「野村萬斎・国盗人」のこと
世田谷パブリックシアターで公演中の「野村萬斎・国盗人」を観劇しました。6月30日、前より2列目のほぼ中央。舞台を多少見上げる状態ですが、役者の息遣いが聴こえるほどの位置です。
「国盗人」とは、「シェークスピア・リチャード三世」を狂言の発想で新たに構築した新作。悪三郎はグロスター、後のリチャード三世。理智門はリッチモンド、杏はアンと、和名に置き替えられています。
演出は野村萬斎。出演は悪三郎が野村萬斎、杏ほか女性の主要な役を白石加代子が。そのほか、狂言師、現代演劇など様々のジャンルからの寄り合い所帯。音楽は笛・囃子の生演奏。衣装はコシノ・ジュンコ。まるで異種格闘技を思わせる状況ですが、一見雑然に見える状態が緊張感や活力を生み出したと思います。
舞台は能舞台を連想させます。と言うより、能舞台の変形ととらえて良いでしょう。
前方へ多少傾斜した高床式。左右に立つ柱は幾多の戦を得たかのごとく焼け爛れています。舞台と左右の袖を繋ぐ橋掛かり状の通路が左右に二本ずつ。階(きざはし)を思わせる階段が、舞台を客席にまで拡張します。鏡板の部分はブラインドになっていて、状況によって奥舞台の視界を遮ったり、後方の様子を見せたりします。ブラインドの中央には開閉可能な扉があって、前舞台と奥舞台を繋ぎます。
開演前の客席に蝉時雨が降り注ぎます。やがて、白いドレスに白い日傘を持った白石加代子が客席後方から階段を昇り、舞台中央置いてある能面(狂言面か?名前は知らない)を手にします。やおら「夏草や 兵どもが 夢の跡」。舞台は、一気に赤薔薇一族と白薔薇一族による権力争いの時代へと変わります。
剣を杖代わりに不自由な体を揺らして悪三郎が舞台後方から正面に進みます。一気に萬斎の世界へ。
テキストを読んでいるので物語の大筋は理解できます。しかし、狂言仕立てで演じる翻案の面白みは、もっと深くテキストを理解していなければわかりません。良い観客であるのも大変ですが、まあ、そんなに堅苦しく考える必要もないでしょう。
幾多の殺戮を重ねて王へと上り詰める後半はテンポよく進みます。
戦い前夜、夢枕に立つ、かって手にした亡霊達に苦しめられる悪三郎。
舞台前方に悪三郎、後方に理知門が横たわり、二人の間に現れる亡霊達。悪三郎には呪いの言葉を、理知門には励ましの言葉を。戦場をはさんで対峙する両者を、三間四方(?)の舞台に凝縮、これぞ演劇の醍醐味。
この場面は、重厚に荘厳に進んで欲しい思いもします。しかし、あまり重くなっても狂言への翻案からはずれるように思います。悪三郎と理知門(今井朋彦)との台詞のやり取りも、両者の性格を際立たせて圧巻でした。狂言師と新劇役者が演じることの面白さもあります。
役名を和名に置き換えていることは複雑な人間関係を判りにくくします。舞台も、冒頭に述べた範囲の変化ですから、多くの場面展開を理解しにくく、これらは狂言仕立ての難点のように思いました。が、これらの点が整理されたら、それこそ狂言仕立ての良さがさらに際立つでしょう。
萬斎は、とことんシリアスに悪三郎を演じていません。しかし、権力への執着、人間不信、残酷な悪三郎の人間性を体全体で表現していました。本来は小心者であろう悪三郎がかえってよく伝わってきます。
マイクを握って歌うなどは予想だにしませんでしたがファンサービスか。
さて、白石加代子。四役をこなして大変とは思いますが、演技はさすがに重厚。ただし、見る側の私が追いついていけない嫌いがあります。一役だけではもったいないけれど、女性役にそう重みはないし。さりとて四役では混乱もするし。課題の一つかもしれません。
この後の公演は、世田谷パブリックシアターが7月14日まで。兵庫県立芸術文化センター公演が7月25日~27日。りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館が8月1日。
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