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2006年8月31日 (木)

大地の芸術祭のこと

Tumari1 津南エリアにある作品「海老塚耕一・水と風の皮膚」の前で、地のおばあさんから素朴な質問を受けました。「私はこれを観ても何も判らないんだが、あなたは何か判りますか」と。なんだか判らないものを観に、遠くから妻有まで出かけてくるのが不思議なんでしょうか。「いや、私も判らないんですよ。それでもここに来るのが楽しいんですよ」と、判ったような判らないような答えをしました。

  二泊三日で70箇所ぐらいを回りました。思いのほか少なかったです。周辺部を回ったからかもしれません。その中で廃校になった校舎を利用した作品が4箇所ありました。去年まで使われていた校舎はまだぬくもりが感じられ、廊下の隅から誰か出てきそうな感じがします。長いこと使われない校舎はぬくもりが無くなっています。横浜生まれの横浜育ち、団塊の世代の一人である私には、2000年の第1回トリエンナーレを鑑賞するまで、こういう感覚はありませんでした。過疎化を肌で実感する瞬間です。過疎化とは子供が少なくなってくることでもあるのです。

Tumari2  松之山エリアにある廃校の校舎を利用した「クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン・最後の教室」は、小さな校舎の全てを使ったインスタレーションでした。全体に光を遮断した空間に裸電球多数が吊り下げられ、白布で覆われた机などが、言いようのない悲しさを漂わせています。ビデオ、ライト、オブジェ、音を使って、記憶の再生を試みています。越後妻有特有の問題ではなく、日本の近未来への警告なのでしょうか。ボルタンスキーは3回連続参加ですが、いずれも越後妻有でしかできない作品を通じて、どこでも共通する問題提起を行っているように思えます。

   既成概念をいくらうまく繋げたとしても、越後妻有アートトリエンナーレを説明することはできないように思います。会期はまだ10日ほど残っています。金も時間もかかるのですが、できれば一人でも多くの人に越後妻有の大地を踏みしめて頂きたい感じです。

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