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2007年12月23日 (日)

路上観察:太宰府へ(その2)

 水城から東南の方向30分ほど歩くと筑前国分尼寺跡に至ります。礎石一つが残ると脇の案内板に書いてあります。しかし、広がる畑に礎石を見つけることはできませんでした。さらに少し歩くと筑前国分寺跡に。

Img1  奈良時代・聖武天皇が全国に国分寺・国分尼寺を建てたうちの一つが筑前国分寺。現在、国分寺は塔跡の礎石、講堂跡が残ります。金堂跡には新しい国分寺が建立され、堂内に平安時代後期の伝薬師如来(重文)が。今回は拝観しませんでした。

 遺跡は、見方によっては何もありません。私の場合は何に惹かれるのか定かでありません。しかし、学術的興味は希薄です。大きな礎石を運び、そのうえに堂宇を築き上げる民Img2衆の苦役を感じる。あるいは厳しい戒律の寺院や雅やかな宮廷生活を想像する。大きな位置を占めるのは時の流れを感じることかも知れません。時計で測りきれない時の流れを。

 国分寺跡に接して国分天満宮があります。小さな社です。境内に山上憶良の歌碑がありました。憶良も筑前に来ていたのですね。碑には、

Img4   大野山 霧立ち渡る わが嘆く
   息嘯(おきそ)の風に 霧立ちわたる (巻5-799)

と刻まれています。国分寺の北側、屏風のように大野山が横たわっています。「大野山に霧が広がる。私の嘆きの深いため息で霧が広がる」でよろしいでしょうか。異郷で妻を亡くしたゆえにより愛おしさがつのる、独り身の寂しさがなおさら増す。情のこもった美しい歌です。

Img5 道をはさんだ地域掲示板に「どんど焼き」の掲示が。正月も近いですね。

 さらに東南の方向に向かってしばらく街中を歩きます。道々、字名を刻ん だ6・70Cmの石の標柱が目に付きました。今になって気になります。昔の地名を残そうとの思いと受け止めましたが。写真を撮らなかったのが悔やまれます。 やがて東西に連なる政庁通りに出くわします。太宰府政庁跡はもうすぐ。

 写真は、上から国分寺塔跡から後方の現国分寺、国分天満宮から国分寺・大野山、山上憶良歌碑、どんど焼き掲示

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