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2007年11月

2007年11月25日 (日)

演劇:カフカ・失踪者

 原作    フランツ・カフカ(池内紀訳・白水社発行)     
 構成・演出 松本修
 出演    船谷吉洋  カール回想・4  
       柴田雄平  カール1
       ともさと衣 カール2
       泉陽二   カール3
       石母田史郎 カール5、他
 劇場    シアタートラム
 時間    3時間35分(途中休憩15分)
 観劇    2007年11月24日14時~ (満員)
 期間    ~12月8日、変則日程につき公演日注意

 追われるように故郷ドイツを後にしたカール・ロスマン。ニューヨーク港へ到着した船から降りる間際に騒動に巻き込まれるが、そこで偶然にも伯父の上院議員・エドワード・ヤーコブと対面する。ロスマンは伯父の庇護のもと何一つ不自由の無い日々を過ごす。

 ある日ロスマンは、伯父の知人ポランダーの自宅へ招かれる。伯父は渋るが結局はでかける。ポランダーの愛娘クララの出迎えを受けるが、その際にグリーンが来宅していることを告げられる。

 ロスマンは伯父が気懸かりだった。すぐに帰りたいと告げるが、「12時になったら」とグリーンに言われる。12時になって伯父からの手紙を受け取るが、そこには「ロスマンを追い出す」と書いてある。船で見失ったトランクと傘を渡されて、当てもなく夜の街へ飛び出す。この後の波乱は・・・。

 

 先週の「審判」とは舞台の向きが逆になっていました。「審判」との交互上演をどう実現するか興味あるところでした。先に観客席に座れば、後から入場する観客を見ることになります。私は初めての経験で思わず感心してしまいした。要は舞台上を歩いて観客席に向かうのです。

 フランツ・カールは場面場面で俳優が変わります。カールに限らず全ての俳優が何役もこなしているので、出場のタイミングもあるでしょう。しかし、全体に激しい動きが多いので一人の俳優が通しでは無理なのだと思います。カール2は女性ですが、これはクララに投げ飛ばされる場面を考慮してのことでしょう。それにしても見事に投げ飛ばされました。

 例によって松本修の構成・演出は原作に忠実だと思います。しかし、原作の場面場面の独立感を「変な踊り」や場面転換の工夫で軽快に進めます。3時間超の上演時間は面白くなければ苦痛にもなりますが、決してそのように感じさせることはありません。松本修の非凡さを改めて感じます。

 劇場はプールのイメージです。水が張られる部分が舞台および客席です。底に地下への向かう階段があり、水から上がって人が休憩する部分も舞台です。これは今回の状態で、かなり自由に再構成できるようです。天井には「審判」の大道具はそのまま残っています。豪華な空間より自由になる空間、それが創造力を拡大するのでしょう。ようやく劇場の全体感がつかめてきました。

 

 終幕近く。ロスマンは、オクラホマ劇場が競馬場にて条件不問で団員募集をすることを知る。競馬場入り口では多くの女性が天使の出で立ちでトランペットを鳴らしている。ロスマンは天使の1人に声をかけられるが、それは懐かしい女友達のファニーだった。再会を祝し、ファニーのトランペットを借りて上手に演奏した。

 採用面接が始まるがロスマンは身分証を持たない。俳優志望であることを伝えるが、別の窓口へ盥回しにされる。挙句に元の窓口で採用される(原作では技術志望だが私の記憶違い?)。
 人事主任が壇上に現れ、5分後にオクラホマへ向けて列車が出発することを告げた。その後傍らにいた男がまた感謝の演説をはじめる。重なるドイツ語の音声、定かではないがヒトラーの演説か。長々とした演説が終わり、採用者たちは急いで駅に向かい列車に乗る。カフカのような男も同乗する。

 

 行き先で待つものは何でしょうか。「変身」を思わせる場面、列車に同乗するカフカのような男の意味は何でしょうか。自由の国アメリカに着いたはずなのに失踪者とは何を意味するのでしょうか。思わず今の時代と対比してしまい、極めて似た状況にあることを感じます。どこかきな臭い匂いも。

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2007年11月23日 (金)

演劇:異人の唄 --- アンティゴネ

 作     土田世紀
 構成・演出 鐘下辰男
 出演    土居裕子(淀江アン)
       純名りさ(淀江メイ)
       すまけい(淀江宍道)
       水上辰 (小林十市
       水上正吾(木場勝己)、
         ?  (白い女)、他にコロス
 劇場    新国立劇場・中ホール(7割程度の観客)
 時間    2時間25分(途中休憩15分)
 観劇    2007年11月23日14時~
 期間    12月2日まで、途中休演あり、開演時間注意

 かもめの鳴き声が響く砂浜。本砂で円形に山が作られていて舞台中央奥に二層の物見櫓。

 白い女が、裸足で客席からゆっくりと舞台に進む。舞台との境で静止。再びゆっくりと砂山を進む。恐らく数分間だろうがこの間無音。静寂もまた雄弁、緊張感が高まって一気に舞台に引き込まれる。ただし、白い女の正体は最後まで判らない。幽霊?

 貧しい海辺の村、年老いた不自由な叔父・淀江宍道の世話をするアンとメイの姉妹。叔父の面倒を見続けることに疑いを持たないアン、新しい世界へ逃れようとするメイ。二人の父母の消息はわからない。そこに現れる水上辰、メイを新しい世界に連れ出そうとする。水上正吾の存在は。

 舞台に現れることの無い母・淀江サトは、唄えば魚が群れを成して寄ってくるという伝説の歌い手。サトが行方不明になってからは不漁続き。サトを中心にした愛憎は、メイと水上の許されない愛につながっていく。

 土田は漫画家で、これが始めての原作。漫画家の原作で悪いことは何もありませんが、秋田生まれの漫画家であることが大きなポイントになったと思います。

 前半はオイディプス王とアンティゴネを底本にしてギリシャ悲劇風の展開。頭の中で多少の整理は必要ですが流れはよく判ります。後半は行方不明の父母の消息の謎解きになりますが、随分冗長であると感じました。謎解きに大きな比重を置く意味合いを感じません。もっとテンポ良く進んだ方が良いと思いました。演出の鐘下に依存する部分もあると思うのですが、土田のサービス精神の発露だとも思えます。でも、少し過剰かと。

 終わり近くのアンとメイの唄は素晴らしかった。アカペラのソロと伴奏つきのデュエット。でも何で唄い始めたのか記憶にありません。

 伝説の歌い手などから歌垣などがイメージされます。随分と土俗的な印象を受けます。「宮本常一・忘れられた日本人」のどこかの章を思い浮かべました。昭和中期ごろまでは各地に残っていたような風俗と認識しますが、現代では恐らく残っていないでしょう。ギリシャ悲劇を現代に再生しようとする試みの難しさがあるのだと感じました。

 「夜は何でも見えてしまう。昼は見えるものだけ見ればよい。」とは淀江宍道の台詞です。夜が明るくなり過ぎてしまったから、現代人は見えるものも見えなくなってしまったのでしょうか。神を含めて。

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2007年11月18日 (日)

演劇:カフカ・審判

 作     フランツ・カフカ
 構成・演出 松本修
 美術    伊藤雅子
 照明    大野道乃
 音楽    斉藤ネコ
 出演    笠置誠(ヨーゼフ・K)石母田史郎(頭取代理)、ほか
 劇場    シアタートラム
 時間    3時間15分(途中休憩15分を含む)
 観劇    2,007年11月17日 14:00~(たぶん満席)
 期間    ~12月8日、変則日程につき公演日注意

 ある朝、その日は30歳の誕生日であったが、借りている部屋でヨーゼフ・Kは逮捕された。悪事を働いた覚えがないのに。しかしKは拘留されることなく、今まで通りに銀行支配人として仕事を続ける。ある日電話で、日曜日に簡単な審理が始まり、同じような審理が頻繁に継続されることが告げられる。
 この物語は、 ヨーゼフ・Kの30歳の誕生日から31歳の誕生日までの1年間の出来事です。さて、31歳の誕生日に何が起きるか・・・・。

 物語は主に5つの場所で展開します。まずは自室と廊下を挟んでピュルストナー嬢の部屋、銀行、弁護士の部屋、迷宮のような裁判所、そして大聖堂。これらをどのように表現するかはとても興味ありました。

 舞台中央手前にベッド、その奥にドアー、その奥にもう一枚のドアー、ピュルストナー嬢の部屋。ドアーは照明によって奥が見えたり見えなかったりして奥行きと場面を制限をします。

 銀行の場面は、ベッドやドアーを片付けて、事務机を並べます。病気静養中の弁護士の部屋はベッドで。裁判所と大聖堂は、舞台奥に作られた数mから7・8mに至る階段状の台で。舞台左右、それから客席にかかるまでの壁と天井は、大聖堂を思わせるつくりになっています。

 他に面白く思ったのは、舞台前方を1/3ずつに分割したとして、左右の1/3づつが階段で客席下の地階に降りられる構造になっていることです。それも利用して、極めて立体的な空間が目の前に現れます。美術と照明は脇役ではありますが、この迷宮的な物語の場面場面を的確に切り分けていきます。美術と照明をこれほど意識したことはありませんでした。(拍手)

 ヨーゼフ・Kの笠置誠は、見えざる何かに対峙する焦燥感を良く感じさせます。休憩後の最初の場面、どうしてこのような演技を思いつくか感心しますが、それは観てのお楽しみ。

 全体に原作に忠実だと思います。松本修の構成・演出は奇を衒うことがありません。丹念に場面を構成していきます。3時間の上演時間は長いと感じる向きもあるように思います。しかし軽快に進行しては、カフカの迷宮的な物語の迷宮的な部分が薄れてしまうように思いました。観る方にも体力が要求されます。

 ある朝、目を覚ましたら逮捕された。当人にとって理不尽と思えることであっても、体制としては筋の通ったことかも知れません。そういえば、Kを逮捕しに来たのは軍服を思わせる制服の二人でした。

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2007年11月16日 (金)

随想:忘れないで「美しい国、日本」

 「美しい国、日本」、既に過去の言葉かも知れません。
 しかし、「美しい国、日本」を私は否定しません。おそらく誰も否定しないでしょう。可能であるか否かは脇において、「美しい国、日本」を概念規定する必要がありました。それをしないまま政治の世界に持ち込んだこと、それは大いなる誤謬であったと思います。誰かが否定するかも知れない政策を、誰も否定できない概念で括ってしまうところに大いなる矛盾があったと思います。

 「美しい国、日本」、出自はともかく、過去の言葉にしないでいつまでも生き長らえさせる必要があります。小さなことから少しづつ積み上げていくのはどうでしょうか。

 大上段に構えたわりに、これから先の話題はささやかなものです。できれば、そのギャップも楽しみながら(?)読んで頂きますように。

   雪擁山堂樹影深   
   檐鈴不動夜沈沈   
   閑収亂帙思疑義   
  一穂青燈萬古心   

  雪は山堂を抱くようにして 樹影も際立たせ
   軒の鈴は微動もせずに 夜は静かに更けていく
  乱れた帙に書物を戻し 疑わしきことを思い返せば
  一本の青い炎の中から 不滅の心が浮び上がってくる

 菅茶山の漢詩「冬夜読書」です。
 漢代の詩が漢詩、唐代の詩が唐詩ですから、漢詩と言うのも、さらに日本の漢詩というのも少し変です。しかし、漢詩は漢字で作られた詩の意味に転化しているようです。それは良いとして。

 自分なりに訳してみました。この七言絶句からは深い静寂と思惟を感じます。華美なものは何も思い浮かびませんけど、美しい光景です。

 ここに歌われるような世界は私の周囲にありません。憧れはありますけど実現したとしても心地良くは思えないでしょう。常に刺激を受けないと耐えられない生活にどっぷりと浸かっています。でも、「美しい国、日本」の一面として、私はこういう光景を思い浮かべます。戻ることはできないでしょうけど。

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2007年11月11日 (日)

美術:最近の美術展

 名称 『レンブラント版画展-呼び交わす光と闇』
 場所 名古屋ボストン美術館(JR・名鉄金山駅前)
 会期 ~2007年12月9日(日)

 百数十点に及ぶ版画を観るのは結構きつい。10Cm角に満たない小さな版画もあって、目を凝らして観るのは楽ではありません。しかし、観ていくうちに白と黒の世界が実に雄弁であることに気づきます。版画だからか、レンブラントだからか。

 宗教的テーマの作品に強く心惹かれました。強いて一点を挙げれば「ピラトの前のキリスト」。

 キリストは無罪であり、釈放しようとする総督ピラト。しかし、群集は強盗バラバに恩赦を与えるように叫びます。困惑するピラト。その瞬間が切り取られています。バッハ・マタイ受難曲では、コーラスが力強く「バーラバ」と歌い上げる場面です。作品を観ながら色々な思いが頭に浮かびます。

 この場面を描いた絵画を観たことありませんが、恐らくあるでしょう。版画と絵画とでどちらがその場面を深く訴えかけるでしょうか。表現の制約は、かえって鑑賞者の思いを膨らませるように思います。想像の域に留まりますが、私は版画かなと思いました。

 1982年・ブリジストン美術館「レンブラント展」に出展された作品もありました。四半世紀を経てそれら作品に再開して、私の観る目は多少は成長したかなと思いました。あくまでも多少ですが。


 名称 『六本木クロッシング2007・未来への脈動』
 場所 森美術館(東京・六本木)
 会期 ~2008年1月14日(月・祝)

 現代美術に敷居の高さを感じるかもしれません。しかし、六本木ヒルズからの展望を楽しんだついでに、ふらっと立ち寄っては如何でしょうか。あくまでも気軽に楽しみましょう。

 「今、見たい日本のアーティスト36組」、2004年に比してやや小ぶりな感じもしました。それでも興味惹く作品があります。

 吉野辰海の巨大な犬の顔が出迎えてくれます。犬の顔を忠実に作品に仕上げていますが、実物の何倍かに拡大しているので思わずにやり。そして不気味さも感じます。ほかに何体かの巨大な犬の全身像。

 次に内原恭彦のスティッチングを使った幅3mほどの2点のプリント。部分・部分の写真をコンピュータを使って繋ぎ合わせる写真。誰でも出来る行為ですがあえて取り組む理由は。古くて新しい写真の可能性、いや写真を素材にした新しい芸術、ということでしょう。個展を見たい気持ちになりました。

 後は印象に残った作品を。
 まずは榎忠の「RPM-1200」。RPMは「revolutions per minute」で毎分の回転数のこと、金属加工の重要な要素の一つ。見上げるほどの位置に数mの金属円盤。その上に数百の円筒状の金属群が所狭しと配置されています。照明が変化して鈍く輝く様はさながら未来都市。金属円盤の一部に切り欠きがあって階段で中央にまで昇れます。周囲に広がる未来都市。何か思う以前に膨大な作業量を想像して脱帽。

 岩崎貴宏の「Reflection Model」。鏡の上に金閣寺を置いて、実物と鏡像を一体にして作ってしまった、恐らく木製のモデル。平面に展示できないので空中につるしてしまいました。浮遊する金閣と逆さ金閣。思わず微笑んでしまいます。

 佐藤雅彦+桐山孝司の数学の迷宮「計算の庭」。数字が書かれた電子的カードを持って、四則演算の指示されたゲートをくぐりながら合計を83(?)にするゲーム。計算違いで出口で×。取って返して何とか○を貰いました。思わずはまってしまいます。

 人形アートの四谷シモンなどは今更というほどビッグネームだと思います。その他、現代美術界が様々であることを実感できます。能書きは後にして、まずは会場に赴くべし。


 名称 『シュルレアリスムと美術
       -イメージとリアリティーをめぐって』
 場所 横浜美術館(横浜・港未来21地区)
 会期 ~2007年12月9日(日)

 シュルレアリスムを超現実主義と言ったところで何がわかるのか、単に言葉の置き換え。館蔵品が多く、何回も観た作品が多いけれど、一つテーマで並び替えて貰えるのは勉強になります。しかし、シュルレアリスムが判ったわけではありません。

 キリコ・エルンスト・ダリは良いとして、最後の部屋の草間弥生・ボルタンスキー・森泰昌・奈良美智などの作品はなんだ。そうか、最近良く目にするそれらの作品もイメージとリアリティーを基盤にして成立しているのか。

 二回出かけましたが、観客は比較的多いように思いました。現代美術に比して、判りやすい(何が)一面はあるでしょう。

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2007年11月 7日 (水)

美術:行ってみたい美術館・博物館リスト

 北九州・西小倉のビジネスホテルで一枚のチラシを手に取りました。コピーを掲載しますのでじっくり見て下さい。何か感じることはありますか。

Scan10004












 私がビビビーと感じたのは「いのちのたび博物館」でした。「いのちのたび」、すごい名前だと思いました。企画展「修験の歴史と自然」とも相俟って、何か生きることの深奥を教えてくれるのかとも思いました。

 私は「行ってみたい美術館・博物館リスト」を記録しています。今、7つ・8つが記録されていますが、新たに「いのちのたび博物館」が加わりました。残念ながら今の企画展には間に合いそうもありません。しかし当分の間、仕事で北九州へ行く機会が多そうなので、合間を見つけて訪問しようと思っています。その際には改めて報告します。

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2007年11月 4日 (日)

演劇:維新派・nostalgia

 作  松本雄吉
 演出 松本雄吉
 音楽 内橋和久
 出演 藤木太郎(ノイチ)、大石美子(アン)、ほか
 劇場 彩の国さいたま芸術劇場・大ホール
 時間 2時間(途中休憩なし)
 観劇 2,007年11月3日 13:00~(客の入りは八分程度)
 期間 公演終了(11月2日~4日)

 ブラジル・サンパウロに到着した日本人少年ノイチは、ポルトガル移民のアンと恋に落ち、やがて子供ができます。しかし、カーニバルの夜にノイチは人を殺してしまいます。アンと先住民チキノをつれて、南米を点々と放浪することになります。川を渡り、戦争(革命?)に巻き込まれ、途中で彼らは散り散りになります。

 舞台では次のように展開します。
   M1 「海の近くの運動場」
   M2  「移民たちの肖像」
   M3 「身体検査」
   M4 「<彼>」
   M5 「7拍子のサンバ」 
   M6 「渡河」
   M7 「難民」 
   M8 「風の旗」
   M9 「ジャングルジム」
   M10 「白と赤のタンゴ」
   M11 「護送列車」
   M12 「El dorado」
   M13 「山高帽」

 M1ではCG映像による移民船。ブラジルへの移民船はノアの箱舟だったのかも知れません。旧約聖書(多分、つがいの動物を乗せるなど言葉)の引用。新しい大地を夢見た人々は、新たな理想の世界を作り上げることを夢見ていたのかも知れません。これが三部作を貫くテーマだと思います。

 M12では、CG映像と山谷を思わせる舞台上のセットを延々と人が超えていく様子が続きます。果てしない漂流の行く先に何が。やがてはるかに見える摩天楼は目指す新世界でしょうか。

 M4で提示される彼は人の数倍はあろうかという動く大きな人形(着ぐるみ、TVコマーシャルで見かける)です。見た目のインパクトは大きいいけど、彼が何であるかは判りません。M13では、少年が大きな山高帽を彼にかぶせます。その少年も状況もよく判りません。アンが大きな足にすがり付いています。

 南米が舞台になりますので、その地理的、政治的背景がよく判りません。それが全体の理解を妨げているのは事実だと思います。ただ、オペラに例えれば序曲にあたる部分がこの#1ではないでしょうか。これから展開される様子がおぼろげに提示されたととらえるべきと思います。

 副題に「<彼>と旅をする20世紀三部作 #1」とあります。腰の重い私にとってシリーズ形式はありがたい。また来年、その来年と、日々過ごすうえでの励みになります。順調にスタートして欲しい気持ちがありました。まずは順調に滑り出したと言えます。気長に一年待ちます。

 維新派の舞台はモノトーンのイメージを抱いていましたが、今回は随分とカラフルと感じでました。また、舞台上の作り物は高さ方向に延びていて、高低所の演技は立体的で厚みがあります。ジャンジャン・オペラの謂われと思いますが、韻を踏んだ台詞の群読および所作は洗練されていると感じました。コンピュータによると思われる音楽も維新派の舞台に欠かせません。気持ちを高揚させます。

 さて、私が維新派を最初に観たのは大阪南港の野外仮設劇場における「水街」でした。足場丸太で作られた劇場、周囲に作られた夜店、その中央に焚き火がたかれブルースをかなでるミュージシャン。どこか別の世界に紛れ込んだように思いました。開演前に楽しんで、終演後も楽しむ。おりしも今頃の時期、奈良正倉院展からの帰り道であったことが鮮明に記憶されます。維新派は野外舞台のイメージがあります。

 三十数年前、私の弟はブラジルに旅立ちました。さすがに移民船ではありませんが、当時は羽田空港から新しい世界を目指しました。技術移民でしたので数年を目処に戻る選択もあったようですが、結局そのまま住み着きました。ですから、維新派の舞台の底流にある漂流や移民は、家を後にした弟の思いを探りなおす契機にもなります。

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