウォーク(北九州芸術劇場)を望みます。 この光景を、もう何十回ともなくみました。新旧の建築物が同居していますが、小倉の観光の中心地、穏やかな空間です。大きな紫川が流れているので広々とした印象を受けます。松本清張記念館は城の左手後方の位置、JR小倉駅は右斜め後方徒歩十数分、JR西小倉駅が右斜め前方徒歩10分程の位置関係になります。

Img2_2  リバーウォーク周辺の夜景、                                            


Img3_2 小倉駅前夜景です。年末からイルミネーションで飾られています。                         


Img4_2  イルミネーションの一つ、天使が向き合ってトロンバを奏でています。思わず「カフカ・失踪者」の一場面を思い出しました。


Img5_2  祇園太鼓で有名な小倉・八坂神社の年始風景(1日AM8時過ぎ)です。年越しに降った雪が屋根を白くしています。人出が少ないのは一旦、人の波が引いたのか、例年通りなのか判りません。些少のお賽銭を入れて拝んできました。願い事は特になし。個人的にはこのままで良し。

 「門松や冥土の旅の一里塚」、だんだんとこのような心境が色濃くなってきます。淡々と日々を送れることが出来れば幸いかな。この句の作者は、小西来山(1654~1716)。大阪の談林派の俳人、薬種商に生まれ、は西山宗因(1605~1682)門下となったと知りました。談林派は、芭蕉以前からあって言葉を遊ぶ流派と認識します。いずれ調べて見たい。

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2008年1月 3日 (木)

随想:2008年箱根駅伝

 2008年箱根駅伝は、駒沢大学の総合優勝で幕を閉じたようです。自宅は、往路二区・復路九区のエース区間中間点より少し東京より付近にあります。例年は、TVを見ながら集団の近づくのを確認し、沿道に跳びだして声援をおくります。しかし、今年は仕事のためTVすら見ることも無く、インターネットで結果を確認しただけです。

 往路二区・復路九区は、幾多の名選手の走り来る、そして走り去る姿を目にしました。今年は、往路二区では山梨学院大・モグスの6人抜きの快走とのこと。昨年は目の前を快調に通り過ぎたのですが、後半で失速して不本意だったでしょう。借りを返しましたね。復路九区では、駒沢大学・堺が早稲田大学・三輪を引き離しにかかった勇姿を見られた筈です。優勝を予感させる走りだったのではないでしょうか。

 途中棄権が三校もあったようで、各々、悔し涙を流していることでしょう。各校監督は、監督車(数台と認識)に分乗していて、必ずしも選手に指示を与えられるわけではありません。大昔ですけど、自衛隊のジープが各校につき1台伴走し、監督が乗車して選手に激励や指示を与えていました。もし監督の励ましやアドバイスがあれば、あるいはたすきを切らさないで済んだかも知れないと思いました。往年の名選手・早稲田の瀬古が「最後に監督が校歌を歌ってくれて元気が出た」と言っていたと記憶します。

 神奈川大学は二区区間の近所に学校がありますので地元校と言えます。母校のたすきをかけて地元を走ることは大変誇らしい気持ちになることでしょう。結果は15位、最近は低迷しているようです。来年は予選会から始めなければなりませんが、ぜひ本大会に出場して欲しいものです。鬼が笑うかもしれませんが、選手はもう来年の準備でしょう。

 今年は選手の姿を見ることができずに残念でした。が、何十回もも見ているので、インターネット記事からも多くのことが思い浮かびます。走れなかった選手も含めてお疲れ様でした。

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2008年1月 2日 (水)

随想:遊園地

 工場の最上階から北九州・スペースワールドが望めます。暗くなってネオンが灯りましたが、普段に比べて少ないでしょうか。新聞ニュースで「タイタンV」の事故を知りました。暮れに休園していたことを知っています。随分長い休園でした。おめかしと整備をしていたようです。それでも大晦日に事故が起きてしまいました。

 入園したことはありません。が、出張してくると道一つ挟んだホテルに宿泊することもあります。大浴場から「タイタンV」が手にとるように見えます。

 随分巨大なアトラクションです。私はこの手の乗り物、というより遊園地(最近はテーマパークですか)に興味が無いので、入園したことすらありません。よって、どのような感じになるものか、知る由もありません。でも、脇を歩いていると悲鳴が聞こえたりするので、随分と恐怖心を誘う乗り物なのだろうなと思っています。

 この手のアトラクションは、十分な安全配慮がなされていると信じています。でも、時々、事故のニュースが伝わります。どうしてなのでしょうか。

 アトラクションに参加しなければ事故に遭遇しないでしょうけど、好きな人にそれを言っても収まらないでしょう。楽しい一時が一転、悲惨な事故に至らないよう有効な対策はないのでしょうか。私が心配しても何も始まらないのですけど。

 科学技術分野になりますが、失敗知識データベースを参照すると身近な事故などの一端を知ることができます。知っておくと、万一の時に役立つかも知れませんよ。いや、その前に注意しなければなりません。

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2008年1月 1日 (火)

随想:歳旦

 あけましておめでとうございます。

 この一年、私はブログを通して今まで以上に皆様に接することを試みます。ブログは小人に強い力を貸してくれます。今年は読書感想を加えたい。ささやかかも知れませんが、社会に対する主義主張も加えたい。皆様のコメント・トラックバックも頂ければありがたい。どうかよろしくお願い致します。

 年が変ると思い出す句に
 
  春立つや 新年ふるき米五升  芭蕉

があります。米五升を残して新年を迎えられた喜びがこめられています。しかし、米五升は貧乏の代名詞。そこに俳諧さを求めたか、達観していたか、定かでありません。おそらく両者と推測します。なぜなら、そのような暮らし向きだととしても、芭蕉に究極の貧乏はなかった筈です。なんだかんだ言っても多くの支援者がいましたから。

 それはそれとして、米をキーワードに少し考えてみました。
 既に前々首相になりますが、小泉さんが「米百俵の美談」を持ち出しました。内容は割愛しますが、百俵とはどの程度の量か。芭蕉句と比較します。
 
  1俵は60㎏ですから100俵は6000Kg
  ちなみに1升は約1.5kgですから5升で約7.5kg
  6000÷7.5=800

 一人が一日に0.3kgを食べるとすれば、800人ほどが1ヶ月弱の飢えを凌げた筈です。それで足りたか否かは別にして。

 美談に泥を塗るつもりは毛頭ありません。しかし、美談の影に何があったのか、しわ寄せが弱者に至らなかったのか。私はそれを知りたい。

 どん底にあって百年の大計を考えられるでしょうか。明日、いや今日のことしか考えられない筈。多少余裕のある今、ささやかではありますが私はいろいろと考えを巡らしたい。小泉さんは「備えあれば憂いなし」とも言っていました。

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