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2007年6月

2007年6月23日 (土)

「ル・コルビュジエ展」のこと

 東京六本木・森美術館で開催中の「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」を鑑賞しました。会期は2007年5月26日(土)~9月24日(月・祝)までです。

 副題で主たる内容は理解できます。しかし、建築に思いが行きます。鑑賞者は、何となく建築に関係あるような方が多いように思えました。連れ添いとの会話が何気なく耳にはいったりして、そのように感じました。

 特別顧問として、槇文彦(建築家)、磯崎新(建築家)、黒川紀章(建築家)、安藤忠雄(建築家)、ミシェル・リシャール(ル・コルビュジエ財団ディレクター)、ほか、と記載されています。通常の美術館の企画展とはちょっと異なる雰囲気が、ここら辺りからも感じられます。

 あまり一般的なテーマで無いから、興味ないと思われる方も多いと思います。しかし、何らかの建築物を利用していない方はいないわけですから、利用者の視点で建築家の考え方を探るのも面白いのではないでしょうか。建築素人の私はもっぱらその視点です。日本の住宅事情をうかがわせるような一面も感じられて、そこそこに面白いです。

 展示は次の10のせセクションで構成されています。丹念に見れば数時間かかると思います、私は何回か行くつもりなので、興味惹くところを跳び跳びに鑑賞しました。それでも二時間弱ほどかかりました。

   セクション1:「アートを生きる」      
   セクション2:「住むための機械」      
   セクション3:「共同体の夢」
   セクション4:「アートの実験」    
   セクション5:「集まって住む」    
   セクション6:「輝ける都市」
   セクション7:「開いた手」    
   セクション8:「空間の奇跡」    
   セクション9:「多様な世界へ」
   セクション10:「海の回帰へ」

 ル・コルビジェのことはほとんど知らないに等しい状態です。本人が絵を描いていたことも知りません。ピューリズムを標榜していたようですが、多少考え方の変遷もあったようです。セクション1とセクション4で絵画が展示されていますが、特に興味を惹きませんでした。

 私でさえも見聞きする有名なサヴォワ邸は、セクション2に展示されています。といっても、模型と図面類だったでしょうか。1931年竣工とのことですから、当時は随分とモダンな住宅だったことでしょう。現代に竣工なったとしても、まったく古さを感じさせないと思います。

  セクション3ではソヴィエト・パレスのCGが圧巻。コンペに応募するも政治的な理由で採用されなかったので実物はありません。何かだだっ広い建物だとの印象を受けました。それにして、CGの発展は凄い。

 人体の各部寸法を基準にするモジュロールという単位で設計された集合住宅の原寸大模型がセクション5に展示されています。マンションのモデルルームの感じ。ざっと見た限りで結構狭い感じがしました。日本の住宅事情に思いが跳びます。しかし、この辺りがル・コルビュジエの真骨頂なのでしょう。

 セクション6、セクション7は、建築にとどまらず都市計画に至った計画や、唯一実現したインド・チャンディガールの例が模型や映像で展示されています。ここで疲れてきたので、後はさーっと見ることにしました。

 有名なロンシャンの礼拝堂ほか、3つの宗教建築がセクション8に展示されています。ロンシャンの礼拝堂は歪んだ平面で構成されていて随分とユニークです。もっとも模型だから判ることで、実際には全体を一望できるわけでもありませんから、印象は結構変化するでしょう。興味の尽きないところです。他の宗教建築も面白い。

 セクション9では海外のル・コルビジェの作品群。日本での唯一のコルビジェの建築物である国立西洋美術館についての説明もあります。芸術新潮の記事でその事実は知っていました。実物も何回見たことか。一つでも彼の作品が日本にあることは幸いなことです。

 晩年の作品、カップ・マルタンの小屋は彼の妻のために建てた小さな小屋です。セクション10で実物大のセットが展示されています。元気も失せたのと待ち行列があったのでほとんど素通りでした。

 後半はさっと通り過ぎたような感じです。会期中に何回か出かけるつもりですから、通り過ぎたところは次の機会に良く見ます。

Dsc_0046  国立西洋美術館の外観写真を添付します。おお、ル・コルビジェと感じます。ほんとかな。

 

 

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2007年6月 9日 (土)

「反・借景」のこと

 先日、浜離宮恩賜庭園を初めて訪れました。都営地下鉄・新橋駅で下車、再開発された汐留の地下街を通り15分ほど歩いたところにあります。

Img_1225  この庭園の歴史は江戸時代までさかのぼれます。要約すると、「徳川歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、11代将軍家斉のときにほぼ現在の姿になる。明治維新で皇室の離宮、昭和20年に東京都に下賜、整備して昭和21年から有料公開される」となります。

Img_1225x  この庭園の特徴は潮入の池、今でも東京湾の干満に合わせて海水が出入りしています。その潮入りの池の中ノ島にあるお茶屋越しに観る景色が凄い。江戸時代の面影と汐留再開発の今が重なって見えます。

 高層ビル群を消した写真も見てください。
 恐らく汐留再開発の前はこのような景色だったと思います。そう思う理由は、再開発地域が旧国鉄汐留貨物駅跡地なので視界を遮るようなものは少なかったと想像するからです。随分と開放的な景観で、気持ちも開放的になりそうです。

 「借景(しゃっけい)は、中国庭園や日本庭園における造園技法のひとつ。
 庭園外の山や樹木、竹林などの自然物等を庭園内の風景に背景として取り込むことで、前景の庭園と背景となる借景とを一体化させてダイナミックな景観を形成する手法。
 庭園外の自然物等についても庭園景観の重要な構成要素とするため、近年の都市開発に際して借景とする山そのものの開発やビルなどの高層建築の建設による景観の変化などについて、借景の破壊という面で紛争が生じることがある。  出典: ウィキペディア」

 借景の破壊は、報道によれば各地で起きていると知れます。
 さて、反・借景です。当初は遮るものが無い景観に、後から高層建築などができて景観が変わってしまうようなことを言います。と言っても、私が勝手に命名しただけです。既にどこかで使われているかも知れませんが。

 もう5年前のことです。宇治平等院を訪れたとき、鳳凰堂の右手に高層建築物が見えることに気づきました。興ざめでした。しかし、不法な建築物だとも思えませんので所有者が悪いわけでもありません。単に規制すれば良いというものでもないし。どうしたら良いでしょうか、美しい日本を守るために。

追伸

Img_1294  先ほど、六本木ヒルズ・森美術館の展望フロアから浜離宮恩賜庭園を遠望しました。写真中央の木の繁った部分がそれです。その上を流れる川が隅田川。それにしても、周囲を高層ビルで囲まれていますね。

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2007年6月 2日 (土)

「近代水道」のこと

 6月1日から7日までの1週間は第47回「水道週間」であることを知りました。何々週間や何々記念日は一年途切れなくあるようです。ちなみに横浜では、6月1日から7月7日までは横浜フランス月間(なぜ横浜でフランス?)、2日は開港記念日です。

Img_0132  水道のことに話を戻します。
 今年の水道週間のスローガンは「水道水 まちのすみまで 未来まで」。近代水道の特徴は有圧送水、濾過浄水、常時給水だそうです。そうであるからこそ、蛇口をひねれば水の出る当たり前で、そのことに思いを馳せることなどはめったにないのだと思います。また、ためらうことなく水道水をそのまま口にします。

Img_0136 近代水道は1887年10月17日、横浜市内配水で開始されたそうです。 今年はちょうど120周年。設計・監督は、英国人・ヘンリー・スペンサー・パーマー。そのパーマの胸像が、野毛山公園内の配水地を背にして建立されています。また、高台にある野毛山公園から伊勢崎町方面に歩いて10分もしないところに、日本最古の水道管が展示されています。

 子供の頃、「船乗りたちの間で、横浜の水は赤道を越えても腐らないし、味も落ちないと評判である」と教えられました。横浜の誇りであったのだと思います。きっと、近代水道の歴史が背景にあったのだと、今になって思います。

 早くも今夏の水不足が心配されるようです。横浜で水不足が心配されるか否か、知りません。私の家は、野毛山公園から歩いて20分ほどのところ、確かな数値は判りませんが標高差も大分低い位置にあるので、水道が止まるなどの記憶もほとんどありません。ありがたいことです。

 野毛山公園は、野毛山動物園と道一つ挟んだところにあります。動物園に出かけたおりにでも、少し足を延ばしてパーマーの胸像を一目見て、近代水道のありがたさを再考してみては如何でしょうか。蛇足ですが、私は水道局との関係は一切ありません。

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