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2007年12月

2007年12月31日 (月)

随想:去年今年貫く・・・

 「去年今年」と書いて「こぞことし」。俳句の季語。
 去年と今年は瞬間的に切り替わります。しかし、人間の感情は去年を引きづりながら徐々に新しい年の希望を新たにするわけで、決して瞬間で切り替わるものではありません。そのような感じが籠った季語と解釈しています。

 この季語を用いた句に、

   去年今年 貫く棒の如きもの  高浜虚子

があります。この句しか知りませんが、これ一つでいいかな。なんだか良くわかりませんが、でも良くわかります。

 私の去年今年は「J.S.Bach Goldberg Variationen」を聴きながら過ぎてゆきます。格好良すぎますか。この曲は普段でも良く聞きます。

 なぜこの曲が私の年越しの曲になったかはもう定かではありません。「アリアと32の変奏曲」、クラービア練習曲であって、特別の意味があるとも思えません。しかし、32の変奏を終えて再びテーマが聴こえてくると、たゆみない時の流れを実感するのです。そして、新しい年も恙無く過ごせるようにと思います。

 毎年、クリスマスの頃になると小林道夫が「Goldberg Variationen」のコンサートを開催します。今年で37回目かな。随分と早い時期から承知していて、毎年のように聴きに行こうと思いながら、実現したのは唯一回です。大阪淀屋橋近くの大阪倶楽部だったと記憶。至福の時間でした。アンコールはいらないと思ったのですが一曲。確か、インベンションの5番。これも良かった。決して気分を削がない選曲です。

 この曲のLP・CD、合わせて10枚ほどを持っています。が、先日、小林道夫演奏の1枚を追加しました。初録音だそうです。とりあえず iPOD にインポートしてあります。年末年始の休みの間に済ませなければならない仕事のため、横浜を離れて北九州に来ています。年の変わる頃に、ホテルで一人聴きながら新年を迎える予定です。

 2008年を目前にして、新しき年の皆様のご多幸と世界平和実現を祈念いたします。この一年間、お付き合い頂きましてありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

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2007年12月30日 (日)

路上観察:横浜・新山下あたり

Img01  横浜方面から向かえば、山下公園を過ぎてさほど遠くないところが新山下になります。この海辺、かっては貯木場でした。今は多くのプレジャー・ボートが繋留されています。一角にYCC(横浜クルージングクラブ)があって、レストランも併設されています。

Img03  本日(30日)午前中、何か面白いことはあるかと覗きに行きました。風が強いせいか、年末だからか、2隻のモーターボートが出て行った他は、ほとんど動きがありませんでした。今頃は船を掃除している様子が見られるのですが。それにしても、豪華なクルーザーが沢山あります。

Img02 ベイブリッジ(2枚目写真)も間近に見えて、横浜らしい光景です。振り返 ると山手一帯を遠望できます。海の見える丘公園は中央からやや左に寄ったあたりと思います(3枚目写真)。

山下公園から新山下を経由して海の見える丘公園まで、歩いて小一時間と思います。散歩には適当な距離かと。

Img04 海の見える丘公園からベイブリッジを遠望(4枚目写真)すると、右下、高速道路の向こう側にクルーザーのマストが見えます。そこが新山下です。

 写真1~3は本日撮影、写真4は過日撮影。

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随想:鮒寿司

 自宅にいるのも年内は今晩が最後。国内旅行に行くわけでもなく、海外旅行に行くわけでもなし、皆さんの休んでいる間に一仕事します。明日夕方(日が変わりましたので本日)に北九州へ移動。

 というわけで一足早く年越しという訳でもありませんが、ご酒を飲み始めました。肴は鮒寿司、豪華でしょう。大阪で寮住まいの息子の帰省土産です。と言いながら、買って帰るように連絡しておいたものです。

 鮒寿司とは滋賀県の郷土料理。琵琶湖の固有種であるニゴロブナの子持ちのメスを用いて作られる熟れ寿司(なれずし)の一種。ニゴロブナが少なくなっているのでなかなか貴重になっているようです。

 臭みがあるので、あんなものと言う方とそれが良いという方と両極端に別れるようです。しかし半々ではないでしょう。あんなもの派が圧倒的に多いように思います。

 寿司と言うくらいですから酸味がかなりあります。そのままご酒の肴に、あるいはお茶付けの具にするのも良し。とにかく珍味です。保存食として古来からの智恵のように思うのですが、詳しくは調べていません。

 ご酒の肴にする場合、私は多少の醤油を付けます。邪道でしょうか。通の食べ方あるいは正当のの食べ方をご存知の方、教示願います。おいしければ良い様なものですが。

 高価なものですからそうそうは食べられません。しかし、そうでなかったとしても、食生活が変わっているのでこのような伝統食はなかなか馴染めなくなっていると思えます。食べ物一つとっても平均化するのでしょうか。

 おいしい肴を用意して、ご酒は明るく

  杜子美 山谷 李太白に 酒を飲むなと 詩の候か   隆達小歌

と言うように嗜みたいものです。でもこれは居直り?

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2007年12月29日 (土)

路上観察:根性ある木

 軟弱な路上観察が多いことを反省、これからは積極的に物件を発見するように心がけます。まずは写真ストックを含めて。

 街中の緑は心やすらぐものがあります。しかし、人間が生活するうえで、場合によっては邪魔な存在と化してしまうことがあります。その際、木はどうなるか。根こそぎ抜かれてしまえばギブアップです。しかし、中には根性ある木があります。

 第一物件は、少し古いのですが、奈良・大安寺付近で発見したものです。

20021027_0120021027_02_  正面から見れば、一見、何の変哲も無いように見えます。しかし、何か不思議な感じがします。横に回れば。
 フェンスを飲み込んでしまった木に恐れを感じたか、上部と下部を切りとられてしまいました。それでも木は空中に浮かぶ形で、そこに存在した証を誇示しています。5年ほど前のことなので、その姿を今に残しているかは否かは不明です。

 第二物件は、最近、鎌倉・安国論寺付近で発見したものです。

20071201_03  見ればかなりの巨木であったと知れます。その枝は夏ならば大きな緑陰を作ったことでしょう。しかし、大きくなりすぎたのでしょう。上部を伐られてしまいました。ところが木もしたたかです。一旦は屈服した振りをしながら、伐られた跡から小枝を伸ばし始めました。モヒカン刈りのようです。

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2007年12月24日 (月)

路上観察:I wish your Mery X'mas from MM21.

 横浜港未来21地区の本日(12月24日)の光景です。写真のみでお楽しみ下さい。

Dsc01 1.日本丸船首



Dsc02

 2.日本丸




Dsc03

 3.ランドマークタワー遠望(X'mas仕様、判りますか?)



Dsc04

 4.赤レンガ倉庫



Dsc05

 5.赤レンガ倉庫前特設スケートリンク



Dsc06_2

 6.大観覧車



Dsc07

 7.横浜税関(クイーン)



Dsc08

 8.開港記念会館(ジャック)



Dsc09

 9.マリンタワー遠望



Dsc10 

 10.コカコーラ宣伝車



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演劇:廃車長屋の異人さん

 原作  マクシム・ゴーリキ
 演出  鈴木忠志 
 出演  ゴーリキー研究家(ルカー) 蔦森皓祐
     コストィリョーフ      高橋等
     ヴァシリーサ        張利朱(韓国)
     ナターシャ         常玉紅(中国)
     メドヴェージェフ      竹森陽一
                   他、日中韓の俳優      
 劇場  新国立劇場・中ホール(1階席はほぼ満席)
 時間  1時間20分
 観劇  2007年12月23日15時30分~
 期間  12月24日15:30開演まで

 ゴーリキ「どん底」がテキスト。今さら「どん底」でもないだろう、今こそ「どん底」だろう、二つの考え方が頭の中で渦巻きます。

 「おむすびを食べたい」と記して五十有余年の人生を終らされた方がおられました。その無念さを推し量るすべを持ちません。20世紀初頭に「どん底」が発表され、100年余を経過した21世紀になってなお「どん底」の存在を実感します。そればかりでなく拡大しつつあるように思います。

 今、「どん底」を取り上げる意義は大いにあるでしょう。それを新国立劇場で上演する状況が実は皮肉にもなる、と思うのは私だけでしょうか。鈴木は、現代の「どん底」を廃車置き場に設定します。

 大規模な自然災害が大恐慌がおきたと考えたら「どん底」と美空ひばりに至った、と鈴木は演出家ノートに書きます。

 半世紀近くも前、私が小学生の時のこと。
 横浜駅からさほど遠くない学校を出た遠足のバスが、本牧を過ぎて海を目の前にし(今は埋め立てられた)、やがて磯子に近づくと、あの辺りが美空ひばりの生家だとバスガイドが説明します。通称、屋根なし市場の魚屋。その後、近くの山手にひばり御殿も建ちます。華やかな一面しか見えないですが、その後の風聞でも多々苦労を重ねたように思います。鈴木は、美空ひばりの生き様にどん底を感じとったのかも知れません。

 「廃車長屋の異人さん」は、BeSeTo演劇祭の一演目。
 この前に「呉将軍の足の爪・原作:パク・ジョヨル・演出:億土点・劇団:Power Doll Engine」を観ました。この劇団の表現に違和感を持つ私ですが、確かな手ごたえもあるし、レベルの高さも充分認識しています。その上で。

 「廃車長屋の異人さん」は、SPACメンバーを中心にした日中韓俳優共演。役者は各々の母語を使い、脇に日本語がプロンプトされます。演劇における言葉の重要性を否定しませんが、さりとて言葉だけで演劇が成り立つものでもありません。このような共演にさしたる違和感を感じないのは年の功でしょうか。何でも来いと。

 今回改めて感じたのは台詞回しの良さ、まるでクラッシック音楽を聴いているようです。誤解の無いように添えますが、心地良く響くと言うばかりでなく、間合いの良さ、テンポの良さ。言い方が悪いですね、間合いの良さ、テンポの良さが心地よさを生む、と言うことでしょう。鈴木の演劇をたまに観るだけですが、二十年ほど観てきて改めてそのことを強く感じました。

 日本の伝統芸能では間が大切だと言われるそうです。武満徹はエッセーで「音、沈黙と計りあえるほどに」と語っています。要するに、音と音との間、ここでは台詞と台詞の間、無音の時間、それが重要だということでしょう。
 私自身は門前の小僧で、この場を借りて習わぬ経を唱えているようなものです。二十年にしてそれに気付くのは遅いかもしれませんが、やけにそのことが強く印象に残りました。

 これは「鈴木メソッド」とも言われる演劇スタイルに寄るものでしょう。方法論が確立しているからこそ、異郷の俳優を取り込めるのだと思います。ただし、後半の緊迫した場面は日本人俳優のみになるのは致し方ないかと思います。

 舞台にはおよそ20台くらいの実物の廃車が積み重ねられます。廃車を住いにした生活空間ができています。俳優は、ドアやフロント窓から出入りし、車を叩き、屋根に登って踏み鳴らし、「明日はより良く」と願います。
 SPACメンバーも実にいい味を出している、そのことも強く印象に残りました。

 新国立劇場の舞台に廃車が並ぶのは前代未聞でしょうが、やけに美しい舞台に仕上がっていたのが多少気になりました。

 気合が入ったので、この後の「剣を鍛える話・原作:魯迅・演出:中島諒人・劇団:鳥の劇場」も観ました。二本立ての予定が三本立てになって、多少疲れは残りましたが良い一日になりました。

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2007年12月23日 (日)

路上観察:太宰府へ(その2)

 水城から東南の方向30分ほど歩くと筑前国分尼寺跡に至ります。礎石一つが残ると脇の案内板に書いてあります。しかし、広がる畑に礎石を見つけることはできませんでした。さらに少し歩くと筑前国分寺跡に。

Img1  奈良時代・聖武天皇が全国に国分寺・国分尼寺を建てたうちの一つが筑前国分寺。現在、国分寺は塔跡の礎石、講堂跡が残ります。金堂跡には新しい国分寺が建立され、堂内に平安時代後期の伝薬師如来(重文)が。今回は拝観しませんでした。

 遺跡は、見方によっては何もありません。私の場合は何に惹かれるのか定かでありません。しかし、学術的興味は希薄です。大きな礎石を運び、そのうえに堂宇を築き上げる民Img2衆の苦役を感じる。あるいは厳しい戒律の寺院や雅やかな宮廷生活を想像する。大きな位置を占めるのは時の流れを感じることかも知れません。時計で測りきれない時の流れを。

 国分寺跡に接して国分天満宮があります。小さな社です。境内に山上憶良の歌碑がありました。憶良も筑前に来ていたのですね。碑には、

Img4   大野山 霧立ち渡る わが嘆く
   息嘯(おきそ)の風に 霧立ちわたる (巻5-799)

と刻まれています。国分寺の北側、屏風のように大野山が横たわっています。「大野山に霧が広がる。私の嘆きの深いため息で霧が広がる」でよろしいでしょうか。異郷で妻を亡くしたゆえにより愛おしさがつのる、独り身の寂しさがなおさら増す。情のこもった美しい歌です。

Img5 道をはさんだ地域掲示板に「どんど焼き」の掲示が。正月も近いですね。

 さらに東南の方向に向かってしばらく街中を歩きます。道々、字名を刻ん だ6・70Cmの石の標柱が目に付きました。今になって気になります。昔の地名を残そうとの思いと受け止めましたが。写真を撮らなかったのが悔やまれます。 やがて東西に連なる政庁通りに出くわします。太宰府政庁跡はもうすぐ。

 写真は、上から国分寺塔跡から後方の現国分寺、国分天満宮から国分寺・大野山、山上憶良歌碑、どんど焼き掲示

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2007年12月19日 (水)

路上観察:太宰府へ(その1)

 太宰府政庁跡に一度立ちたいと思っていました。新しくは「文楽・菅原伝授手習鑑」、古くは「松本清張・時間の習俗」などに端を発します。さらに遡れば、学校で教えられた防人などが伏線となっています。

 太宰府政庁跡は福岡県太宰府市に位置し、横浜からは果てしなく遠くて思いは容易に実現しませんでした。ところが、最近になって仕事で北九州を訪れる機会が多く、合間に太宰府まで足を延ばす機会ができました。

 当日は、水城・国分寺跡・太宰府政庁跡・大宰府天満宮・九州国立博物館を徒歩で巡りました。距離にして15Km程。徒歩で巡るか?、と思う向きもあるかと思います。が、私の基本はとにかく歩く。点でなく、線としてその土地を感じたいとの基本方針があります。

Img_1  博多から水城はJR鹿児島本線・普通電車で20分弱です。来た電車が快速で、とりあえず水城の一つ手前の大野城へ行って路上観察。小さな駅で、降車して1分もたたずに駅の様子は知れました。何もないように思えたのですが、写真を参照願います。写真が小さくて判明しにくいと思いますが、なんと手製の駅名表示板でした。字の線幅が微妙に異なり、一部はインクが滲んでいるような所もあります。快速が停車するJRの駅ですよ。なぜか嬉しくなってしまいました。

 暫くして来た普通電車で水城に移動。駅の端に水城が見えます。ちょっとややこしいですね。
 水城とは、「日本書紀によると664年に天智天皇が築いたとされる。倭国は、663年に朝鮮半島の白村江の戦いで百済に味方し、唐・新羅連合軍に大敗した。さらに博多湾から大宰府に攻め込まれるのを防ぐために、水城 Img_2を築いたとされ・・・(Wikipediaより)」。それが地名であり、駅名になっています。
 となると大野城にも城がついています。そうです、この辺り一帯は、歴史的遺構が多々散在するようです。ディパックを担いで山に分け入りたい気持になりました。

Img_3  駅の待合室を物色して付近の地図を確保。いざ、太宰府へ。
 JR線路に直行して水城遺跡が連なっています。線路が分断する形になって、その断面を見ることができます。版築で作られていると案内にあったので、近くに寄ってみました。版築とは、土を盛って突き固め、また土を盛って突き固めることを繰り返して所定の形状に仕上げる工法のことです。バームクーヘンを平らにしたとImg_4ころを想像してください。残念ながら版築は確認できませんでした。既に土がかぶさっているのかも知れません。遺跡は、高さ10m以上、幅80m、長さ1.2kmの巨大なものです。敵が攻めてきた場合には、外側に水を流して溺れさせてしまうようなことも考えられていたようです。しかし、敵が押寄せることはなかったそうです。

Img_5  畔道伝いに周囲から眺めると、春先になって土手にレンゲでも咲いたら大和の春を思わせるのではないか、そんな気がしました。古の都人はどのような思いで眺めていたのでしょうか。

 写真は上から、大野城駅名表示板、水城断面(手前が太宰府側)、水城遠望(左側が太宰府側)、案内板に記載の断面図(現在、射水は張られていない)、参考・唐大明宮含元殿址の版築(30年ほど前に撮影した)

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2007年12月 9日 (日)

演劇:カフカ・審判(その2)

 千秋楽に2回目の観劇をしました。同じ上演期間中に二度観ることはめったにありません。しかし、長期公演の場合は、早い機会と遅い機会に観るのも結構面白いと思います。演じる側の事情もあるでしょうし、観る側のコンディションも変化します。

 上演時間が15分ほど短縮されて、3時間(15分の休憩を含む)になりました。変化の細部を認識できませんが、特に休憩後が淡々と進行するようになった感じです。

 休憩後の最初の場面の印象が変わりました。
 前回の印象を『ヨーゼフ・Kの笠置誠は、見えざる何かに対峙する焦燥感を良く感じさせます。』と書きました。ぎらぎらするような演技で、権力と対峙する表現でした。しかし、今回は、ぎらぎら感が薄れて、権力に対する諦観のようなものが垣間見えました。これが後半、淡々と進行するように感じる伏線のように思います。

 イスに座って上半身をかがめ、テーブルに顎をつけた形で、眼光するどく左右に目を向けているのが前回の演技です。手は、テーブルに載せていなかったように記憶します。
 今回は、同じような姿勢ながら、手をテーブルに載せ、右手は折り曲げて顔に近づけ、左手はまっすぐ前方に向けている。目はうつろでした。

 最後の場面、全裸にされたKが伽藍を進んだあげくに、「犬のようだ」と心臓にナイフを突き刺され二度こねられて叫びます。前回、この台詞がなかったとは思えないのですが、なぜかこの部分の記憶がありません。今回は明確に認識しました。

 原作では、『「犬のようだ!」と、Kは言った。恥辱だけが行きのびるような気がした。(池内紀訳・白水社)』。何に対する恥辱か、それはKに代って私が考えることでしょう。重い課題です。

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2007年12月 2日 (日)

路上観察:鎌倉古道(朝比奈・名越切通)と十二所果樹園

 師走の初日、小春日和の空模様に誘われて久しぶりにハイキングに出かけました。まずコースを紹介します。

 京急金沢八景駅---(バス鎌倉行き)---朝比奈---朝比奈切通---十二所果樹園---池子弾薬庫跡脇尾根道---鎌倉逗子ハイランド住宅街---法性寺---名越切通(峠)---長勝寺---安国論寺---妙法寺---JR鎌倉駅

 朝比奈入口からJR鎌倉駅まで小休止・拝観を含めて4時間。拝観を除けば3時間ほどの行程。朝比奈峠から鎌倉側は道が湿っているので、滑りにくい履物を推奨します。

19  バスを降車して進行方向に数十m進むと朝比奈切通・←200mの標識があります。左に折れて進むとすぐに、国史跡・朝比奈切通の説明があります。昼なお暗い切通は、侍や商人・町人が行き来していた往時そのままのように感じます。この切通を開いた人達の苦労にも思いを馳せたい、そそり立つ両側の崖を眺めてそう思います。30分ほどで鎌倉側に到着、そのまま進めばすぐにバス通り、十二所付近に至ります。

48  ここで鎌倉とは反対方向に進み、十二所果樹園を目指します。果樹園は結実期に閉鎖されているようですが、それ以外の期間(7月1日~8月20日・10月21日~5月10日、私は未確認)は入場・通過できます。果樹園は栗と梅の木が多いようです。来年2月ごろに再訪しようと思いました。果樹園の最高部外周の道を少し歩くと展望広場があります。鎌倉・江ノ島から丹沢・富士山、三浦半島(?)、横浜方面に視界が開けそうです。当日は遠望が利きませんでした。

49  果樹園に戻るように尾根道を進むと、やがて山中には不似合いなコンクリート塀に出くわします。塀は古びていて鉄筋が見えるような所もあります。暫く続くとやがて金網に変わります。塀の内側は池子弾薬庫跡、池子50の森、現在は米軍池子キャンプです。塀の外側からも豊かな自然が確認できます。視界も開けず、変化に乏しい尾根道ですが、世界平和や自然保護を思い返す 思索の道かも知れません。塀が切れ、山道を降りると、そこは逗子鎌倉ハイランドの街中になります。

61 街中を過ぎてJR線に突き当たったところで鎌倉方面に100mほど進む と、法性寺・名越切通の案内があり、右に折れて再び登り始めます。20分ほどで名越切通の最高部に到着します。朝比奈とは異なる趣があります。切通しは、JR横須賀線鎌倉・逗子間のトンネルの真上になります。峠から鎌倉方面に向かうと、JR横須賀線沿いにJR鎌倉駅に至ります。道々、古刹がありますので、時間と相談しながら寄り道すると良いでしょう。

 古都ながら鎌倉は、京都・奈良に比べれば猫の額ほどの狭い地域です。中心部の観光も良いですが、東西南北、南は海ですね、切通を通って中心部に向かうのもさして時間はかかりません。これからの季節、日溜りハイキングもなかなか良いですよ。ぜひお出かけてください。

参考:鎌倉七口の坂と切通を歩く

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2007年12月 1日 (土)

随想:忘れないで「美しい国、日本」(その2)

 「路上観察:北九州小倉・文学散歩(1)」でも触れましたが、JR香椎駅、西鉄香椎駅および香椎海岸は、「松本清張・点と線」で事件の発端となる場所です。最近、仕事の関係で時々JR香椎駅を通過(特急は通過)します。いずれ一度は下車して付近を散歩したいと思っています。

 11月24・25日、TV番組の「点と線」を見ました。ビートたけしの鳥飼刑事、他に達者な俳優が多数出演していました。なかなか見ごたえがあってTVも捨てたものではないと思いました。でも、TV朝日の50周年記念番組のようです。めったに見ることはできないのでしょうか。

 ビートたけしの鳥飼刑事、私のイメージよりは攻撃的な表現でした。演出か本人の役作りかはわかりませんが、でも良かった。詳しく知るわけではありませんが、ヒートたけしらしいと思いました。

 事件は昭和30年台前半(雑誌掲載)のこと、すでに半世紀が経過しています。横浜生まれで横浜育ちの私が当時を知るわけはありません。

  いざ子ども香椎の潟に白栲の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ (大伴旅人)

 この万葉歌が番組中でも使われていたと思います。すがすがしさを感じさせます。「美しい日本」、まだ残っているのでしょうか。

 地図で確認すれば、香椎海岸からは海の中道が見えて風光明媚なところのように思えます。しかし、現在は中間に島があります。恐らく埋立地、現在の風景は何となく想像できます。そういえば、海岸のロングショットがありませんでした。撮影できないのでしょうね、余計なものが写ってしまうから。そういう意味で50年の重み(あるいは軽さ)を感じます。

 他の場面でも、海岸の小屋や干してある魚網は風雪に晒された重みがありませんでした。恐らくセットでしょうが、ロケできる場所が無いのだろうなと思いました。

 もう一つ印象深い場面がありました。鳥飼刑事が業務命令で仕方なく警視庁を後にする場面です。鳥飼刑事が合掌にてそれまでの謝意を表すと、居並ぶ警視庁の刑事たちが直立不動の姿勢で応える。鳥飼刑事の事件解決に向けての真摯な取り組み、深い洞察などに対する畏敬の念の表現だと思います。職人気質、これも「美しい日本」の良さだと思いますが・・・。職人さんもだんだん少なくなっているようです。

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