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2007年10月

2007年10月30日 (火)

読書:気まぐれ美術館

 横浜駅西口のY書店に目当ての本はありませんでした。他に面白そうな本はないかと棚を端から眺めていて見つけたのが「洲之内徹・絵のある一生 洲之内徹・関川夏央ほか 新潮社発行」。

 『その後の「Y市の橋」のこと』のコメントで『須之内徹が、「盗んでも手元に置きたくなるような絵がよい絵だ」という主旨の一文をどこかに書いていました。』と書きました。その洲之内徹、後半生を銀座・現代画廊の経営者として過ごしています。

 実は彼が亡くなって昨日(2007年10月28日)がちょうど二十年目。平積みされていた本を目にして、購入したのも何かの巡り合わせかも知れません。奥付の発行日も昨日になっています。

 彼は「気まぐれ美術館」のタイトルで雑誌・芸術新潮に美術評論を書いていました。連載は1974年1月から死の直前までですから、十数年に及びます。それが単行本として6冊ほどにまとまっています。松本俊介も、彼がいなければここまで世に知られていたか微妙かも知れません。彼の眼差しは埋もれた画家にも優しく注がれていました。

 さて「盗んでも・・・」は、正確には次の通りです。
 『どんな絵がいい絵かと訊かれて、ひと言で答えなければならないとしたら、私はこう答える。--買えなければ盗んでも自分のものにしたくなるような絵なら、まちがいなくいい絵である、と。(鳥海青児「うづら」「絵のなかの散歩」所収)』

 こうも語っています。
 『一枚の絵を心から欲しいと思う以上に、その絵についての完全な批評があるだろうか。(靉光「鳥」「絵の中の散歩」所収」)』

 単行本を端から読めば行き当たるのですがその時間がありませんでした。偶然に購入した本の中の「気まぐれ美術館」名作選で見つけました。まずは自分の感性を頼りに絵を見ることも悪いことではありません。彼の言葉は勇気付けられます。もちろん、少しづつ見る目が向上できればさらに良いことです。

 画廊の経営者が絵を収集していることは、考えてみれば矛盾しています。それは脇に置いて、彼の収集した絵は、宮城県立美術館に「洲之内コレクション」として収蔵されています。私が何回か訪れたのは15年以上前、山形で仕事していた時期です。「気まぐれ美術館」のコーナーがありました。5年に一度程、大々的に展示するようですが、普段は一部展示に留まるようです。興味あれば一度出かけてみてはいかがでしょうか。私も、いずれ再訪します。

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2007年10月29日 (月)

演劇:たとえば野に咲く花のように

 作  鄭義信
 演出 鈴木裕美
 出演 七瀬なつみ、永島敏行、ほか
 劇場 新国立劇場・中劇場
 時間 2時間10分(途中休憩なし)
 観劇 2,007年10月28日 13:00~(客の入りは五分程度)

 2007/2008シーズン「三つの悲劇―ギリシャから」三部作。各々、母・妻・娘の視点で見つめるシリーズの第二弾。

 時は国内が朝鮮特需に湧くころ。場所は九州の港街にある寂れた「エンパイアダンスホール」。戦争で失った婚約者を想いながら働く満喜。満喜に夢中になる最近オープンしたライバル店「白い花」の経営者・康雄(永島敏行)。康雄の婚約者・あかね(田畑智子)。あかねを愛し続ける康雄の弟分の直也(山内圭哉)。閉じない四画関係を柱にして物語は進みます。

 「白い花」の経営者・康雄は毛布工場も経営していて朝鮮特需により巨万の富を得ている。憲兵崩れで故郷にも戻れない満喜の弟・淳雨(大沢健)は、資本家を敵とみなした活動の一環として「白い花」に火炎瓶を投げ込んで、康雄・直也に追われて「エンパイアダンスホール」に逃げ込む。乗り込んで来た二人に、家捜しを推し止めるべく啖呵を切る満喜。

 右額に爆弾傷を残す康雄は、戦地での体験から生きていることへのわだかまりを持つが、満喜の目に同じような思いを見つけて恋心を抱く。それを許せず、あきらめきれないあかねは、康雄が戦場で仲間を襲って食料を略奪した過去を満喜に話していないのかと詰問する。康雄はあかねとの婚約を破棄、それを受け入れられないあかねは、雨中、康雄に土下座してわびることを要求する。

 「エンパイアダンスホール」には、鈴子(三鴨絵里子)・珠代(梅沢昌代)も働いていて、淳雨・なじみ客の菅原太一(大石継太)に恋心を感じている。

 舞台上にはダンスホールが作られ、全ての場面はここで展開する。照明が時の流れを。途中、本水の雨が降り地面に水たまりが。要所に「虹の彼方に」のレコードが流れ、未来の希望を重ねる。

 最後は、満喜・鈴子・珠代が妊娠していて大団円で幕を閉じる。まて、あかねと直也は?

 物語の展開はよく判りますがギリシャ悲劇はいずこに、香り付けにもなっていないように思いました。時代設定は若い人に理解されるでしょうか、もっと現代に近づけるアイディアはなかったのでしょうか。ある意味、処理しやすい時代設定と思います。全体にそつなくまとまっているとは思いますが、いま一つ訴えかけるものがなかったなー。

 珠代(梅沢昌代)はモードの頃から時々見ていますが、今回もよく脇を締めています。鈴子(三鴨絵里子)もしかり。話が膨らみました。ほかに淳雨の仲間・李英鉄(池上リョヲマ)、ダンスホール支配人(佐渡稔)。

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2007年10月28日 (日)

路上観察:北九州小倉・文学散歩(2)

Img_2143  松本清張記念館を出て小倉城内の八坂神社に向かいます。天守閣の脇にえんじ色の建物、脇の灰色の建物を含めてリバーウォークォークというショッピングモール。北九州芸術劇場や美術館もこの中にあります。場内で消防署員が訓練のようなことをしていました。

Img_2145  八坂神社は天守閣を挟んで松本清張記念館のほぼ反対側になります。立派な社で、小倉祇園太鼓はこの神社のお祭りです。7月頃、小倉の町に着くとあちらこちらから祇園太鼓の音が聞こえてきます。松本清張の「黒地の絵」は、祇園太鼓の音が引き金になって事件が起こります。

Img_2149  やはり小倉場内にある森鴎外文学碑に向かいます。地図で検討をつけていましたが、何回か付近を周回するうちにようやく見つけました。この文学碑は六角形で、私が抱く碑のイメージとはかけ離れていました。また、何かの催しの準備をしているようで、作業車輌が周囲に停車していたのも紛らわしくしていました。写真面の碑文は、『明治三十四年九月四日/夕 常盤橋上所見 稲妻を遮る雲のいろの濃き/夜 雷雨/鴎外 森林太郎/「小倉日記」より』と刻まれています。

Img_2153_2  場外に出て「無法松の碑」に向かいます。小倉の中央を南から北に流れる紫川に架かる橋の上から町を見渡せば、大きな空が広がってゆったりした気持ちになります。このような空間がある町は素敵です。写真左手がリバーウォーク、小倉城になります。

Img_2158  さて、無法松とは、小倉の作家岩下俊作が小説「富島松五郎伝」の登場人物です。そういう知識はありますが小説を読んだことはありません。TVや、『小倉生まれで玄海育ち、口も荒いが気も荒い』と歌われた村田英雄の「無法松の一生」でイメージを形成しているだけです。何回か行きましたが、いつも花が飾られていて、愛されていると感じます。場所は小倉駅から南へ20分ほど歩いた商工貿易会館裏。

 小倉駅に戻りながら森鴎外旧居に向かいます。当日(月曜日)は休館日で門が閉ざされていて残念でしたが、過去に数回訪れています。森鴎外は、1899(明治32)年からの2年10カ月を陸軍第12師団の軍医部長として小倉に勤務していますが、その前半の1年6カ月をこの家で過ごしたそうです。玄関を入ると土間が裏まで続き、二部屋だか三部屋だかの簡素な造りです。庭に植栽もあって、昔の町屋の様子がしのばれます。当時、周囲がどうであったか不明ですが、今は飲食店街のど真ん中です。ストックに写真が見つかりません。確かに撮影はしていますが整理不十分です。いずれ改めて撮影し、内部の様子などを含めてご紹介するつもりです。

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2007年10月27日 (土)

路上観察:北九州小倉・文学散歩(1)

Img_2141  北九州と福岡に行く機会が時々あります。仕事なので必要最短の滞在ですが、たまに空白の時間が出来ます。先日の北九州行は、都合により夜中の仕事でした。昼間は特に予定もないので半分は寝ることにして、残る半分を小倉散策に費やしました。まずは北九州市立松本清張記念館へ。

Img_2139  西小倉駅下車、山側(南)に歩けばすぐに小倉城の堀端に出ます。そのまま少し歩くと小倉城南側の一角に記念館があります。松本清張は、1909年に今の北九州市小倉区で生まれ、44年間をこの地で過ごしたそうです。

 松本清張を精力的に読んだ時期は随分前のことです。文藝春秋社・松本清張全集全38巻の発刊がきっかけです。その前後も多少は読んでいますが、全集刊行の辺りに集中しています。

 第1巻は1971年4月発行、「点と線・時間の習俗・影の車」所収。定価は当時880円、現在は3262円(税込み)ですから35年で約4倍。比較すれば高くなっていますが、それでも他物価に比して本は安いと思います。

 多作の松本清張ですから、全集を読んでも全著作の半分も読んだことにななりません。が、それでも若き日の読書暦として大きな位置を占めています。『鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。(点と線より)』。香椎駅を通過するたびに「点と線」が思い浮かびます。香椎海岸に情死体を発見するところから事件が展開します。

 記念館を入ってまず圧倒されるのが、翻訳を含む全著作700冊の表紙のパネルです。これを見ると、多作などと簡単に言って良いかと思います。700冊を目の前にした重みです。

 次に、かなり大きなパネル「清張とその時代」があります。松本清張の生涯と同時進行した時代の出来事の年表。ニュース映像を写すモニタが所々に埋め込まれています。反対側に「松本清張全仕事」のパネル、原稿などの展示。その膨大な仕事が一望できます。とても一度に全部を読みきる根気はありません。

 次に、「推理劇場 日本の黒い霧」。松本清張の現代史への疑義を、資料フィルムなどを使用してまとめたドキュメンタリー映像。全てを見れば1時間20分、時間もないので「帝銀事件」「松川事件の一部」のみ鑑賞。真相解明されたとは言えない事件です。いつか自身に降りかからないとも言えない思いを改めて感じました。「松川事件」に広津和郎の映像が。全集、半分も読んでいないな。

 残る大部分は、松本清張逝去(平成4年8月4日)時の自宅(東京・杉並)を、そのままの形で移築して展示。内部には入れませんが、要所要所の壁を透明なものに変えて中が見えるようになっています。膨大な蔵書に圧倒されます。書斎は簡素なものです。二階建ての住居がすっぽりと館内に収まっています。

 後は、企画展示の小室があって、「新進作家 松本清張 取材に走る -信州上諏訪・富士見行-」が開催されていました。

 月曜日の午前中という事もあって参観者は私と前後して数名、ゆったりとした雰囲気でしたが、時間に限りがあって残念でした。再訪の機会を持ちたいと思います。

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2007年10月20日 (土)

美術:その後の「Y市の橋」

 横浜駅の北側を「派新田間川」が、南側を「帷子川」が流れます。このことを知ったうえで、2003年1月、他所に書いた拙文の引用を読んで下さい。

 『帷子川が、横浜の自宅から数百メートル離れたところを流れています。あのあざらしの「たまちゃん」の出現した帷子川です。(中略)

 帷子川河口から上流に向かって右側が「そごうデパート」、左側がみなと未来地区の北端、JR貨物東高島駅跡です。(中略)

 大正に生まれ、30半ばで短い生涯を終えた画家・松本俊介は、「Y市の橋」の傑作を残しています。ほとんど同じ位置で描かれた「横浜風景」「運河風景」もあります。
 新田間川は帷子川河口から数Km上流で分かれ、JR横浜駅の北側をかすめて横浜港に注ぎます。新田間川の最も下流を国道1号線が横切りますが、そこに架かる橋が金港橋です。その30mほど上流に架かる橋が月見橋。川の上 を高速道路が横切ったりして様変わりしていますが、紛れも無い「Y市の橋」がそこに存在します。  2003/01/22(水) 』

 4年程の時間が流れました。「たまちゃん」は、今頃大海原を泳いでいることでしょう。
01  JR貨物東高島駅跡には日産本社ビルの建設が始まり、川を跨いで横浜駅と港未来地区を結ぶ「ペデストリアンデッキ(歩行者専用デッキ)」が姿を現し始めました。日産本社ビルの設計は、「豊田市美術館」「坂田市土門拳記念館」など静謐な美しさを感じさせる建築家・谷口吉生と知りました。変化に棹差す力など毛頭ありませんが、せめて美しく変化して欲しいものです。期待しています。

02 「Y市の橋」は「月見橋」という美しい名前を持ちます。「金港橋(国道1号)」越しに見た月見橋(最初の写真)、奥に小さく見えます。左手はJR横浜駅。金港橋から見た現在の月見橋(二番目)、首都高速・三ツ沢線が上部を塞いでいますが、「Y市の橋」とほぼ同じ光景です。金港橋の右寄りの位置で絵が描かれた筈です。横浜駅東口と西口を跨ぐ人道橋が確認できます。月見橋の北側から見れば、横浜駅が一望(三番目)できます。横浜駅構内の一番北側(東京寄り)に立てば、人道橋(四番目)がほとんど頭上に見えます。

03 引用文中に誤りがあります。「新田間川は帷子川河口から数Km上流で分かれ」と書いていますが、横浜駅西口地区の開発のため途中を埋め立てられています。よって月見橋が架かる川は「派新田間川」。「派」は「派生」の「派」だと想像します。海から遡ってもすぐ行き止まり。そういえば、西口周辺を歩いていると川の流れがおかしいと思うことがあります。ようやく理由がわかりました。そして私の誤解も。

04 遡れば埋立地に作られた人工の川ですから形が変わってもおかしくありません。橋は同じでも、いや、月見橋にも「平成8年竣工」の銘板がはめ込まれています。二代目でしょうか。

 蛇足ですが、新田間川は「あらたまがわ」。今までは「しんたまがわ」と読んでいました。今回、多少の調べ物をして間違いに気づきました。地名は大切になどと書くせに、深く反省。

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2007年10月17日 (水)

路上観察:第9回港よこはまツーデーマーチ・第2日

Img_2034  沖縄から参加されたチナコさんが激をとばして9時にスタート。私は第2日も20Kmコースを選択、かすかに筋肉の痛みを感じるのは第1日の名残でしょうか。昨年は40Km、20Kmを歩いたのに、最近の運動不足が如実に現れていると思います。それでも元気にスタート。

 スタート直後は第1日のコースを逆に進みます。「汽車の道」から「山下公園」に入り、公園半ばから出て「ホテル・ニューグランド」前、それから「中華街」へ。

Img_2044  中華街は「長陽門」から入って大通りを進み、「善隣門」から「玄武門」を経て「横浜公園」に進みます。「横浜ベイスターズ」の本拠地である「横浜球場」脇を通って「横浜市庁舎」前へ。そのまま「伊勢佐木町」へ。

 伊勢佐木町の商店街を4丁目まで進むと、一角に「青江美奈・伊勢佐木Img_2054 町ブルース」の記念碑があります。碑前面のボタンを押すと懐かしい歌声が流れます。ハスキーな声とため息が印象的で耳に残ります。百万枚を売り上げた大ヒット曲、昭和43年のことだそうですから遥か昔のこと。碑裏面には横浜にちなんだ曲名が刻んであります。

 第1日に歩いた「大岡川」を横切り、「野毛山公園」まで少々急な坂道を登ります。登りきって5Km強、1時間10分ほど経過。信号待ち、まだ集団で進むのでなかなかマイペースになりません。皆さん歩くのが早くてどんどん後方に下がります。

 この後中間点の「保土ヶ谷公園」までは下町を抜けて行きます。私の生活圏を掠め、国道一号、相鉄線を横切り、タマちゃん騒ぎのあった「帷子川」に沿って暫く進みます。「JR保土ヶ谷駅」付近から急な長い坂道登り。コース中の難所で、登りきって暫く歩くと公園。この頃になると集団はバラバラになり始めて歩きやすくなります。しかし、自動車道脇の一人分の歩道を歩くので、前の人を追い越すのもそう容易ではありません。公園で10Km強、2時間15分ほど経過。私の歩く速度は時速5Kmほどですから、いつものペースです。15分ほど小休止。豚饅一つで腹ごしらえ、歩いていると多くは食べられません。

Img_2062 保土ヶ谷公園は市民スポーツの一大拠点です。野球、サッカー、テニス、学生や一般の方がスポーツを楽しんでいます。夏ならば子供プールも。公園の一角に「かながわアートホール」があります。「神奈川フィル」の練習所や一般向けの音楽の練習場などもあります。神奈川フィルの練習は公開日があるので、一度出かけたいと思っているのですが実現していません。

 坂を下り、「相鉄線星川駅」、「国道16号」を横切って「三ツ沢公園」に向かいます。三ツ沢公園はJリーグクラスのサッカー場などで広く知られています。ここも市民スポーツの一大拠点、陸上競技場で大会が開催されていました。少し下って「横浜バイパス」と「新横浜・伊勢佐木町線」の交差点で30Kmコースと分かれます。ここで15Km弱。この頃になると後から追い越されることはほとんどなくなり、逆に追い越すことが多くなります。

Img_2072 変化に乏しい道が3Kmほど続きます。途中、第二京浜国道を横切り、「JR東神奈川駅」の横浜寄りで線路下を通過して第一京浜・国道1号まで来ると、港未来地区は目の前に迫ってきます。軽い歩行障害が出ていましたけど13時半に無事ゴール。

 20Kmを2日間、無事歩きとおせたことに感謝。残念ながら既に過去の記録で、次に歩ける保障もありません。地道にトレーニングを重ねることが大切です。

 話は跳びますが、四国遍路はどのくらい歩くかご存知ですか。全長1200Km、1日に30Kmほど歩いて40日間で一周するのが平均的な行程だそうです。20Kmを2日間でははるかに及びません。その機会がいつか来ることを祈念して地道にトレーニングを続けましょう。

 写真は上から、汽車の道、中華街長陽門前、青江美奈記念碑、保土ヶ谷公園内神奈川アートホール、港未来地区遠望。

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2007年10月13日 (土)

路上観察:第9回港よこはまツーデーマーチ・第1日

Img_1949  家を出るのが遅くて、スタート・ゴール地点の日本丸メモリアルパークでは、既に皆さんが体操を始めていました。当日参加なので素早く手続き、最後尾に並びます。今年は20Kmコースを選択、9時スタートで16時半までにゴールすれば良く、先を急ぐこともありません。

Img_1962  街中に設定されたコースですから、ほとんどが自動車道脇を歩くことになります。前半は大岡川の桜並木に沿って。春には満開の桜を川から眺める観光船も出ます。途中、「Kogane-Xラボ」付近が反対岸に見えます。

 京浜急行上大岡付近で方向を変えて久良岐公園を目指します。一角に 久良岐能舞台もあります。距離にして8Km過ぎ、皆さんは早いお昼や休憩を取っています。私たち(夫婦)も早い昼食、脇の金木犀が満開。

 公園は斜面に作られているので一山超えて反対側に進みます。山を下ると国道16号、JR磯子駅付近、ここらが中間地点でしょうか。暫く歩くと 山手への上りになります。

Img_1981 上りきる直前に「山手のドルフィン」。新井(松任谷)由実の名曲、「海を見ていた午後」の舞台。最近は、前を通ることはあっても中に入ることはありません。

 少し進むと「Fire Station No.5」、アメリカの消防車は赤白まだらのようでImg_1985す。すぐに「根岸・森林公園」、慶応3年に日本初の様式競馬が行われた場所。ゆるい起伏の芝生の広場はちょっと日本離れした感じです。遊具らしい遊具はなく、各々が工夫して遊びます。芝生に座って小休止、そばで小さな男の子が坂を転がっていました。隣接して「馬の博物館」。

Img_1991  遠来の皆さんには、ここら辺りからゴールまでが横浜らしさを満喫していただけます。山手の尾根筋を「港の見える丘公園」に向けて歩を進めます。左右に異人館を眺め、やがて「外人墓地」、ランドマークタワーが見えます。ゴールはあの下。「港の見える丘公園」からは「ベイブリッジ」が間近に見えます。フランス山を下りて山下公園に入ります。

Img_1996 第二回横浜トリエンナーレ、記念ゲートのようなベルギーのインスタルック・デルー作品が目に入ります。ランドマークタワーも大分大きく見えるようになります。多く人が、公園の午後を楽しんでいます。公園を過ぎて汽車の道にはいりゴールを目指します。

 14時少し前、5時間弱でゴール。久しぶりの中距離ウォークでしたが、まずまずのコンディションでした。

 写真は上から、日本丸メモリアルパーク、「Kogane-Xラボ」付近、Fire Station No.5、根岸・森林公園、外人墓地、山下公園。

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2007年10月 8日 (月)

音楽:横濱ジャズプロムナード2007(2)

 おじさんの考えは古いといわれます。その一面を否定できません。でもね、ふと気付いたのです。

 「サマータイム」の演奏が始まり、途中から「時には母のない子のように」に変わりました。舞台上には「カルメン・マキ」。この歌は彼女のデビュー曲、1969年のことですから40年近い歳月が流れた彼女がそこにいます。

 私は彼女ファンというわけではありません。しかし、メロディは記憶していますし、寺山修司作の歌詞も何となく覚えています。おじさんの頭のなかには、生きてきた時代時代の記憶がぎっしりと詰まっているのです。古い記憶におさばできたら、あるいはすっきり今の時代に溶け込めるかも知れません。でもね、おさらばしてはいけない記憶も沢山あります。古い考えが、若い人たちの役にたたないで済むような時代続くならば良いのですけど。おばさんだって同じでしょう。

 誰に向けた文かよくわかりませんので、昨日(10月7日)の話題に進みます。

 12時からランドマークプラザの「福本陽子カルテット」。今年のコンペティションでグランプリに輝いたグループ。アルト、テナーサックスにベース、ドラムス。ピアノのいない少し変わった編成です。知らない曲ばかり(知っているのは少ない)でしたが、さすがにグランプリ。プログラムを確認したら、サックスのお二人はバークレーの同期生とか、プロですね。レベルの高い演奏が無料で1セット聴けてしまうのですから、年に一度でなく毎週やって欲しい、と思ってしまいます。

 港未来ホールへ移動。「女性ボーカル4人と田村博トリオ」の最後の二曲ほどを聴きました。華があります。最初から聴きたかったけど。小ホールは何度も入場しましたが、大ホールは初めて。素敵なホールです。オーケストラを久しく聴くことがありませんでしたけど、近いうちに一度出かけようとの思いが湧いてきました。

 この後入れ替えで「秋吉敏子・中村誠一グループ」を聴く予定でした。しかし、腹ごしらえに行っている間に長蛇の列。入場開始も遅れるようなのであきらめて、本日の主たる目的地である関内ホール大ホールに移動。後で知りましたが満員だったそうです。ビッグネームですからね。

 15時40分、「向井滋春・JAZZ STRINGS」。弦楽四重奏+ピアノトリオ+トロンボーンの編成、時にベースがアルコで加わり弦楽五重奏になったり。いきなりチャリーパーカーで始まったと向井が言いましたが、曲名は忘れました。自作なども含めて楽しいセッションでした。たびたび聴くわけではありませんが、向井のセッションは暖かい感じがして、私は好きです。

 次の開始までに近所の「ジャズメンクラブ」を覗きに。昔、山下町に店があったころ、会社を終えてから良く行ったものです。当時のオーナーがバイブの杉浦良三、5年ほど前に他界。新しくなってからは出かけようと思いながら出かけていませんでした。場所が変わってしまいましたので、懐かしさはそれほど感じませんでした。

 17時30分、「カルメン・マキ+太田恵資+板橋文夫」。「太田」は、アコウスティック・エレキバイオリンを持ち替えながら。「板橋」はピアノ、それも髪を振り乱し、立ち上がり、肘打ちはなかったけど拳打ちありの格闘技スタイルの演奏、毎度ですけど。様子を見ているだけで私も熱くなってしまいます。ボーカルがいるので、ここではまだおとなしい感じでした。「カルメン・マキ」、プロムナードは初参加、はだしで舞台に出てきました。少しふっくらしましたが、妖艶・ニヒルな雰囲気はそのまま。

Dsc_0016  19時20分より多少早めに「板橋文夫オーケストラ」。プログラムで「村井祐児(クラリネット)」の名前発見。元芸大教授、クラッシクのクラリネット奏者として高名。ジャズ界でも演奏という話はどこかで耳にした記憶はあるもののステージ上の姿を見られるとは。写真中央のネクタイこそしていないものの他とは異なるスーツ姿が村井です。終始、楽しそうな感じで演奏していました。

 舞台後方の幕は、演奏開始時は真っ白でした。演奏中に「堀越千秋」が描きあげたものです。

 スタイルはフリージャズに入るでしょうか、管を2セクションに分けて競奏するような曲もありました。セクションンリーダーがカウントを取りながら進行するというような。このような演奏を聴くと、クラシックの現代曲とどのような差があるか疑問が湧きます。Jazzyとは何なのでしょう。批判めいた気持ちでなくて、音楽に境はないという意味で、そのように思います。あまりジャンルにこだわる必要もないかと。「板橋」の格闘技スタイルはさらに熱を帯びて。カルメン・マキが途中で一曲。

 演奏終了後、二拍子の拍手が続きました。「板橋」が出てきて時計をさして、時間がないんだと言いながらピアノを弾き始めます。良いおじさんだと思います。メンバーが一人づつ出てきて総奏に。

 かくして「横濱ジャズプロムナード2007」は無事に閉幕、関係者に多謝。まっすぐ家に帰る気にもならず、一人でお酒を飲む気にもならず、伊勢佐木町・野毛と散歩しながら余韻を楽しみました。

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2007年10月 7日 (日)

音楽:横濱ジャズプロムナード2007

 昨日(10月6日)もそこそこに良い天気でした。今朝(7日)の横浜は明るい日差しが射していて清清しい秋晴れの一日になりそうです。横濱ジャズプロムナード2007、2日目のプログラムは12時からスタートです。

Dsc_0001  横濱ジャズプロムナードは1993年に地域おこしを目的に始まりました。ということは今年で15回目、秋のビッグイベントとしてしっかり定着しています。港未来21地区、関内・山下町地区を中心にした屋内・屋外の多数の会場で、種々のプログラムが演奏されます。無料プログラムも多数ありますので、散歩の途中で気軽に生の演奏に耳を傾けることも可能です。
Dsc_0014  もう暫くしたら、私はビッグバンドを中心にいくつかの会場を巡ろうと思っています。

 昨日は多少の用もあったので私は無料の屋外会場を何箇所か回りました。恐らくアマチュアの方々のバンドでしょうが実にうまい。それにビッグバンドが多くて、暫Dsc_0016 く前からなぜかビッグバンドを聴きたかった私にぴったりでした。

 写真は上から、ドッグヤードガーデンの「つるに恩返しオーケストラ」、クイーンズサークルの「YAMAHA BIG WAVE ORCHESTRA」、クイーンズパークの「ハーバーライツ・オーケストラ?」、横浜美術館前の「リコネクション」です。

Dsc_0022  興味をもたれたら是非横浜まで足を延ばして下さい。当日券(一日券)は5000円、JR桜木町駅前、JR関内駅前チケット引換所およびホールライブ会場で販売(11:00~20:00)だそうです。 

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2007年10月 2日 (火)

随想:のだめカンタービレ(2)

 「のだめカンタービレ・18巻(最新巻)」にテルミンがでてきました。

 テルミンは、1919年にソ連の発明家レフ・セルゲーエヴィッチ・テルミンが発明した最古の電子楽器です。大昔、雑誌「子供の科学」の工作記事に出ていたような気もします。しかし、考えると子供の力では工作できそうもありませんので、記憶違いのようです。

 調べたら、学研「大人の科学・Vol17」の付録にテルミンがついています、ミニュチュアですが。金2300円也。2007年9月28日発売なので、ひょっとして「のだめカンタービレ」の影響かも知れません。学研、やるな。

1_2  実は私、テルミンの生演奏を聴いたことがあります。場所は兵庫県西宮市大谷記念美術館、時は2000年7月21日、サウンドアーティスト藤本由紀夫の「美術館の遠足・Ⅳ」の会場です。添付写真を見て下さい。演奏会の雰囲気が感じられますか。中央に立っている方が演奏者です。

3  もう一枚の添付写真は、テルミンを演奏者側から見た様子です。大きさからして、中には真空管が何本も入っているように思います。ICなら判っても、真空管を知らない人は多いでしょう。電子技術の進歩は激しいですね。

 演奏者はテルミンの正面に立ち、右側の垂直のアンテナ・左側の水平のループ状のアンテナと右手・左手の位置を変化させることで、音階と音量をコントロールして演奏します。興にのって体を揺らしたりすると音階や音量が変化してしまいます。演奏中は体を屹立させていなければなりません。想像するに、随分と不安定な楽器です。

 「カフカ」の一つ後ろに「のだめ」ネタ。幅が広いと言うか、支離滅裂というか。

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