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2007年9月12日 (水)

路上観察:東京・深川散策

 ブリジストン美術館の鑑賞を終えてから深川散策に向かいました。地下鉄・森下駅下車。午後5時過ぎ。

 芭蕉記念館は既に閉館。隅田川を眺める夕暮れの芭蕉像を見たかったのですが、史跡展望庭園も門が閉じていました。この後、近所の芭蕉稲荷に詣でたのですが、アマチュア史家と思われる方と二言三言と言葉を交わしました。これは最後に詳しく書きます。

Img_1605  さらに採荼庵跡に向かいました。
 清澄公園の南側、清澄通りに掛かる海辺橋の南詰に採荼庵跡があります。芭蕉が「おくのほそ道」へ旅立つのはの元禄2年(1689年)の2月(旧暦)末ですが、その直前まで住んでいたところです。今にも腰を上げそうな芭蕉像が行きかう車の列を眺めています。

Img_1604  さて、芭蕉稲荷まで戻りましょう。
 芭蕉稲荷に詣でたとき先客がいました。ジョギング姿でガイドブックを片手に持って、説明版を眺めていました。初老では言い過ぎかも知れませんが、私と付かず離れずの年頃と思えました。
 最初はぼそぼそと、話しかけられたのか独り言かわからない感じでした。それから声がだんだん大きくなり、私に話しかけていることがはっきりしました。

 説明板には次のように書いてあります。
 「深川芭蕉庵旧地の由来
  ・・・・・・ 俳聖芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝八年から元禄七年大阪で病没するまでここを本拠とし、「古池や蛙飛びこむ水の音」等の名吟の数々を残し、またここより全国の旅に出て有名な「奥の細道」等の紀行文を著した。・・・・・・」

 さて、話の主旨は次のようなことです。
 「『・・・大阪で病没するまでここを本拠とし・・・』と書いてあるが、間違っている。それが証拠に『草の戸も住替る代ぞひなの家』と奥の細道の最初にある。家を移って、その後に娘のいる人が住んだ。自分は移った先から旅立ったのだ。こんど芭蕉記念館に訂正するように申し入れなくては。」

 良いですね。何の得になるわけでもないのに真実を追究する心構えは。薄暗くなって芭蕉稲荷に詣でる人など少ないので、同好の士とでも思われたのでしょうか。私も薄々は認識していたので、相槌を打ったりして。

 地下鉄・清澄白川駅前で、生ビールを飲んで一息ついて、帰路に着きました。

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