« 路上観察:久里浜・ペリー上陸記念碑 | トップページ | 演劇:アルゴス坂の白い家 »

2007年9月22日 (土)

演劇:利賀フェスティバル2007・総括

 初めて利賀フェスティバルに出かけたのが1988年、今年で20年目。しかし、2001年から2004年までは行きそびれました。よって、今年で16回目の利賀行。

 1988年、これからの人生、本格的に演劇を楽しもうと思い、それならまずは利賀に行こう、とその程度の気持ちを抱きました。そこで会社の演劇好きに段取りして貰い、二人で出かけました。2泊だったか、3泊だったか。野外劇場の「川村毅・第3エロチカ・ボディウォーズ」などを観ました。
 帰り際、再び訪れる機会はないと思いました。なぜって、横浜から利賀はあまりにも遠い。村商工会で指定された民宿M、以降、毎年お世話になるとは夢にも思いませんでした。

Scan10001  1989年、なぜか胸の血が騒ぎ、夏休みということにして家族で出かけました。家族は週半ばで帰りましたが、私は1週間滞在。雨中の野外劇「劇団解体社・遊行の景色」を観ていて、小学生5・6年だった息子に「寒いよ、お父さん帰ろうよ」といわれて途中で引き上げた記憶が残ります。
 この年初めて、あの「鈴木忠志演出・SCOT・リア王」を観ました。その後、種々のバージョンを観ましたが、未だにその時の「リア王」が最高。以来、劇中で流れる「ヘンデル:オンブラ・マイフ」「チャイコフスキー:白鳥の湖からスペインの踊り」はリア王の音楽になってしまい、CDを聴いても場面が頭の中を駆け巡ります。

Img_1829  2001年から4年間の欠落は、確か2000年頃から、演出家コンクールなどが始まって、フェスティバルの方向性が変化したことにも関係します。素人向けのプログラムがあまりにも少なくなったこと。それと何かと忙しい時期でもありました。

 2005年年、再び利賀に行こうと思ったのはいくつかの理由が重なったからです。
 一つは仕事の関係で愛知県知多半島中央に単身居住していたこと、ここから利賀まはで横浜から行くのに比べて半分ほどの距離であること。岐阜県養老にある「天命反転地」の「極限で似るものの家」は岐阜県の形をしていて、その北側で利賀の文字が目に焼きついたこと。会社の別の同僚が利賀(フェスティバル時ではない)に行ったと聞いたこと。などなど。

 20年間の変化は多々あります。気づいた順に主なものを。

 富山県南砺波郡利賀村は富山県南砺市に変わったこと。1500名ほどの人口が1/3ほどに減少していること。限界集落(65歳以上の高齢者が自治体総人口の過半数を占める状態)になったこと。そのような意識はありませんでしたが、結果的に過疎化の実態を目の当たりにしました。

 野外劇場の池が大きくなったこと。花道が1本から2本になったこと。合掌造りの舞台が利賀山房に新利賀山房の二つになったこと。

 観客数は、1988年の1万人ほどから、今年は3・4000人(多分)に減ったこと。

 女優Kは、1989年に民宿Mで一緒になったのですが、次の年から女優に。いまやベテランになってSCOT(SPAC)に欠くことのできない存在になっていること。

 観劇が終わって民宿Mへの帰り道、蛍の乱舞を初めて見て感激したのに、今は河川改修や田んぼが資材置き場になったりして一匹たりとも見られなくなったこと。

 同じく、降るがごとくの星空に天の川を鮮明に視認できたのに、今は明るい星が見えるる程度になったこと。

 年に一度お会いする知り合いが出来たこと。日程の関係ですれ違いになることもありますが、群馬のN・Sさんは当時からの。今年は、Y・M・Kさんと知り合いになりました。
 来年もお会いできるでしょうか。民宿Mでの芝居談義など、老若男女関係ない至福の時間だけは変わって欲しくないと思います。そうそう、その際に飲むお酒の量は大分少なくなりました。

 20歳の年を加えたこと。天命を知り、耳従う年になったのに、精神面では大きな変化の無かったこと。もの皆変化するのに、変化しないことを喜ぶべきか、悲しむべきか、それが問題だ。ウウッーーーー。

 適当な写真がないので、1988年リア王のテレフォンカード、1996年終演後の鏡割りの枡を掲載。

| |

« 路上観察:久里浜・ペリー上陸記念碑 | トップページ | 演劇:アルゴス坂の白い家 »

コメント

20年の間に起こった変化は、そのまま利賀村とSCOTの歴史でもありますね。
ずっと観続けて来られた方々の目には、今の観客数も少なく映るのでしょう。
でも、私はあの野外劇場が通路までびっしりと埋まった様を見て、心底驚き、感動しました。
想像を越える熱気に、圧倒されました。
SCOT=鈴木忠志は、地域や国を超えて、多くの人々に愛されているんだなって実感しましたね。
鈴木さんがお元気なうちは、利賀もきっと大丈夫でしょう。
問題はその後です。
この偉大な財産を、どうやって後に繋げていくのか。
真剣に考える時がやってきていると感じました。

投稿: さらら | 2007年9月25日 (火) 19時38分

 さららさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

 有名無実であったSCOTも、また活動を始めるようです。面白くて楽しい企画を望みたいですね。
 でも心配は旧利賀村のことです。過疎化が随分と進んだ印象を受けています。演劇を終えて民宿に戻る道すがら、明かりの点っていない住居が結構あります。恐らく無住でしょう。ひょっとして、観客を受け入れる体制が整わなくなるのではないかなどと思ってしまいます。
 いかがでしょうか。

投稿: F3 | 2007年9月26日 (水) 23時21分

仰るとおりですね。
今年の夏は、富山市と高岡市から野外公演に合わせた往復バスが運行されていて、利賀村に泊まらなくても観劇できるようになっていました。
集客を考えた新しい試みなのでしょう。
こうなると、フェスティバルの観客は増えても、利賀村にとってのメリットはなくなってしまいそうですね。
ますます過疎化に拍車がかかってしまうかもしれません。
たとえSCOTが復活しても、年間を通して公演が行われ、観客が詰め掛けて滞在するようにならなければ、
利賀村の民宿や観光のためにプラスになることはないのでしょう。
また、村も、SCOTに頼っているだけでは、現状は変わらないでしょうね。
民宿Mも、おじさんとおばさんの代でおしまいかもしれません。
本当に、利賀村はなくなってしまうのでしょうか。
鈴木さんは今年6月、静岡春の芸術祭・社会講座での、別役実さん管孝行さんとの鼎談の中で、「利賀村で最後の一人になっても花火を上げ続け、雪に埋もれて死ぬのもいい」なんて半分ヤケクソのように仰ってました。
もちろん、そうはならないという自信の裏返しなのですが、
利賀村の存続に関しては、かなり危機感を持っていらっしゃるようでした。
ここまで関わった以上は、利賀村を絶対に潰す訳にはいかない、と繰り返し仰っていたことが印象に残っています。
夏の数日を過ごすだけの観光客である私には、利賀村の自然の本当の厳しさは想像も出来ません。
雪のない地方に住む者は、雪へのあこがれはあっても、苦労を知らないのです。
だからといって利賀村がなくなってもいいなんて思っているわけではありません。
たくさんの知恵を出し合って、村も劇場施設も後世に残していって欲しいと、心から願っています。

投稿: さらら | 2007年9月27日 (木) 18時14分

 さららさん、重ねてのコメントありがとうございます。

 私の発言は、狭い範囲の観察の結果です。でも、鈴木忠志のそのような発言があるとすれば、事態はかなり深刻なのでしょう。町村合併も、かえって衰退に拍車をかけているのではないかと案じています。美しい日本、決して悪いコンセプトでないと思いますが、滅びの美だけは固辞したいです。何事につけても。
 いつだったか、野外劇場の何列か前で、竹下さん、小渕さん、綿貫さんが並んで「世界の果てからこんにちわ」を観劇していたことがありました。今では綿貫さんのみが渦中の人です。今は昔・・・。

投稿: F3 | 2007年9月27日 (木) 23時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 演劇:利賀フェスティバル2007・総括:

» 結婚式場 [結婚式場]
披露宴の料理については、約1.5万円までの範囲で考えるのが一般的です。結婚式の費用を占める割合が高くなりますので、人数はしっかり把握する必要があります。料理の内容は、招待客の客層、年齢層を考慮しながら決めましょう。 [続きを読む]

受信: 2007年9月22日 (土) 21時36分

« 路上観察:久里浜・ペリー上陸記念碑 | トップページ | 演劇:アルゴス坂の白い家 »