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2006年12月

2006年12月31日 (日)

JR門司港駅のこと

 少し間が空きましたが、「和布刈神社」の続きです。

Img_0661s  かっては九州の玄関であったJR門司港駅、大正3年(西暦1914年)に建てられた九州最古の木造の駅舎は重要文化財に指定されています。駅舎内を巡ると、駅頭で繰り返されたであろう喜怒哀楽の歴史が感じられます。概観はネオ・ルネッサンス様式、左右対象の造りが特徴、噴水のある広場と一体となって美しい景観を作り出しています。

 1階のトイレにある青銅製の手洗い器では幸運の手水鉢(ちょうずばち)と呼ばれ、門司駅開設当時からそのままの姿を保っているそうです。一抱えで余るほどの大きさですが、戦時中の貴金属供出から免れたことからその名が付いたようです。トイレと独立した洗面所は、長旅を終えて、あるいはまだ続く旅のオアシスとなっていたことでしょう。かっての旅の重みが偲ばれます。

Img_0662s  駅前広場を出たところに木造2階建ての旧三井倶楽部があります。重要文化財に指定されている建屋は、大正10年(西暦1921年)、三井物産の社交倶楽部として建築されました。その後所有は国鉄に移り、平成2年、JR門司港駅前に移築・復元さたとのこと。
 アインシュタイン博士夫妻が宿泊された部屋も、当時の状態のままに保存されているそうです。私は見学しませんしたが。博士は講演を終えて門司港から旅立ったそうです。

Img_0665s  昭和初期まで税関庁舎として使用されていた建屋が、船溜まりのむこうで偉容を誇ります。明治42年の門司税関発足を契機に、明治45年(1912年)に建てられた煉瓦造り瓦葺平屋構造の建屋です。昼間は建屋内に入れます。1階はエントランスホール、休憩室、展示室など。2階はギャラリーになっていますが、近代建築では見ることのない磨きあげられた木の床に、何とも言えない豪華さと歴史を感じてしまいました。私たちは多くのものを得る代わりに、同じくらい多くのものを失っているのではないでしょうか。

 JR門司港駅から門司港にかけたレトロ地区は猫の額ほどの広さしかありませんが、かっては世界に通じる窓口だったことでしょう。ふと、北海道小樽のことを思い浮かべました。なんとなく、雰囲気が似ています。例えば、積極進取の気概があるような。

 私の住む横浜にも、神奈川県庁・横浜税関・開港記念会館の尖塔を、各々、キング・クイーン・ジャックと呼んで横浜のシンボルとした時代がありました。古い港町には多くの人の歴史が刻まれているように思います。

 さて2006年も残すところ2時間余、横浜では港に停泊する船が鳴らす汽笛で新年を迎えます。最近は汽笛の音も小さめで、横浜市歌に「百船百千船」と歌われた様子はありません。さて門司港はどのように新年を迎えるのでしょうか。

 いずれの皆様も良い新年を迎えられますよう祈念して、2006年の書き収めとします。

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2006年12月24日 (日)

和布刈神社あるいは和布刈神事のこと

Img_0677s  早鞆の瀬戸とも言われる関門海峡の潮流は早く、海の中に河が流れているようでした。流れに逆行する船は停まったように、順行する船は飛ぶがごとく進んでいて潮流の速さが実感できました。

 「和布刈」と書いて「めかり」と読みます。関門海峡の九州側にある和布刈神社は、古社ながら社殿は小さなものでした。社前から視線を上方にやれば関門橋が見えます。見下ろしても関門海底トンネルは見えませんが、社殿の後方数十mのところにトンネルへ降りるエレベータがありました。

 出張帰りの飛行機搭乗の都合で多少の時間の余裕がありました。門司港駅から30分ほどの距離でしたから、一度は訪ねてみたいと思っていた和布刈神社まで散歩しました。

Img_0684s 横浜生まれで横浜育ちの私が、なぜ門司にある神社を知っていたか。それはこの神社で催される和布刈神事が、松本清張の推理小説「時間の習俗」のアリバイ作りに使われていたからです。

 旧暦大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に、3人の神官が厳寒の海に入り、岩についたワカメを刈り取って神前に供えるのが和布刈神事。

Img_0721s 社前から10段ほどの石段で海に降りられます。降りても海で遊べるような場所はなく、干潮時に猫の額ほどの岩場が現れるような感じでした。写真の石の燈篭は海べりから数mの距離にありますが、行った時は海の中でした。その岩場で神事が行われるものと思われます。様子は門司港駅前にある像でうかがい知ることができます。

 文藝春秋版松本清張全集第一巻は「点と線」と「時間の習俗」の組み合わせでした。読んでから数十年過ぎてストーリーは忘れてしまいましたけど、強く印象に残った和布刈神事。とりあえずはどのような場所で行われるかが判りました。次は神事を見たい気持ちもあります。思っていれば、いずれまた機会が来るように思います。

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2006年12月 9日 (土)

のだめカンタービレのこと

 知多武豊のコンビニで飲料水を探していて、ふと首を脇に振ったときに目に入ったのが漫画「のだめカンタービレ」でした。多少はクラッシク音楽を聴いてきたので、カンタービレが「歌うように」という音楽用語であることは知っています。例えば、チャイコフスキーに名曲「アンダンテ・カンタービレ」があります。
 しかし、「のだめ」とは。「のだめが野溜に通じることに、どれだけの人が気づくでしょう?」。私は気づいてしまったのです。

 「のだめ」と「カンタービレ」のミスマッチに関するささやかな疑問を解消するため、そこにあった3冊(No.1,2,16)を思わず購入してしまいました。疑問は、最初の1冊を読み始めて直ちに氷解しました。「のだめ」とは、音大のピアノ科に在籍している「野田恵」の通称で、決して「野溜」ではありません。まさかとは思いましたが。

 疑問が氷解すると、「のだめカンタービレ」に関する話題が耳目に入ってきます。
 まず、TVドラマを1.5回ほど見ました。TVドラマでクラシック音楽をこれほど聴いたことはなかったでしょう。インターネットには掃くほどのHPやブログ記事があります。
 朝日新聞(12月7日東京本社版23面)に『「のだめ」に沸くクラッシク」の記事が掲載されていました。クラッシクコンサートの入りが良くなったり、CDがオリコンチャート初登場7位になったり、着オケダウンロード数が前月の20倍になったりとか。とにかくクラッシク音楽界にとって「のだめカンタービレ」は救世主のようです。

 CDなどでクラシック音楽を聴く機会は多いです。しかし、ここ何年もコンサートへ足を向ける機会は極端に減っていました。忙しいなどと言っていないで生の音楽を聴きにでかけようかなどと思いました。それとも漫画の読破が先か。

 音楽に限らず芸術分野は受難の時代を迎えているように思います。しかし、何がきっかけでも活気を呈する方向に向かうことは良いことだと思います。漫画やTVの力は、実に大きい。

参考:佐久総合病院・農民とともに88・衛生指導員物語(4)

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2006年12月 5日 (火)

東京都現代美術館「大竹伸朗 全景 1955-2006」展のこと

11124_28_naosima  暗闇に赤く「島」の一文字、島を離れるフェリーのデッキから見つめていました。直島を始めて訪れたのは2001年のスタンダード展でした。

 「大竹伸朗 全景 1955-2006」展を観に行って東京都現代美術館の正面に立った時、屋上に「宇和島駅」のネオンが目に入りました。あの「島」の一文字の原形です。まさか、再び目にするとは。

 なぜ宇和島駅。答えは簡単、不要になったネオン管を作品としだけでしょう。不要のネオン管は産廃と認識されますが、大竹はそこに芸術性を発見します。帰り際、暗くなった空に赤々と「宇和島駅」が浮かんでいました。東京なのになぜ宇和島駅、それだけで問題提起されています。そこに大竹の本質が現れているように思います。

 作品は見方によってはごみです(失礼)。でも失礼なことはないのかも知れません、確信犯ですから。ゴミは最初からごみではありません。ごみを再構成すれば作品が完成します。新たな役割が与えられます。私は肯定的に作品に接しましたが、どのようなメッセージを受け取るのか、どのようなメッセージを再発信したら良いか、本当のところはよく判りません。

 1955-2006 は大竹の生涯を意味します。と言うことは51歳。電気仕掛けの楽器を遠隔演奏する大竹は実に若い。と、そんなことはどうでも良いのですが。

 51年の軌跡は2000点ほどの作品で示されます。どの部屋も、壁面が見えなくなるほどの展示、量の多さも特筆ものです。小学生の頃の作品もあって、それも、なかなかしゃれた仕上がりで感心します。おもわず物持ちが良い、と思ってしまいます。考えるのは後でも良いから、その大量の作品と対峙することが直面する課題です。観てまわるのも体力がいります。大竹のエネルギーと格闘することになります。

 順路の初めに、若い頃からつくり始めた何十冊かのスクラップブックが展示されています。スクラップブックは何かテーマを決めて収集するものですが、大竹のそれは手元にあるもの、残ったものを何でも貼り付けているように思います。とても一つ一つを見ている時間も無い(ケース内展示ですので見ることもできません)のですが、これだけ徹底してスクラップされると、もはやごみとは言えません。

 順路の終わりの3階まで吹き抜けの空間に、7・8mの自由の女神、緞帳風の作品、それと遠隔演奏ノイズバンド「ダブ平&シャネル」が展示されています。廃材で作られた舞台と少し離れたところに操作小屋があり、そこで大竹が演奏(操作)していたので、しばし音楽鑑賞をしました。

 モータの回転運動を上下の運動に変換してギターを弾く、ギターの中心を軸にして正逆転を繰り返す途中にピックがあって音を奏でる。電気仕掛けでドラムを叩く。紙を破る音、マットを叩く音など、およそ音楽らしくない音が現代音楽に取り込まれることを思えば、これも立派な音楽として成立します。ごみ同然の楽器から音がでることに面白みを感じます。

 「音すれど聴こえず、物あれど見えず」。先哲の言を持ち出すまでも無いのですが、日ごろ、私は何を見、何を聞いているのでしょうか。そんなことを思い起こさせる「大竹伸朗 全景 1955-2006」展でした。

 参考:大竹伸朗「全景」公式サイト

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