読書:気まぐれ美術館
横浜駅西口のY書店に目当ての本はありませんでした。他に面白そうな本はないかと棚を端から眺めていて見つけたのが「洲之内徹・絵のある一生 洲之内徹・関川夏央ほか 新潮社発行」。
『その後の「Y市の橋」のこと』のコメントで『須之内徹が、「盗んでも手元に置きたくなるような絵がよい絵だ」という主旨の一文をどこかに書いていました。』と書きました。その洲之内徹、後半生を銀座・現代画廊の経営者として過ごしています。
実は彼が亡くなって昨日(2007年10月28日)がちょうど二十年目。平積みされていた本を目にして、購入したのも何かの巡り合わせかも知れません。奥付の発行日も昨日になっています。
彼は「気まぐれ美術館」のタイトルで雑誌・芸術新潮に美術評論を書いていました。連載は1974年1月から死の直前までですから、十数年に及びます。それが単行本として6冊ほどにまとまっています。松本俊介も、彼がいなければここまで世に知られていたか微妙かも知れません。彼の眼差しは埋もれた画家にも優しく注がれていました。
さて「盗んでも・・・」は、正確には次の通りです。
『どんな絵がいい絵かと訊かれて、ひと言で答えなければならないとしたら、私はこう答える。--買えなければ盗んでも自分のものにしたくなるような絵なら、まちがいなくいい絵である、と。(鳥海青児「うづら」「絵のなかの散歩」所収)』
こうも語っています。
『一枚の絵を心から欲しいと思う以上に、その絵についての完全な批評があるだろうか。(靉光「鳥」「絵の中の散歩」所収」)』
単行本を端から読めば行き当たるのですがその時間がありませんでした。偶然に購入した本の中の「気まぐれ美術館」名作選で見つけました。まずは自分の感性を頼りに絵を見ることも悪いことではありません。彼の言葉は勇気付けられます。もちろん、少しづつ見る目が向上できればさらに良いことです。
画廊の経営者が絵を収集していることは、考えてみれば矛盾しています。それは脇に置いて、彼の収集した絵は、宮城県立美術館に「洲之内コレクション」として収蔵されています。私が何回か訪れたのは15年以上前、山形で仕事していた時期です。「気まぐれ美術館」のコーナーがありました。5年に一度程、大々的に展示するようですが、普段は一部展示に留まるようです。興味あれば一度出かけてみてはいかがでしょうか。私も、いずれ再訪します。
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