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2007年12月19日 (水)

路上観察:太宰府へ(その1)

 太宰府政庁跡に一度立ちたいと思っていました。新しくは「文楽・菅原伝授手習鑑」、古くは「松本清張・時間の習俗」などに端を発します。さらに遡れば、学校で教えられた防人などが伏線となっています。

 太宰府政庁跡は福岡県太宰府市に位置し、横浜からは果てしなく遠くて思いは容易に実現しませんでした。ところが、最近になって仕事で北九州を訪れる機会が多く、合間に太宰府まで足を延ばす機会ができました。

 当日は、水城・国分寺跡・太宰府政庁跡・大宰府天満宮・九州国立博物館を徒歩で巡りました。距離にして15Km程。徒歩で巡るか?、と思う向きもあるかと思います。が、私の基本はとにかく歩く。点でなく、線としてその土地を感じたいとの基本方針があります。

Img_1  博多から水城はJR鹿児島本線・普通電車で20分弱です。来た電車が快速で、とりあえず水城の一つ手前の大野城へ行って路上観察。小さな駅で、降車して1分もたたずに駅の様子は知れました。何もないように思えたのですが、写真を参照願います。写真が小さくて判明しにくいと思いますが、なんと手製の駅名表示板でした。字の線幅が微妙に異なり、一部はインクが滲んでいるような所もあります。快速が停車するJRの駅ですよ。なぜか嬉しくなってしまいました。

 暫くして来た普通電車で水城に移動。駅の端に水城が見えます。ちょっとややこしいですね。
 水城とは、「日本書紀によると664年に天智天皇が築いたとされる。倭国は、663年に朝鮮半島の白村江の戦いで百済に味方し、唐・新羅連合軍に大敗した。さらに博多湾から大宰府に攻め込まれるのを防ぐために、水城 Img_2を築いたとされ・・・(Wikipediaより)」。それが地名であり、駅名になっています。
 となると大野城にも城がついています。そうです、この辺り一帯は、歴史的遺構が多々散在するようです。ディパックを担いで山に分け入りたい気持になりました。

Img_3  駅の待合室を物色して付近の地図を確保。いざ、太宰府へ。
 JR線路に直行して水城遺跡が連なっています。線路が分断する形になって、その断面を見ることができます。版築で作られていると案内にあったので、近くに寄ってみました。版築とは、土を盛って突き固め、また土を盛って突き固めることを繰り返して所定の形状に仕上げる工法のことです。バームクーヘンを平らにしたとImg_4ころを想像してください。残念ながら版築は確認できませんでした。既に土がかぶさっているのかも知れません。遺跡は、高さ10m以上、幅80m、長さ1.2kmの巨大なものです。敵が攻めてきた場合には、外側に水を流して溺れさせてしまうようなことも考えられていたようです。しかし、敵が押寄せることはなかったそうです。

Img_5  畔道伝いに周囲から眺めると、春先になって土手にレンゲでも咲いたら大和の春を思わせるのではないか、そんな気がしました。古の都人はどのような思いで眺めていたのでしょうか。

 写真は上から、大野城駅名表示板、水城断面(手前が太宰府側)、水城遠望(左側が太宰府側)、案内板に記載の断面図(現在、射水は張られていない)、参考・唐大明宮含元殿址の版築(30年ほど前に撮影した)

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