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2006年9月20日 (水)

私的名所・その2:御堂筋の芭蕉終焉の地

 今回の話題は御堂筋(みどうすじ)の説明から始めます。

 大阪市内の道路は、南北方向に延びるのものを「筋(すじ)」、東西方向に延びるものを「通(とおり)」と言います。ゆえに、御堂筋は南北方向に延びる道路であると知れます。大阪市においてキタとミナミは、各々、梅田と難波を表す固有名詞です。御堂筋は、キタとミナミを結ぶ全長約4km、幅約44m、6車線の大通りです。

 では御堂筋の御堂とは何でしょうか。
 道路の中間点あたりに、やや離れて北御堂(西本願寺津村別院)と南御堂(東本願寺難波別院)があることに由来するようです。繊維問屋が軒を連ねる船場は、北御堂と南御堂の中間です。

 御堂筋の名前は以前から知っていました。欧陽菲菲・雨の御堂筋は1971年のヒット曲ですから若い方は知らないでしょう、それともカラオケで知っているでしょうか。私もその程度でした。詳細を知ったのは、一時期大阪市の隣の尼崎市で生活していて、大阪へも良くタウンウォッチングに出かけたからです。

Basyo さて、膳所に葬られている芭蕉は、元禄7年(1694年)、旅の途中の大阪で51歳の生涯を閉じています。終焉の地は、当時、南御堂前にて花屋を営んでいた花屋仁左衛門の屋敷でした。

 辞世の句「旅に病んで ゆめは枯野を かけまわる」を刻んだ句碑が南御堂内にあります。芭蕉句碑は、門を入ったら左30度ぐらいの方向に歩いていくと見つかります。南御堂では、芭蕉を偲ぶ法要が毎年勧修されているようです。

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