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2007年9月

2007年9月30日 (日)

美術:イリヤ・カバコフ『世界図鑑』絵本と原画

  場所   神奈川県立近代美術館葉山館
  開催期間 ~2007年11月11日(日)、
       原則月曜日のようですが休館日注意
  開館時間 午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
  入場料金 一般 1200円
  観覧日  2007年9月29日(土)

 小雨にぬれる葉山館は一際落ち着いた雰囲気を醸し出しています。視界もさほど悪くなく、葉山の御用邸に続く海岸線や沖をいくウィンドサーフィン・魚船などが視界に入ってきます。やや色彩のあせた風景もなかなか良いものです。

 イリヤ・カバコフを認識したのは、2000年には越後妻有トリエンナーレにおけるエミリア・カバコフとの共作「棚田」によります。妻有の大地と一体となった作品は、どこか郷愁を誘い、働くことの喜びを高らかに歌い上げて、私の心に染み入る作品の一つになりました。2004年の森美術館における「私たちの場所はどこ?」には行きそびれてしまい、残念に思っています。

 今回の企画展はタイトルからもわかるように絵本の原画が中心です。そして、完成した絵本の実物展示と一ページずつめくった状態で観ることのできるディスプレイ展示があります。

 1冊の絵本に原画は数十枚あるわけで、展示点数が実に多い。1000点ぐらいあるという説明をどこかで見かけました。葉山館の展示スペースはさほど広くありません。しかし、今回の企画展に限れば、じっくり観るのも結構根気がいるほどの広大な空間になっています。期間途中に展示替えもあるようです。

 絵本の原画はそれだけでは未完成です。絵本の流れは誰が作るのでしょう。カバコフは旧ソ連体制化でこの作品を制作しています。もろもろの環境を推測しながら、カバコフの主張がどこまで表出されているか判断する必要がありそうです。

 しかし、今回の展示は原画が主体です。後から加えられる文書のための空白は確保されていますが、文書は書き込まれていません。ですから、種々の制約はあるでしょうが、残された範囲でカバコフの主義・主張が発揮されていると思えます。画風や色使いはストーリーによって使い分けられています。何よりも、子供たちに夢や知識を与える素地となっています。『世界図鑑』と銘打ったタイトルが実感できます。

Scan10003 カバコフの塗り絵コーナーもありました。子供連れでも充分に楽しめます。
 そこでお得な情報を一つ。2007年10月13日(土)は葉山館会館記念無料招待日だそうです。混雑しそうにも思いますが、渚ハイキングと組み合わせて、秋の一日を楽しんでみるのは如何でしょうか。詳細は左の添付資料を参照して下さい。

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2007年9月29日 (土)

随想:カフカのこと

 「可不可?」「過負荷?」「家父か?」。いえ、「フランツ・カフカ」のことです。

 この秋、演劇で期待する作品は、シアタートラムにおける2作品交互上演「審判」「失踪者」。原 作:フランツ・カフカ、構成・演出:松本修によるものです。前売りをめったに購入することのない 私ですが、両方とも既に入手しました。

 誰と比較するわけでもありませんが、私は本を多く読むほうだと思います。ただし、小説を読むこ とは多くありません。よって、カフカも暫く前までは読んだことがありませんでした。

 カフカの小説で最初に読んだのは「城」。2005年1月の新国立劇場公演を観るための準備でした。 しかし、読むと結構面白い。何だか判らないけど。でも、これは正確な表現ではありません。部分部 分は把握できるのですが、全体として良くも把握できないという、何とも自虐的な面白さでした。不 条理な小説の不条理な読者?

 新国立劇場の公演は素晴らしいものでした。松本修・モードの公演が好きで良く観ましたが、それ とは異なる感じでした。舞台も大きく、がっちりした構成。何も足さない、何も引かない、という小 説に忠実な演出でした。でも小説を演劇に変える演出の面白さを垣間見たような思いがしました。

 次に読んだのは「変身」。『ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気掛かりな夢から眼をさますと 、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見した。高橋義孝訳・新潮文庫』。

 これをどのように演出するかは興味あるところです。2007年3月・スズナリにおける公演は、四つ ん這いになった数人が、連結した状態でベッドから逃げていくことで表現しました。ザムザが虫にな ったことを暗示しておいて、以降は俳優が人間の姿のままで演じました。他にどのような演出がある かは知りませんが、このような表現で充分に意図は伝わると感じた次第です。

 もう一つ印象に残ったことは舞台美術です。前面にザムザの部屋、奥に居間。その間を透けた幕が 進行に応じて居間を見せたり遮ったりして、観客の視線を部屋や居間へコントロールします。小説を読んでもこのような構造を思いつきません。しかし、一目みればこれしかないとの思いに至ります。松本修は、ここでも何も足さない、何も引かない。あくまでも小説に忠実です。凄い。

 今度の公演の出し物、「審判」は読み終わりましたけど大分時間がかかりました。文字を追いかけ ただけただけのような気がします。何故か、気合が入っていませんでした。

 「失踪者」は一週間たらずで読み終えました。こちらは良く読めたと思います。池内紀訳・白水社のカフカ・コレクションです。初めて池内紀訳を読みましたが、読みやすいと思いました。あるいは 「失踪者」自体が判り易いのでしょうか。

 という訳で、池内紀訳の「審判」を読み始めました。前は、辻ヒカリ訳・岩波文庫です。読み終わった ところで二つを比較してみようと思っています。なぜか、カフカが面白い。

 さて、当日が待ち遠しいです。観終わったら感想を掲載するつもりです。

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2007年9月24日 (月)

路上観察:横浜散歩 - 2007.9.23

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 港未来地区から山手方面に大きな方向を定めて歩き出します。どこを歩くかは角々に到着したときの気分で決定します。

 東横線旧高島町駅~旧桜木町駅間の高架に電車が走ることはありません。しかし、高架下のストリートアートはいまも元気です。私に絵心があれば参加したい気持ちもありますが、残念ながら。

 港未来地区に向かいます。横浜美術館に寄りました。新しい企画展「シュルレアリスムと美術」がを見るつもりでしたがちょっと様子が違いました。確認したら29日からでした。そそっかしいですね。また来週に出かけるつもりです。

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 海べりを通って赤レンガ倉庫に向かいます。昼食の際に横浜地ビールを飲みたいと思いましたが満席。待つのは嫌いなものでパス。横浜ジャズプロムナードが10月6・7日に開催されます。その写真展が開催されていました。写真中央上段は世良譲、下段はジョージ川口。特に良く聴いたわけではありませんが、ビッグネームですから知っています。ライブに出かけようと思いながら足が動きません。6・7日はジャズに浸ろうかな。

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 海べりを山下公園向かいます。大桟橋に客船が二隻停泊していました。珍しいですね。手前が「SEVEN SEAS MARINER」、フランス船籍。奥が「飛鳥Ⅱ」、二本の豪華客船です。船旅に憧れますが、時間もお金も余裕がありません。

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 山下公園から中華街に向かいます。少し遅くなりましたが昼食は中華街に変更。中華街の周囲に門が完成していますが、写真は長陽門(東に位置)。人出は多かったです。手ごろで有名なお店は列が出来ています。そういうところは避けて、私たちは市場通りの一本奥の路地の中央にあるB園にいきました。横浜ベイスターズの選手の色紙が多く飾られています。ほかに新井満、酒井法子、小池百合子などなど。中華風サラダ、空芯菜の炒め物、五目おこげ。+生中3杯。以上を二人で。食も細くなりました。え、普通ですって。

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 腹ごしらえが終わって元町を横切って山の手へ。ベーリックホールに寄ります。ベリックは英国の貿易商、ベリーックホールはその元私邸。いろいろの経緯があって、今は横浜市所有。2002年7月から公開されています。

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 写真は主人の部屋です。日本間を思わせるような渋い色合いの壁、質実な内装。子供部屋の壁はフレスコと書いてありました。他の部屋には書いてありませんがどうなのでしょうか。こんなところに一度は住んでみたいと思いますけど、無理無理。

Img_1867  外人墓地の脇を下りて元町へ。チャーミングセール開催中のせいか、大変な人出。大通りを歩くの避けて元町と中華街の間を流れる川沿いをバス通りへ。写真は、何の面白みのない川の写真ですが、昔、左手の向こう岸あたりに横浜ボートシアターがありました。はしけ(荷物船)を改造した劇場でしたが、あるとき沈んでしまったそうです。その後、復元されていません。

 自宅起点ですが、JR横浜駅から港未来地区に入れば、後は同じコースで横浜名所めぐりができます。ただし、ストリートアートが見たければ、横浜駅東口から国道一号を西に進み、徒歩10分ほどの高島町交差点から伊勢佐木町方面に向かってください。適当なところから港未来に入って下さい。

 歩行時間は2時間半ぐらい、これに食事や見学の時間を足してください。帰路は、元町から地下鉄、バス、あるいはJR石川町駅から横浜に戻れば良いでしょう。

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2007年9月23日 (日)

演劇:アルゴス坂の白い家

 作  川村 毅
 演出 鵜山 仁
 出演 佐久間良子、小島 聖、ほか
 劇場 新国立劇場・中劇場
 時間 2時間50分(途中休憩20分)
 観劇 2,007年9月22日 14:00~

 

2007/2008シーズン「三つの悲劇―ギリシャから」三部作。各々、母・妻・娘の視点で見つめるシリーズの第一弾。作・演出とともに、佐久間良子のクリュタイメストラに興味惹かれます。佐久間良子は、私の観る演劇の範囲には入っていませんでしたから。

 エレクトラ(小島聖)とオレステス(山中崇)のデュエットによる歌劇風のオープニング。二人は黒色の衣装で終始してクリュタイメストラとの三角構造を暗示します。この出だしに「おや」と思うのですが、すぐに演出家(有園芳記)が出てきて「ギリシア悲劇にミュージカルは合わないよ」と、ダメを出します。

 劇作家(中村彰男)は「アトレウス家の悲劇」を底本にした物語を書こうとして、エウリピデス(小林勝也)に悲劇の書き方を教えて貰います。天井から系図がたれてきたりして物語が説明されます。

 ギリシャ悲劇を現代劇として演じようとする作者・演出家・俳優たち。これが物語の初層になります。この上に何層かの構造が構築されながら演劇は進行します。

 ここまでをかなり長く感じました。ギリシャ悲劇を理解していない人に対するサービスでしょう。古典を底本にした新作で、底本を理解しておく必要性の有無はどう考えたら良いでしょうか。私は最低限は理解していたと思いますけど、他人から見れば最低にもなっていないかも知れませんけど。

 劇作家が書こうとする物語は映画の撮影現場。
 クリュタイメストラという大女優そして妻(佐久間良子)、夫であり大映画監督のアガメムノン(磯部勉)、女優デビューするイピゲネイア(篠崎はるく)、新進作家のエレクトラ、娘のクリソテミス(山田里奈)、妻の愛人でシナリオライターのアイギストス(石田圭祐)、が白い家で生活しています。オレステスは家を出たままです。

 「戦争を知らなければ悲劇は書けない」と劇作家にエウリピデスが教えます。劇作家は、トロイの木馬すなわち新宿で発生するテロに出くわします。

 この物語では夫殺しも起こらなければ、母殺しも起きません。
 いまや大監督の座を滑り落ちそうな弱弱しい夫に妻は殺意を感じません。父が殺されなければ、エレクトラ・オレステスの母に対する復讐も成り立ちません。自分たちに運命付けられた悲劇を完成するためにクリュタイメストラが考えた方法は、みんなで殺人の真似事をすることでした。

 戦場になった新宿でオレステスの好きなシチューを作りながら独白するクリュタイメストラ。ここではクリュタイメストラでなく、大女優でもななく、一人の母かも知れません。
 母と娘、クリュタイメストラとエレクトラは最後に和解します。

 ストーリーは難しいです。なぜ、家族は新しい道を歩き始めるのか、母と娘は和解するのか。
 現代に置いて夫殺し、母殺しは悲劇と言うよりは現実です。現代における悲劇とは何でしょうか。「国と国との戦争とは何か。国の意思はいかに決定されるか」。悲劇の根源は戦争でしょうか。古代の戦争を核にした川村の問題提起は大きなものがあります。和解なくして未来は有り得ません。

 佐久間良子、華はありますけど求心力になっていたかな。全体的に演技がまだこなれていないように思えます。個々にはうまいと思いますが。もう一度観たい、後半に。

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2007年9月22日 (土)

演劇:利賀フェスティバル2007・総括

 初めて利賀フェスティバルに出かけたのが1988年、今年で20年目。しかし、2001年から2004年までは行きそびれました。よって、今年で16回目の利賀行。

 1988年、これからの人生、本格的に演劇を楽しもうと思い、それならまずは利賀に行こう、とその程度の気持ちを抱きました。そこで会社の演劇好きに段取りして貰い、二人で出かけました。2泊だったか、3泊だったか。野外劇場の「川村毅・第3エロチカ・ボディウォーズ」などを観ました。
 帰り際、再び訪れる機会はないと思いました。なぜって、横浜から利賀はあまりにも遠い。村商工会で指定された民宿M、以降、毎年お世話になるとは夢にも思いませんでした。

Scan10001  1989年、なぜか胸の血が騒ぎ、夏休みということにして家族で出かけました。家族は週半ばで帰りましたが、私は1週間滞在。雨中の野外劇「劇団解体社・遊行の景色」を観ていて、小学生5・6年だった息子に「寒いよ、お父さん帰ろうよ」といわれて途中で引き上げた記憶が残ります。
 この年初めて、あの「鈴木忠志演出・SCOT・リア王」を観ました。その後、種々のバージョンを観ましたが、未だにその時の「リア王」が最高。以来、劇中で流れる「ヘンデル:オンブラ・マイフ」「チャイコフスキー:白鳥の湖からスペインの踊り」はリア王の音楽になってしまい、CDを聴いても場面が頭の中を駆け巡ります。

Img_1829  2001年から4年間の欠落は、確か2000年頃から、演出家コンクールなどが始まって、フェスティバルの方向性が変化したことにも関係します。素人向けのプログラムがあまりにも少なくなったこと。それと何かと忙しい時期でもありました。

 2005年年、再び利賀に行こうと思ったのはいくつかの理由が重なったからです。
 一つは仕事の関係で愛知県知多半島中央に単身居住していたこと、ここから利賀まはで横浜から行くのに比べて半分ほどの距離であること。岐阜県養老にある「天命反転地」の「極限で似るものの家」は岐阜県の形をしていて、その北側で利賀の文字が目に焼きついたこと。会社の別の同僚が利賀(フェスティバル時ではない)に行ったと聞いたこと。などなど。

 20年間の変化は多々あります。気づいた順に主なものを。

 富山県南砺波郡利賀村は富山県南砺市に変わったこと。1500名ほどの人口が1/3ほどに減少していること。限界集落(65歳以上の高齢者が自治体総人口の過半数を占める状態)になったこと。そのような意識はありませんでしたが、結果的に過疎化の実態を目の当たりにしました。

 野外劇場の池が大きくなったこと。花道が1本から2本になったこと。合掌造りの舞台が利賀山房に新利賀山房の二つになったこと。

 観客数は、1988年の1万人ほどから、今年は3・4000人(多分)に減ったこと。

 女優Kは、1989年に民宿Mで一緒になったのですが、次の年から女優に。いまやベテランになってSCOT(SPAC)に欠くことのできない存在になっていること。

 観劇が終わって民宿Mへの帰り道、蛍の乱舞を初めて見て感激したのに、今は河川改修や田んぼが資材置き場になったりして一匹たりとも見られなくなったこと。

 同じく、降るがごとくの星空に天の川を鮮明に視認できたのに、今は明るい星が見えるる程度になったこと。

 年に一度お会いする知り合いが出来たこと。日程の関係ですれ違いになることもありますが、群馬のN・Sさんは当時からの。今年は、Y・M・Kさんと知り合いになりました。
 来年もお会いできるでしょうか。民宿Mでの芝居談義など、老若男女関係ない至福の時間だけは変わって欲しくないと思います。そうそう、その際に飲むお酒の量は大分少なくなりました。

 20歳の年を加えたこと。天命を知り、耳従う年になったのに、精神面では大きな変化の無かったこと。もの皆変化するのに、変化しないことを喜ぶべきか、悲しむべきか、それが問題だ。ウウッーーーー。

 適当な写真がないので、1988年リア王のテレフォンカード、1996年終演後の鏡割りの枡を掲載。

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2007年9月19日 (水)

路上観察:久里浜・ペリー上陸記念碑

1  碑の表に「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑 大勲位侯爵 伊藤博文」、裏に「 THIS MONUMENT / COMMEMORATES / The First Arrival / of / COMMODORE PERRY, / AMBASSADOR FROM THE / UNITED STATES OF AMERICA / WHO LANDED AT THIS PLACE / JULY 14,1853. / ERECTED JULY 14. 1901. / BY / AMERICA'S FRIEND ASSOCIATION 」と記されています。

2  久里浜と木更津を結ぶ東京湾フェーリ、その久里浜埠頭の目の前にペリー公園があります。中にある碑は10mほどもあるであろう立派なもの、碑の右手に二階建てのペリー記念館があります。

 ペリー率いる旗艦ミシシッピー号の他、蒸気船2隻、帆船2隻の計4隻の黒船が浦賀沖に停泊。1853年(嘉永6年)7月8日、ペリーがこの地に上陸して近代日本の幕開けとなりました。

 「泰平(太平)の 眠りを覚ます 上喜撰(蒸気船)
                  たった四杯で 夜も眠れず」

 公園は子供野球が一面取れる程度の広さで、碑と記念館を除けば特筆するようなものはありません。海に面した一面を除けば民家が迫っています。

 小学校5年か6年の遠足でここに来た記憶はあります。小学校は横浜駅から歩いて20分ほどのところですが。来た記憶はあるのですが周囲のことが記憶にありません。現状を見ると、こんなところに遠足にくるのかと思ってしまいます。でも、50年ほど前は随分と違っていたのだと思います。

3  公園から自動車で10分もかからない所にくりはま花の国があります。小高い山と両側の谷戸が園内になります。本来なら写真の谷戸がコスモスで一杯のはずが、台風9号の影響で全滅です。残念。月末までに何とかするようですが。冒険ランド(遊園地)やハーブ園もあって子供連れでも楽しめます。園内を端から端まで歩けば2Kmぐらい、展望広場からは東京湾や房総半島まで視界が開けます。入園無料、駐車場は600円ですが園内の施設で食事をして証明を貰うと半額返金。

 秋の1日、久里浜へ出かけてみませんか。観音崎灯台、横須賀美術館も至近です。

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随想:文楽・菅原伝授手習鑑のこと

 先の土曜日(15日)、ふらりと国立劇場に行きました。文楽を観たい(聴きたい)と思い立って。チケット入手は困難だとは聞いていました。でも、1枚なら何とかなるだろうとの甘い考えで。

 結局、甘い考えでした。こうなると是非とも観たい。週日なら何とかなりそうですが、今週中は無理。最終日25日に勝負するか。

 文楽はそう数多く観ているわけではありません。せいぜい一桁の後半ぐらい。しかし、結構面白いものだと思っています。関西赴任中に大阪の国立文楽劇場に出かけたのがきっかけでした。最後に観たのも国立文楽劇場ですから、かれこれ5年ほど前のことです。その時の出し物が「菅原伝授手習鑑」。菅丞相を吉田玉男が遣いました。

 讒言で勅勘の身になり帰邸する菅丞相。人形は背中を見せて、人形遣いは正面を向いて。人形の背中からは深い悲しみを、見えないはずの人形遣いからそこはかとない色気を感じました。一芸の極みとは、もっとも魅力的な状態に至ることなのだと思います。当時、吉田玉男は80歳を過ぎていたと記憶します。

 今回の公演は「吉田玉男一周忌追善」、夜の部が菅原伝授手習鑑の初段・二段目です。
 私が観た時は昼夜の通しでしたが、体力・気力が伴わず初段・二段目のみを観ました。今になれば、がんばって通しで観ておくべきだったと。芸は残らないのです、返す返すも残念。

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2007年9月17日 (月)

路上観察:JR大船駅から鎌倉湖経由でJR鎌倉駅へ

 大船駅東口から鎌倉湖、天園ハイキングコースを横切って覚園寺、鎌倉宮を経由して鎌倉駅へ。歩行時間約3時間です。鎌倉宮からは好きな道を歩いたら良いでしょう。先週のコースも参考に
 多少のアップダウンがあるので先週よりは疲れましたけど、この程度で疲れていては。

 大船駅東口を出てまずは鎌倉湖を目指します。
 東口正面の商店街を抜けて鎌倉芸術館へ。芸術館を正面に見て左(北)へ。イトーヨーカ堂を過ぎて砂押川に突き当たるので右(東、上流)へ。川に沿って進むと、やがて鎌倉街道・砂押橋交差点、左(北、横浜方面)へ。進行方向右側の歩道を歩くと、交差点から10分弱で右斜めに進む道路の前方に浄土宗・大長寺が見えます。大長寺の前の道路を右へ、暫くしてバス通りに出たら左へ。後は道なりで鎌倉湖へ。途中、大長寺、西念寺、白山神社を確認する程度に寄り道。

 この間に大きな見所はありません。大船駅からバスで鎌倉湖へ直行し、後半に変化を持たせたほうがハイキングとしては楽しくなりそうです。

Img_1752 鎌倉湖は通称、正式には散在が池森林公園で明治期の農業用水が今に至ります。周囲は住宅街ですが、園内は緑濃く散策に絶好。ただし、売店等はありませんので必要なものは持参を。しばし休憩。このコースでは北口から入園しますが、馬の背小径あるいはのんびり小径を経て南口に出ます。

Img_1774  南口を出たところは住宅街ですが、数10m右に進むと斜め左に進む道がありますので、その道を進みます。半僧坊下バス停をさらに進むと、ここら辺りから天園ハイキングコースが確認できますので見失いなわないように。住宅街の外れの広場の奥から天園ハイキングコースへの登り道があります。暫くしてハイキングコースに出会います。

 交差点には道標があります。右は天園約1.2Km、瑞泉寺約3.1Km、左は建長寺約1.9Km、直進は覚園寺約1.2Km。私は直進。百八やぐらを見ながら気持ちの良い山道を歩くこと約20分で住宅街に入ります。右は覚園寺、左は鎌倉宮へ。私は覚園寺に寄り、引き返すように鎌倉宮へ。二週続きの鎌倉宮です。 
 その後、宝戒寺、 東勝寺跡、北条高時腹切やぐらを経由してJR鎌倉駅へ。

Img_1792 鎌倉湖から先は大きな位置関係を認識していれば迷うことも無いように思います。しかし、地図は持参したほうが安心です。私は、『人文社、横浜南部・鎌倉・逗子、1:20000』を持参、これから自分なりのコースを歩こうと思って購入しました。ただし、半僧坊下から天園ハイキングコースまでの道が記載されていませんでした。しっかり整備されていましたが。(2007.9.16)

写真:
 上から、鎌倉湖、覚園寺、高時腹切やぐら

参考タイム:
 JR大船駅東口→(9分)→鎌倉芸術館→(8分)→砂押川→(5分)→鎌倉街道→(9分)→大長寺→(13分)→バス通り→(20分)→鎌倉湖北口→(20分)→鎌倉湖南口→(10分)→天園ハイキングコース交差→(20分)→覚園寺→(8分)→鎌倉宮→(15分)→宝戒寺→(12分)→高時腹切やぐら→(18分)→JR鎌倉駅

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2007年9月15日 (土)

路上観察:福岡名所めぐり

 先日、仕事でまた福岡へ。当然、昼休みは福岡大仏。先に掲載の疑問Img_1700を解消する手がかりを探しましたが、残念ながらそれらしき物はありませんでした。
 大仏を拝観していて、台座左手に地獄めぐりの入口発見、躊躇なく突進。三途の川に始まり八地獄のシンプルな絵があります。阿鼻叫喚の叫喚地獄は覚えたのですが、その他は覚えきれず。今度はメモを持って行きます。その後、大仏の台座下に入り込みますが暫くは漆黒の闇、手すりをたどってゆるゆると歩を進めます。やがて明かりが見えてほっとします。アルファベットのRを一筆書きしたような順路で台座右手の出口へ。
 その後、さほど広くない寺内を隅々まで巡りました。気になっていた大きな五輪塔、福岡藩黒田家の墓所で、二代忠之、三代光之、八代冶高が葬られていました。

Img_1712  仕事が早く終わって飛行機の時間まで間があったので、まずは大社箱崎宮に移動。大社というだけあって立派なつくり。一の鳥居は福岡藩主黒田長政が建立とのこと、400年ほどの星霜を感じさせます。檜皮茸の楼門は雄大です。扁額に「敵国降伏」の文字、穏やかではありませんが元寇Img_1706に由来するようです。12~14日までは博多三大祭りの一つの放生会で、随分多くの夜店が準備していました。当日はさぞ賑やかなことでしょう。仕事が数日ずれて いればその光景が見られたのに残念(おい、仕事だろうって)。そういえば櫛田神社の祇園山笠も準備の最中でした(仕事を調整しろって!?)。

Img_1716 なお多少の時間があったので黒田家菩提寺の崇福寺へ。山門から一番奥まったところに黒田家墓所があります。目見当で幅100m超奥行き30mくらいでしょうか。説明によればこれでも往時の1/5ほどに狭まっているそうです。さすが殿様。墓所の周囲は塀で囲まれ、門は施錠されていました。ただし、寺務所に申し出れば鍵を貸してくれるとのこと。私は時間も遅かったのでとりあえず墓所に直行、門の格子越しに拝見しました。藩祖黒田如水、初 代長政などの墓石があるのですが、遠目にこれだろうと推測しただけです。しかし、多少草が伸びているかなと思いましたが、簡素で気持ち良い雰囲気でした。何の根拠もありませんが、さすがに武家の墓だと思いました。次の機会があれば鍵を借りてしっかり拝見させて頂くつもりです。

 いずれも地下鉄博多駅(JR博多駅)から6・7駅の範囲内にあります。

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2007年9月12日 (水)

路上観察:東京・深川散策

 ブリジストン美術館の鑑賞を終えてから深川散策に向かいました。地下鉄・森下駅下車。午後5時過ぎ。

 芭蕉記念館は既に閉館。隅田川を眺める夕暮れの芭蕉像を見たかったのですが、史跡展望庭園も門が閉じていました。この後、近所の芭蕉稲荷に詣でたのですが、アマチュア史家と思われる方と二言三言と言葉を交わしました。これは最後に詳しく書きます。

Img_1605  さらに採荼庵跡に向かいました。
 清澄公園の南側、清澄通りに掛かる海辺橋の南詰に採荼庵跡があります。芭蕉が「おくのほそ道」へ旅立つのはの元禄2年(1689年)の2月(旧暦)末ですが、その直前まで住んでいたところです。今にも腰を上げそうな芭蕉像が行きかう車の列を眺めています。

Img_1604  さて、芭蕉稲荷まで戻りましょう。
 芭蕉稲荷に詣でたとき先客がいました。ジョギング姿でガイドブックを片手に持って、説明版を眺めていました。初老では言い過ぎかも知れませんが、私と付かず離れずの年頃と思えました。
 最初はぼそぼそと、話しかけられたのか独り言かわからない感じでした。それから声がだんだん大きくなり、私に話しかけていることがはっきりしました。

 説明板には次のように書いてあります。
 「深川芭蕉庵旧地の由来
  ・・・・・・ 俳聖芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝八年から元禄七年大阪で病没するまでここを本拠とし、「古池や蛙飛びこむ水の音」等の名吟の数々を残し、またここより全国の旅に出て有名な「奥の細道」等の紀行文を著した。・・・・・・」

 さて、話の主旨は次のようなことです。
 「『・・・大阪で病没するまでここを本拠とし・・・』と書いてあるが、間違っている。それが証拠に『草の戸も住替る代ぞひなの家』と奥の細道の最初にある。家を移って、その後に娘のいる人が住んだ。自分は移った先から旅立ったのだ。こんど芭蕉記念館に訂正するように申し入れなくては。」

 良いですね。何の得になるわけでもないのに真実を追究する心構えは。薄暗くなって芭蕉稲荷に詣でる人など少ないので、同好の士とでも思われたのでしょうか。私も薄々は認識していたので、相槌を打ったりして。

 地下鉄・清澄白川駅前で、生ビールを飲んで一息ついて、帰路に着きました。

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2007年9月11日 (火)

美術:青木繁・海の幸

 先日、ブリジストン美術館に出かけました。もちろん「青木繁・海の幸」を観るためです。「わだつみのいろこの宮」を含む6点が特別展示されています。会期は9月30日まで。

 「海の幸」を知ったのは中学校の教科書だったと思います。働く喜びを色濃く感じた記憶があります。それから本などで繰り返し見ましたが、実物を観たことはありませんでした。

 私の中では大きなさ作品でしたが、実物は想像より小さなものでした。油彩ではありますが、下書きが見えるほど薄い塗りです。まだ仕上がっていないようにも見えます。でも、そんなことは決して気になりません。労働者の力強さ、大漁の喜びがひしひしと伝わってきました。最近、仕事でこのような感じになることはないですね。それではいけない。

 やはり名画です。100年前に描かれた作品とは思えない。
 一月ほど前に美術館の前を通ったときに、「お、青木繁」と思って、忘れていました。企業グループの広報誌の記事で思い出し、出かけました。これ一点観るだけで出かけた甲斐がありました。

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2007年9月10日 (月)

鎌倉古道・朝比奈切通しから鎌倉へ

 鎌倉古道の朝比奈切通しを通って鎌倉までハイキングをしました。ハイキングのつもりでしたが、朝比奈切通しの後は名所巡りになってしまいました。十二所神社、光触寺、報国寺、杉本寺、鎌倉宮、荏柄天神、頼朝墓、鶴岡八幡宮。鎌倉西部をゆっくりたどったのは実に久しぶりでした。まだまだ暑さは残りますが、多くの人出がありました。バス停朝比奈からJR鎌倉まで、見学を含めて4時間弱。

1  9月9日は重陽の節句。別名、菊の節句。菊にはちょっと早いですけど、陰暦では今より一ヶ月ほど後になるので辻褄はあうでしょう。そのような思いがあるので秋もそう遠くないと感じました。寺の甍越しに広がる空がなぜかとてもきれいに思えました。いや、実際にきれいだったです。木々の緑と青空の対比も美しい。掲載写真は浄明寺。

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2007年9月 9日 (日)

利賀フェスティバル2007:番外編(3)

 利賀の滞在中、復路に立寄った所をご紹介します。

(5) 南砺市いなみ国際木彫刻キャンプ2007

5a  井波は、和室の欄間彫刻などの木彫を一大産業とする町です。確認できていませんが、3年おきに木彫刻キャンプを開催している筈です。2週間ほどの間に木彫刻作品を公開製作します。利賀に来ると夕方までは特に予定がありません。よって、周辺をドライブ&散歩します。このキャンプには過去数回訪れています。製作者と参観者がコミュニケーションしながら作品が生まれていく過程は素晴らしいです。瑞泉寺や彫刻師の店先を覗くのも興味深いです。山の上に上がれば砺波平野の散居村が眺められます。

(6) 南砺市平村ふれあい温泉センター ゆー楽

6  日帰り温泉です。芸術村の近所にも日帰り兼宿泊の温泉がありますけど、私が良く行くのがゆー楽です。飛越街道から少し入った小高い位置に施設があります。入湯料500円、広い休憩施設があり、内風呂・露天風呂・サウナがあります。露天風呂から庄川の蛇行と緑の山並みを見ると気分も雄大になります。本でも読みながらゆっくりするのが良いのですが、今年はせわしなかった。欠点は、この地方でおろろ(およよ、ではありません。知る人も少ないかな)と呼ばれるアブの一種が飛来すること。お湯をかけたり、ハエ叩きで防御します。GoogleMAPで”富山県砺波郡平村”を検索して”航空写真”をクリックしてください。雄大な風景が想像できる筈です。

(8) 越後妻有・大地の芸術祭

 トリエンナーレ、2006年開催で次回は2009年、その間も今まで製作された作品や小規模な催しが開かれています。書き出したらきりがないので、昨年の私の掲載分を参照願います。今回はほくほく線松代駅周辺の散策だけでしたけど、2000年からの思い出が蘇りました。

(9) 新潟県まつだい芝峠温泉「雲海」

9  宣伝するつもりはないのですが、露天風呂や部屋から見た景色が見事なものだったので、もし興味がある方はどうぞ、日帰り温泉もあります。多分、北に視界が開けているのですが、正面に谷川岳、山並みの右手のほうに苗場山。日帰り客が帰った後の露天風呂は貸しきり状態。翌日の雲海は少し薄かったですけど美しかった。何回か宿泊すればもっと見事な雲海が見られそうです。2009年のトリエンナーレの宿泊はここに決定です。

(10) トミオカホワイト美術館

10a  間近に八海山を望む稲穂の波の中に美術館があります。冬は、それこそホワイトな世界になるでしょう。富岡惣一郎の絵を意識して見るのは初めてです。CGで言えば二値化、すなわち白と黒で表現された絵は強烈でした。当日は、「黒との対決」と言うテーマで、木下晋の絵が展示されていました。木下晋は、鉛筆デッサンだけで人の心に大きな衝撃を与える作風です。越後ごぜ歌の最後の一人“小林ハル”をモデルにしたデッサンは、直島スタンダード展(1回目)の10b 際、古い民家に展示されていて衝撃を受けました。それ以来の再開です。同じ作品ではないと思いますが。美術館に寄ることが目的でしたが、良い企画展に出会えて幸せでした。

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利賀フェスティバル2007・番外編(2)

 利賀の往路に立寄った所をご紹介します。

(1) サントリ白州蒸留所

 正午前、昼食兼見学で立ち寄りました。緑に囲まれた素敵な環境です。ウィスキーの熟成には豊かな自然が欠かせないそうです。人間だって同じはずですけど。案内嬢の張りのある声に、ひょっとして俳優さん、などと思ったりして。PRの一環ではありますが、相当の経費がかかっているだろうと思います。お客様は大切にしなければならないことはわかっていても、なかなかできることではありません。

(2) 安曇野ちひろ美術館

2  ちひろの絵は多くの方から愛されているようです。私は特に好悪の感情は持っていません。ただ、立地を含めて素晴らしい美術館と読んだり聞いたりしていました。そこで、今回の立寄り先に加えまました。うわさにたがわず素晴らしい自然、建築、庭園でした。美術館と観光が混在しているような雰囲気です。でも、参観者が増えることは良いことですから。このような美術館で刺激的な企画展を見てみたいものです。

(3) 飛騨高山・宮川朝市

 多くの観光客より一足早い行動開始だったようです。朝市を覗きながら、人気の少ない街中を一時間ほど散歩、清清しい気分になりました。家並みが低く、大きな空を眺めながら歩ける町は、それだけで気持ちがやわらぎます。

(4) 金沢21世紀美術館

4a  最近は金沢と言えば21世紀美術館です。兼六園も兎辰山も形無し。それほど素晴らしい美術館だということです。「グレイソン・ペリー展」は壷に刺激的な絵を描いた作品が主体ですけど、何だかわからず。「パッションコンプレックス」はアメリカ・バッファローにあるオルブライト=ノックス美術館の収蔵作品から15人の作家を紹介。3m弱の円形の器に砂を満たし、4b その表面を半分がぎざぎざの、半分が平らなブラシが回転して、砂に同心円の模様を描き、直ちに平らにしていく。モナ・ハトゥム《+と-》に興味を抱きました。
 館の周囲が朝顔で囲まれていましたけど時期が遅かった、盛期は見事だったでしょうね。タレルの部屋、レアンドロ・エルリッヒ《スイミング・プール》は、行く度に多くの人を惹きつけています。

(7) 南砺市福光町棟方志功記念館 愛染苑

7  版画家・棟方志功は、昭和21年から6年間、富山県福光町(現南砺市)に疎開しました。この地を足がかりにして世界の棟方に飛躍していきました。記念館と住居が公開されています。住居のいたるところに描きつけられた絵に、棟方の旺盛な創作意欲が感じられます。10回以上訪れています。昔は事務室でお茶をご馳走になりながら、元教育長だったという館長さんとおしゃべりをしたものです。前回掲載の順番を間違い、この位置が正しい。掲載写真は昨年のものです。

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2007年9月 8日 (土)

利賀フェスティバル2007・番外編(1)

 利賀の往復に興味深い所に立寄っていますので、ご紹介します。

 利賀で3泊しました。その前に飛騨高山で1泊、その後に新潟県松代温泉で1泊。必須の立寄り先は、安曇野ちひろ美術館、金沢21世紀美術館、トミオカホワイト美術館。ユニークな美術館めぐりを楽しみの一つにしています。金沢を除く2館は初めての訪問です。

  その他を含めて次の所に立寄りました。(1)~(4)は往路、(5)~(7)は利賀滞在中、(8)~(10)は復路です。

   (1) サントリ白州蒸留所
   (2) 安曇野ちひろ美術館
   (3) 飛騨高山・宮川朝市
   (4) 金沢21世紀美術館
   (5) 南砺市いなみ国際木彫刻キャンプ2007
   (6) 南砺市平村ふれあい温泉センター ゆー楽
   (7) 南砺市福光町棟方志功記念館 愛染苑 
   (8) 越後妻有・大地の芸術祭
   (9) 新潟県まつだい芝峠温泉「雲海」
   (10) トミオカホワイト美術館

 次の所は予定に入れていたけど立寄れなかったところです。来年の楽しみにとっておきます。

   (A) 小松市立宮本三郎美術館
   (B) 石川県能登島ガラス美術館
   (C) 石川県西田幾多郎記念哲学館

 次の所は予定に入れるのを忘れていましたけど、復路で容易に立ち寄れたところです。来年は忘れないようにします。

   (D) 鈴木牧之記念館

 印象などは次回に続く(予定)。

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2007年9月 6日 (木)

「遥かなる宝塚」のこと

 何となく気恥ずかしくて、宝塚大劇場の観劇は一度だけでした。既に4年か5年前のこと。出し物は「アイーダ」でしたが、歌劇「アイーダ」を予想していたらまったく違っていました。でも結構楽しい時間でした。
 関西引き上げの記念に一度だけと思ってでかけたのです。もし、到着した直後に出かけていたら、嵌っていたかも知れません。立派なヅカ・ファンに成っていたかも知れません。

 さて、今日の話は六甲山系の東端としての宝塚です。
 六甲全山縦走という催しが、神戸市と六甲全縦市民の会との共催で毎年11月に開催されます。ルールは至って簡単。西端・須磨浦公園を朝5時から7時の間にスタート、何箇所かのチェックポイントを通過して、22時半までに宝塚のゴールに入るだけです、自力で。その間は56Km、標高差の積算は3000mほどあるそうです。

 今年は9月9日までが六甲全山縦走の申し込み時期(実際は申込書購入、手続きは後)です。今年は泣く泣く参加申し込みを断念します。ゆえあって、とても長距離を歩ける状態にありません。3回目の完走は、早くも来年の夢として先送りすることにします。くやしいーーー。

 過去二回の完走は、2002年・2003年で、関西に居住していた時期です。
 通常のハイキング、半縦走、と距離を伸ばしながら練習を繰り返しました。完走など無理かと思いながら参加申し込み。当日は、未明に明石をスタートし、夜中近くに宝塚のゴールに入りました。嬉しかったのも確かですが、56Kmを歩きとおした自分の能力を見直したものです。

1  一昨年は参加申し込みしましたが、スタートラインを通過することはありませんでした。鈴鹿山系の御在所岳を下る途中にバランスを崩して大きな岩に左脇を強打。温泉に入って帰ってきたのですが、結局は肋骨にひびが入っていました。医者に縦走しても良いかと聞いたら、やめておけといわれたので出走停止。

 昨年も参加申し込みをしましたが、家族の入院などもあって調整不足のため出走停止。

2  今年は自分の調子が芳しくなくて申し込みすら見送ります。
 まだ、いまなら申し込みは間に合うと、未練たっぷりの思いを抱きつつ。多くの方の支援を頂いてこそ完走可能なのですが、すべては自己責任の行為です。無理は禁物です。
 少し涼しくなったら来年に向けてトレーニングを開始します。

 掲載写真は2003年のもの。最初は、須磨浦公園をスタートして30分ほどで縦走路に入ったあたり。明るくなった空に大阪方面の視界が開けます。次は、宝塚のゴール、その人なりの方法で完走の喜びを噛み締める瞬間です。

 興味を持たれた方はいませんか。まだ、エントリーは間に合いますよ。

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2007年9月 2日 (日)

演劇:利賀フェスティバル2007(3)

 三日目(25日)は二本の出し物を観ました。

(1) フリードリッヒ・デュレマット作、中島諒人演出、劇団島の劇場 「老貴婦人の訪問」

 あらすじ : 作者はスイス人、1956年作品。老婦人クレーレは、寂れた小都市ギュレンに、急行列車を非常停車させるという乱暴な手段で帰郷する。復讐のために。
 45年前、恋人レオに捨てられ、レオに買収された男たちの偽証で子供は認知されなかった。故郷を追われ、子供は死に、自分は娼婦に。その後、富豪に見初められて巨万の富を得る。
 クレーレは、イルを殺してくれたら市と市民に10億マルクの提供を提案。一部の良心的市民は提案を思い止まらせようと試みるが拒否、市の再生の道を塞ぐ。追い込まれた市民は、提案を全員一致で受け入れる。イルは闇に葬られ、死因は、市の再生を喜ぶあまりの心臓マヒと発表される。
 やがて、再生なったギュレンに急行列車が停車する。

 感想 : 私が観た今年の演目中で一番の出来栄え。いずれも高いレベルにあるが、さらに一歩抜き出ていました。中島諒人は2003年利賀演出家コンクールで優秀演出家賞受賞。劇団とともに鳥取で活躍しているようです。
 クレーレを演ずる中村きくえは若手には見えないけれど、その存在は大きい。彼女を中心に、他もしっかりした演技をしたと感じました。
 顔の中央部を丸く白塗りにしたメイクは、この芝居が架空の話ですと告げているようです。しかし、50年前に書かれた作品とは思えないほど現実味を帯びています。げに恐ろしきは女の執念か、金の力か。両方あれば一人の命を抹殺できるということか。いや一国さえ危うい現状、それを否定しきれないことが悲しい。
 耳が遠くなったせいか、声が小さくなくとも台詞の聞き取れないことが結構あります。この劇団は口跡が鮮やかで、言葉の美しさも堪能できました。今後ますますの活躍を祈念します。

(2) 鈴木忠志構成・演出 「世界の果てからこんにちは」

20070825_18  「昔、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」という物語的な世界。あるところは養老院、おじいさんは日本を代表する老人(高橋等)、おばあさんは芸者春子(久保庭尚子)に。
 場面場面は、言葉の綾で笑いを誘い、音楽で手拍子を誘い、打上花火 で歓声を誘う構成。伝統芸能にご祝儀物があるけれど、これは利賀におけるご祝儀物。夏の夜の夢として大きな思い出になりそうです。そう言えば花嫁もでてきます。結婚行進曲は流れないけど。

20070825_21 僧侶(達)が大きな籠に入り、ピチカート・ポルカ(シュトラウス兄弟)に合わせて動き回る。車椅子の男(達)は「歴史にもおさらば、記憶にもおさらば」とコロスを演じる。紅白幕の女たち。鈴木忠志の演劇を観ていれば、どこかで見かけた筈。私は記憶が悪くて何が何と思い出さないですけど、そういう楽しみ方もあります。

 途中、「天皇陛下がお亡くなりになりました」と春子が告げ、「軍歌・海ゆかば」が流れます。池の向こうで花火が甲高い音をたて、林が真っ赤に燃える(火事ではありません)。戦後レジュームが崩れかけ、太平洋戦争の記憶も遠くなります。私は戦後世代ですけど、横浜の街中に進駐軍のキャンプがあったことは記憶に確かです。
 開演前に鈴木忠志が挨拶のなかで「これは私の終戦記念日だ」と言っていました。それぞれの受け止め方はあるでしょうけど、はなしの底流に反戦が横たわっています。世界の果てから、こんにちはと言って人びとが行き来できる世の中が切望されます。

20070825_27  かって、老人はSCOTの蔦森皓祐が演じていたけど今回から高橋に。経験の違いと言えばそれまでだけど、重厚さがややたりないために言葉の面白さがやや不足しました。台詞も聞きとりにくい感じです。
 春子は大分以前に久保庭に代わっているけど、今まではもっと小粋な感じがしました。演出構成が、従来に比べて華やかさが後退したように思います。今後も時折上演されるでしょうけど、利賀フェスティバルの締めとして華やかに終わることを期待しています。

20070825_28 出演者の最後に花火師9名がクレジットされています。「花火師にとどかぬ拍手送りけり 青柳時子」。

 この後、建築家・磯崎新と富山県知事・石井隆一の両氏が恒例の鏡割り。餅つきの杵で一気に割るので酒しぶきでびしょ濡れに。私は春子にお酌して貰ってよい気分に。

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2007年9月 1日 (土)

福岡大仏

Img_1 昨日、明るい時間に福岡・東京を飛行機で移動。雲の途切れることがなくて前線停滞の天気予報を確認。湧き上がる雲の輝やきになぜか秋の訪れを感じます。「この秋は何で年寄る雲に鳥」、ふと芭蕉句が浮かびます。そういう心境が実感できる年になりました。今日から9月。

 最近、仕事で福岡へ時々行きます。訪問先の隣の福岡大仏が以前より気になっていました。地下鉄祇園駅(JR博多駅から一駅)の至近にある南岳山東長密寺、結構大きなお寺です。昼休みの短い時間に拝観してきました。

Img_2 大仏は撮影禁止ののため看板を掲載しておきます。造りは寄せ木、まだ新しいものです。お顔はふっくらしていますが、実際はもう少し厳しく見えました。

 全景写真中央の一際高い、正面が白く側面がエンジ色の建屋内に鎮座しています。大きさが想像できるでしょう。話を聞くと参拝客も多いそうです。

Img_3 正門の脇に碑があり「弘法大師開基/密教東漸日本最初霊場/西安 青龍寺住持寛旭」とあります。弘法大師創建の最初の寺院ということでしょう。実はこちらの方が気になっていました。

 「空海の風景・司馬遼太郎」には次のように書かれています。
 『「弘法大師は・・・・、大同元年冬十月二十三日に博多に帰着された。翌年四月下旬までこの地(博多)に淹留(えんりゅう)し、伽藍を一つ建てられ、東長密寺と号せられた。この寺、はじめは博多周辺にあり、その境内はいま呉服町あたりまで及んでいた」という。ただし東長密寺という寺が実在したかどうかはわからない。』(注:大同元年は西暦806年)

 内容はほとんど記憶に残らず、本を取り出して確認してみました。それにしても、「ただし東長密寺という寺が実在したかどうかはわからない」と書いていることが、多少気になります。機会があれば、寺暦を確認して掲載したいと思います。

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