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2007年11月23日 (金)

演劇:異人の唄 --- アンティゴネ

 作     土田世紀
 構成・演出 鐘下辰男
 出演    土居裕子(淀江アン)
       純名りさ(淀江メイ)
       すまけい(淀江宍道)
       水上辰 (小林十市
       水上正吾(木場勝己)、
         ?  (白い女)、他にコロス
 劇場    新国立劇場・中ホール(7割程度の観客)
 時間    2時間25分(途中休憩15分)
 観劇    2007年11月23日14時~
 期間    12月2日まで、途中休演あり、開演時間注意

 かもめの鳴き声が響く砂浜。本砂で円形に山が作られていて舞台中央奥に二層の物見櫓。

 白い女が、裸足で客席からゆっくりと舞台に進む。舞台との境で静止。再びゆっくりと砂山を進む。恐らく数分間だろうがこの間無音。静寂もまた雄弁、緊張感が高まって一気に舞台に引き込まれる。ただし、白い女の正体は最後まで判らない。幽霊?

 貧しい海辺の村、年老いた不自由な叔父・淀江宍道の世話をするアンとメイの姉妹。叔父の面倒を見続けることに疑いを持たないアン、新しい世界へ逃れようとするメイ。二人の父母の消息はわからない。そこに現れる水上辰、メイを新しい世界に連れ出そうとする。水上正吾の存在は。

 舞台に現れることの無い母・淀江サトは、唄えば魚が群れを成して寄ってくるという伝説の歌い手。サトが行方不明になってからは不漁続き。サトを中心にした愛憎は、メイと水上の許されない愛につながっていく。

 土田は漫画家で、これが始めての原作。漫画家の原作で悪いことは何もありませんが、秋田生まれの漫画家であることが大きなポイントになったと思います。

 前半はオイディプス王とアンティゴネを底本にしてギリシャ悲劇風の展開。頭の中で多少の整理は必要ですが流れはよく判ります。後半は行方不明の父母の消息の謎解きになりますが、随分冗長であると感じました。謎解きに大きな比重を置く意味合いを感じません。もっとテンポ良く進んだ方が良いと思いました。演出の鐘下に依存する部分もあると思うのですが、土田のサービス精神の発露だとも思えます。でも、少し過剰かと。

 終わり近くのアンとメイの唄は素晴らしかった。アカペラのソロと伴奏つきのデュエット。でも何で唄い始めたのか記憶にありません。

 伝説の歌い手などから歌垣などがイメージされます。随分と土俗的な印象を受けます。「宮本常一・忘れられた日本人」のどこかの章を思い浮かべました。昭和中期ごろまでは各地に残っていたような風俗と認識しますが、現代では恐らく残っていないでしょう。ギリシャ悲劇を現代に再生しようとする試みの難しさがあるのだと感じました。

 「夜は何でも見えてしまう。昼は見えるものだけ見ればよい。」とは淀江宍道の台詞です。夜が明るくなり過ぎてしまったから、現代人は見えるものも見えなくなってしまったのでしょうか。神を含めて。

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コメント

 小林十市さま、私の中ではダンサーのあなたでしたが、俳優として出演されるのを興味深く思いました。初めてあなたを見たのは随分前のことです。ベジャールバレー「タルサ・我らが海(多分?)」で、確か最初に踊りだしたと記憶します。今でも経験が増えたわけではありませんが、その時はダンスを観始めたころでした。ここでも日本人が活躍していると感じたように思います。
 昨日(11月23日)、新聞はベジャールの死を報じていました。その日にあなたの舞台を観たのも、私にとっては何かの巡り会わせのように思えます。時は確実に過ぎていくことを改めて感じました。
 どうも腰を悪くされてベジャールバレーを退団したようですね。年齢的にはまだまだダンサーとして活躍できると思うのですがそれはそれとして、俳優としてもさらに活躍されることを祈念いたします。

投稿: F3 | 2007年11月24日 (土) 09時59分

ひさしく舞台公演から離れています。
何年ぶりかで先週、博品館に出かけてきました。やや訳あってのものでして。

終わって、サッポロビヤホールへくりだしたのですが、(本心はこの為に銀座へ出た!長年の夢がかなって。)
酢ずけキャベツとソーセージで、散々な脚本のケチをつけ合戦となりました。舞台芸術はよかった!なんて、度素人のビストロ談義。

ビヤホールの黄金色に輝くランプのなかで
北林初栄/米倉まさかね主演 博品館
「ドストエフスキーの妻」を思い出しました。芝居は人間の肉体あってのものですね。
その一代限り、いや、一年一年。
劇評を読んでいると、なんだか迷い込んでみたくなりました。

カフカ。
中学〜高校生時代は、怖くて入り込めませんでした。精神的なものを超えて他愛無ない肉体の痛点のただ一カ所を攻められるような恐怖です。今なら耐えられるかもしれないと…。苦痛も痛みを体験して大人になったので(笑)。新潮文庫のカフカの表紙が懐かしいです。

投稿: 女三宮か | 2007年11月26日 (月) 07時11分

ギリシャ劇

戯曲を読むとすると
声を出して大で朗読しないと、なんだか眠たくなってしまいます。面白みも欠けるような?

投稿: 女三宮 | 2007年11月26日 (月) 07時16分

 酢漬けキャベツにビール、良いですね。観てきた演劇もつまみに加えて。
 仕事であちらこちら行ったり来たりして、結構、忙しい時期です。私は多少変わっているのか、忙しい時期はやけになって演劇を観たり、美術展に出向いたりすることが多いです。最近、本も比較的多く読んでいます。
 演劇を観られない方も多いと思います。よって、素人演劇評ですが雰囲気が伝われば目的達成と思っています。それが、迷い込んでみたくなるなどと言われたら、もう望外の喜びです。日本の演劇界は、演じている方々の志の高さに比べて、決して恵まれた環境におかれていないようです。一人でも演劇鑑賞者が増えることは喜ばしい。
 って、おまえは演劇界のまわし者か。いいえ、単に好きで観ているだけの者です。

 ところで女三宮、源氏ですよね。一度、読了したいと思っているのですが、空蝉にたどり着くことさえありません。いずれ・・・。

投稿: F3 | 2007年11月28日 (水) 00時53分

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