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2007年12月24日 (月)

演劇:廃車長屋の異人さん

 原作  マクシム・ゴーリキ
 演出  鈴木忠志 
 出演  ゴーリキー研究家(ルカー) 蔦森皓祐
     コストィリョーフ      高橋等
     ヴァシリーサ        張利朱(韓国)
     ナターシャ         常玉紅(中国)
     メドヴェージェフ      竹森陽一
                   他、日中韓の俳優      
 劇場  新国立劇場・中ホール(1階席はほぼ満席)
 時間  1時間20分
 観劇  2007年12月23日15時30分~
 期間  12月24日15:30開演まで

 ゴーリキ「どん底」がテキスト。今さら「どん底」でもないだろう、今こそ「どん底」だろう、二つの考え方が頭の中で渦巻きます。

 「おむすびを食べたい」と記して五十有余年の人生を終らされた方がおられました。その無念さを推し量るすべを持ちません。20世紀初頭に「どん底」が発表され、100年余を経過した21世紀になってなお「どん底」の存在を実感します。そればかりでなく拡大しつつあるように思います。

 今、「どん底」を取り上げる意義は大いにあるでしょう。それを新国立劇場で上演する状況が実は皮肉にもなる、と思うのは私だけでしょうか。鈴木は、現代の「どん底」を廃車置き場に設定します。

 大規模な自然災害が大恐慌がおきたと考えたら「どん底」と美空ひばりに至った、と鈴木は演出家ノートに書きます。

 半世紀近くも前、私が小学生の時のこと。
 横浜駅からさほど遠くない学校を出た遠足のバスが、本牧を過ぎて海を目の前にし(今は埋め立てられた)、やがて磯子に近づくと、あの辺りが美空ひばりの生家だとバスガイドが説明します。通称、屋根なし市場の魚屋。その後、近くの山手にひばり御殿も建ちます。華やかな一面しか見えないですが、その後の風聞でも多々苦労を重ねたように思います。鈴木は、美空ひばりの生き様にどん底を感じとったのかも知れません。

 「廃車長屋の異人さん」は、BeSeTo演劇祭の一演目。
 この前に「呉将軍の足の爪・原作:パク・ジョヨル・演出:億土点・劇団:Power Doll Engine」を観ました。この劇団の表現に違和感を持つ私ですが、確かな手ごたえもあるし、レベルの高さも充分認識しています。その上で。

 「廃車長屋の異人さん」は、SPACメンバーを中心にした日中韓俳優共演。役者は各々の母語を使い、脇に日本語がプロンプトされます。演劇における言葉の重要性を否定しませんが、さりとて言葉だけで演劇が成り立つものでもありません。このような共演にさしたる違和感を感じないのは年の功でしょうか。何でも来いと。

 今回改めて感じたのは台詞回しの良さ、まるでクラッシック音楽を聴いているようです。誤解の無いように添えますが、心地良く響くと言うばかりでなく、間合いの良さ、テンポの良さ。言い方が悪いですね、間合いの良さ、テンポの良さが心地よさを生む、と言うことでしょう。鈴木の演劇をたまに観るだけですが、二十年ほど観てきて改めてそのことを強く感じました。

 日本の伝統芸能では間が大切だと言われるそうです。武満徹はエッセーで「音、沈黙と計りあえるほどに」と語っています。要するに、音と音との間、ここでは台詞と台詞の間、無音の時間、それが重要だということでしょう。
 私自身は門前の小僧で、この場を借りて習わぬ経を唱えているようなものです。二十年にしてそれに気付くのは遅いかもしれませんが、やけにそのことが強く印象に残りました。

 これは「鈴木メソッド」とも言われる演劇スタイルに寄るものでしょう。方法論が確立しているからこそ、異郷の俳優を取り込めるのだと思います。ただし、後半の緊迫した場面は日本人俳優のみになるのは致し方ないかと思います。

 舞台にはおよそ20台くらいの実物の廃車が積み重ねられます。廃車を住いにした生活空間ができています。俳優は、ドアやフロント窓から出入りし、車を叩き、屋根に登って踏み鳴らし、「明日はより良く」と願います。
 SPACメンバーも実にいい味を出している、そのことも強く印象に残りました。

 新国立劇場の舞台に廃車が並ぶのは前代未聞でしょうが、やけに美しい舞台に仕上がっていたのが多少気になりました。

 気合が入ったので、この後の「剣を鍛える話・原作:魯迅・演出:中島諒人・劇団:鳥の劇場」も観ました。二本立ての予定が三本立てになって、多少疲れは残りましたが良い一日になりました。

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コメント

お疲れ様でした。
私はまだ感想をアップしてませんが、台詞回しの良さがクラシック音楽を聴いているようだと言われて、
確かに昨日の舞台は本当に違和感がなかったと思いました。
前日に観た時は中国と韓国の役者さん達がやけに浮き上がって見えたのです。
その辺りの事を感想に書こうと思っています。初めてこれを観た時の感想を振りかえりつつ。
鈴木演劇だからこそできる舞台。
本当にそうですね。

私のブログにリンクを貼らせてもらいましたが、良かったでしょうか?

投稿: strauss | 2007年12月24日 (月) 22時38分

 日によって出来不出来があるのでしょうかね。生身の人間がやっていることですから、しかたないと思うか、思わないか。同一演目を何回か観たらよいというのは、そういう理由なのでしょうね。

 今年はこれで最後ですが、来年も良い舞台に出会いたいものです。音楽が少ないので、音楽へもこまめに足を向けたい。ダンスも、バレーも、オペラも、そして文楽も。そんなことを考えています。

 リンクを貼って頂いて光栄です。

投稿: F3 | 2007年12月25日 (火) 00時04分

一日で三本の観劇、お疲れ様でした。
気合が入ったので三本目もというお気持ち、わかるような気がします。
私も心が震えるような感動を覚えた時、その場を離れ難いというか、その劇場の空気の中に身を置き続けたいというか、そんな気持ちになることがありますが、それに似たものをお感じになったのかもしれませんね。
今回私は異言語にとても抵抗を感じて、その俳優さんだけが急に浮き上がってしまった様に感じられたのですが、
きっと、容姿としては違和感が無いのに突然外国語を発することへの驚きが、そう感じさせたんじゃないかなって思っています。
もしstraussさんのように次の日の公演も観れたなら、また違った印象を受けたかもしれません。
外国人というのは見た目だけの違いではなく、違った言語を喋る人なんだということに改めて気付いたということでしょうか。

今回はお会いできなくて本当に残念でした。
またどこかでご一緒できたら幸いです。

投稿: | 2007年12月25日 (火) 16時34分

上記のコメントに名前を忘れました。すみません。

投稿: さらら | 2007年12月25日 (火) 16時37分

 さららさん、こんばんわ。新国立でお会いできなくて残念でした。
 三演目の観劇はかなり疲れます。椅子のせいもありそうです。どうしてあのように座り心地が悪いのかと。居眠り防止のためにあえてそのようにしているとか。そんなことはないのでしょうけど。
 実は夏の利賀で二人の演出家が気になっていたのと、中韓の演劇事情が気になっていたのと、両者の理由もあります。
 「呉将軍の足の爪」、テキストがすばらしかったです。体制批判との判断で十数年の上演禁止があったとか。反戦、体制のいい加減さ、体制の身勝手な誤解。そういうことを鋭く突いた傑作だと思います。
 「剣を鍛える話」は、きれいな舞台に仕上がっていました。が、私の理解力にもよるのですが、ちょっと難解でした。ストーリーが難しいわけではありませんが、魯迅の原作が芝居向きではないと思いました。時間の流れや妖術(?)を使うなど、語り部(交互に交代)が進行していくスタイルです。説明過多かなと思いました。
 ただ、小市民的なテーマが散乱する中、しっかりしたテキストによる演劇は、結果の良し悪しを別にして見ごたえはあります。結果が悪かったといっているわけではありませんけど。
 家の出掛けにコメントを確認し、今は愛知県郡部のビジネスホテルに到着したところです。移動が多いのは例年のことですが、合間を縫ってよく芝居に出かけました。来年も生活の潤いとして、足繁くあちらこちらに出没したいと思います。いずれどこかで。

投稿: F3 | 2007年12月25日 (火) 21時19分

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